side Karen - 40
「あちー……」
玄関の扉を開けた途端、私は呟いた。それくらいに外は暑い。
靴を履き、床に置いていた旅行グッズの入った鞄とハンドバッグを肩に掛けると、玄関まで見送りに出てきてくれた翔に言う。
「帰りは月曜だから。多分、向こうでもケータイは繋がると思うんだけど」
「わかった。まぁ、何かあったら連絡するよ。香蓮もわざわざ連絡くれなくていいから」
「何よ、その言い方。じゃあ、行ってくるね」
「あー香蓮、ちょっと待って」
「何?」
「これ、持って行って。向こうに着くまで絶対に開けるなよ?」
翔はそう言って、私に片手で持てるくらい茶色い紙袋を手渡してきた。紙袋は可愛らしいシールで封されている。すごく軽い。
「何、これ?」
「秘密。多分、役に立つと思うんだけど」
「そう、わかった。ありがと……」今一歩よくわからないんだけど。まぁいいか。「じゃあ、ホントに行ってくるね」
マンションを出て、駅へと向かう。
今日から3日間、長野にあるペンションへ同期のみんなとプチ旅行だ。みんな住んでる場所が違うから、いったん会社に集合することになっている。河合君がレンタカーを借りてくれることになってるし、きっと道中も楽しいだろうな。
誂え向きの青空、そして入道雲。セミも鳴いていて、いつの間にか夏本番だ。
浅倉とは、今週からまた一緒に仕事を始めている。先週まで悩んでたのがバカバカしくなるくらいに、浅倉との関係は至って普通に戻った。普通に話もするし、また一緒にお昼も食べるようにもなったし。
気持ちを伝えはしたけど、そして私は浅倉に付き合ってって言われて頷いたけど、だからと言って私たちは特に前と変わってない――と思う。
と言うか、先週末の夜の記憶が、途中から曖昧だ。翔やリカちゃん、そして浅倉と家で飲んで、私が(また)間違えてお酒を少し飲んじゃって――その後。
翔が言うには、すごい笑い上戸になって、すぐに寝ちゃったらしいんだけど。
確かに、なんだかすごく楽しい気分になったのは覚えてる。でも覚えてるのはそれだけで、次の日の朝起きるまでの間に何があったのか、全然覚えてないんだよね……。
私、何もしてないよね?
何かとんでもないことをしでかしてるんじゃないかと思うと、すっごい怖いんだけど……。
週明けの月曜日、出社したときに、浅倉に特に変わった様子もなかったから、多分大丈夫、なはず。
そう、週明けの月曜日と言えば、真由子にはすぐに私と浅倉に何かが起こったとわかったらしい。
ランチの後、それぞれの部署に戻るときに、私は真由子に突然腕を掴まれて廊下の隅に引っ張られた。そして耳元で一言。
「よかったね、香蓮」
何が? と聞き返す間もなく、真由子は手を振り、笑顔を残して行ってしまった。
しばらくしてようやく、真由子が何のことを言っているのかわかった。
何でわかったの? ってメールで聞いてみたけど、秘密って返事が来ただけ。
本当に、どうしてわかったんだろう?
それに、どうも河合君も知ってるっぽい……んだよね。直接何か言われたわけじゃないんだけど。私と浅倉が話してるのを見て、前以上ににこにこしてる気がする。浅倉が言ったのかな。それとも真由子? それとも、ただの気のせい? もし知ってるとしたら、どこまで知ってるんだろう……?
そんなことを考えながら電車に揺られていると、ハンドバッグからケータイの着信音が流れてきた。
やばッ、マナーモードにするの忘れてた!
慌てて手に取ると、音はすぐに止んだ。そっと車両の中を窺ったけど、誰も私の方に関心を示している様子はない。土曜日の朝早い時間帯だから、車内も空いてるし。
ほっと息を吐いて、手の中のケータイを開いた。そこにはメール着信を知らせる文字。
受信ボックスを開くと、真由子からだった。
香蓮、ごめんね。
彼が風邪引いて寝込んじゃったの。
(エアコン付けっ放しで寝たんだって! バカー!)
彼、一人暮らしだから私が看病することになっちゃって。
だから、今日からの旅行、行けなくなっちゃった…。
ホント、ごめんね。河合君と浅倉君にも謝っておいてね。
うー…みんなと一緒にペンション行きたかったよぉ。
私の分も楽しんできて~!(T_T)
真由子
そっかぁ。残念だけど仕方ないよね。私は急いで返信を打つ。
『了解。私も残念だよ…。真由子と一緒に行きたかったなぁ。河合君と浅倉に言っておくね。彼氏にお大事にって伝えてね』
そしてケータイをマナーモードにしてハンドバッグにしまった。
いつもの駅で降りて、会社へと向かう。でも社屋には入らずに裏手にある駐車場へと回った。
駐車場をくるりと囲むように植えられた木の影に、白いミニバンが停まっている。そしてその前には、退屈そうに車にもたれる浅倉の姿があった。
浅倉が私に気付いて近づいて来る。
「浅倉、おはよ」
「おぅ、永野、おはよ」
そう言いながら、浅倉が私に腕を差し出す。
「何?」
「かばん! 車に乗せるから。ほれ、貸せって」
あぁ、そうか。肩に掛けていた旅行グッズの入った鞄を浅倉に渡す。浅倉は軽々と片腕だけでそれを受け取った。結構重いなぁって思いながら持ってた鞄なのに。やっぱり、力あるんだな。
「それは?」
浅倉が、私の持っていた紙袋を指差した。出掛けに、翔にもらった紙袋だ。中身がわからないから、大きな鞄の方に入れていいのかどうかもわからずに、ずっと手に持ってる。
「あ、これはいいの。ありがと」
私が答えると、浅倉は空いている方の手でトランクを開けて、私の鞄を中に入れる。その脇から車の中を見たら、私の鞄以外には1つしかバッグがなかった。
あれ? 浅倉の分だけ? 車は河合君が用意するはずじゃなかったっけ?
「ねぇ浅倉、河合君は?」
「あぁ、あいつ、体調崩しちまったらしいぜ。だから、今日来れねぇってさ」
浅倉はそう言いながらトランクを閉める。バンッっていう大きな音が駐車場に響いた。
「そうなんだ、残念ね」
「まぁな。しゃーねぇだろ。向こうでそーなるよりはいいんじゃねぇの? それに、アイツの場合、紗織さんが看病してくれんだろ?」
「そっか。そうよね」
河合君も来れないんだ。せっかくみんなで行こうって言ってたのに、ちょっぴり残念だな。
「あとは武田さんだけか。おぉ、ハーレムじゃん、オレ」
浅倉がにやりと笑う。まったく、本気で言ってるんだかどうなんだか、と呆れちゃった反面、重要なことを言い忘れてたことに気づく。
「あぁ、真由子もね、来れないって」
「は?」
あ。浅倉の目が点になった。
「真由子の彼がね、風邪ひいちゃったんだって。その看病しなきゃいけなくなっちゃったからってメールがあった。浅倉と河合君にもごめんねって伝えてって」
私が話す内に、浅倉の眉根がだんだん寄っていく。そして、左手で眉間を押さえた。
「あいつら……」
あぁ、なんか怒った声だ。やっぱり、すぐに言わなかったから怒ってるのかも。




