side Daichi - 40
「あーあー、こんなところで。おい、香蓮、起きろ。寝るなら部屋行けって」
翔が頬を軽く叩いたが、永野は起きる気配がない。
「ったくもー。浅倉さん、ホント悪いんですけど、香蓮を部屋まで運んでもらえません?」
「いいけど……」
なんでオレが? そう思ったら代わりにリカさんが聞いてくれた。
「翔君が運ばないの?」
「俺は遠慮する。香蓮、重いし。こないだだって、腕痺れたし。腰痛めるの嫌だし」
こないだってのは、鈴木さんの結婚式のときか。オレは腰痛めてもいいってのかよ? ったく、しゃーねぇなぁ。
オレは、肩にもたれる永野を少しだけ動かし、背中と膝の下に腕を滑り込ませる。この前と同じように永野の身体を横に抱くと立ち上がった。その間に、翔が部屋のドアを開けてくれていた。
「香蓮の部屋、リビング出てすぐ左の扉です。今開けて来たんで勝手に入ってください」
オレが永野を抱き上げたまま廊下に出ると、翔はリビングの扉を閉めた。廊下の電気は人が動いたのを検知するセンサーがついていて、自動的に点灯消灯するらしい。オレが動くとすぐに明るくなった。
前を向くと左手の数歩先にある部屋の戸が開いている。永野の部屋はそこだろう。
オレはその部屋に入った。両手が塞がっていて電気が点けられなかったが、廊下からの明かりのおかげで部屋の隅の方にベッドが置かれているのが見えた。そこまで歩き、永野をベッドにそっと降ろす。
起こさないように気をつけたつもりだったのに、永野が薄く目を開いた。
「あれー? あさくらがいるー」
普段と全然違う口調で永野が言った。
人感センサーが切れたらしく、廊下からの光がだんだん乏しくなって来た。
薄暗くなり行く中、永野がとろんとした目でオレを見上げる。
これならまぁ、放っておいたら寝るな。さて、オレはそろそろ帰るとするかな。これ以上、翔とリカさんの邪魔しちゃ悪ぃし。
そう思った瞬間、オレの首に何かが巻き付きオレは下に引っ張られた。
「ふぉっ?」
咄嗟に下に両手を下に突っ張る。おかげで完全に倒れずに済んだ。
あっぶねー。何だ?
廊下の明かりが完全に消えちまって、今どうなっているのかサッパリわからねぇ。ただ、首に相変わらず何かがぶら下がってるような重さがかかっていて、全然動けなかった。
少しずつ、目が慣れてくる。ぼんやりと目の前の状況が見えて来た。
まずわかったのは、オレの首に巻き付いてるのは、永野の腕だということ。
そしてその当の永野は、オレの真下にいる。
つまりオレは、ベッドの上に横たわる永野に、上半身で腕立てするみてぇに覆い被さるようにして、なんとか倒れずに立っているって状態。
永野は相変わらずのとろんとした瞳でオレを見つめている。少し開いた唇がやたら色っぽい……。
オレはごくりと唾を飲み込んだ。
こらこら、冷静になれ、オレ。永野は酔ってる。自分が何をしてるのかわかってねぇ。ただの酔っ払いだ。そう、ただの、酔っ払い……。
「永野……腕、放せって」
「いやー」
いやーじゃねぇっ! オレの気も知らねぇで。本当に襲っちまうぞ、コノヤロウ。
オレは右腕だけに自分の全体重を寄せると、ベッドに突いていた左手を外した。そしてオレの首にぶら下がる腕を外そうと永野の右腕を掴んだ。その途端、永野の腕の力が増して、オレはぐいっと引っ張られた。
やべッ、片腕だけじゃ保てねぇ!
肘が折れる。右腕の肘を突き左手をまたベッドに突いた。
気がついたときには、目の前に永野の顔があった。永野の両肘がオレのそれぞれの肩に乗っている。
「あさくらだー。うれしー」
永野がすげぇ幸せそうな声でそう言った。
なんでこの状況でそういうコト言うかな……。
堪らくなって、オレは永野の唇を塞いだ。永野は抵抗しない。ただ、オレを受け入れてくれた。
永野の上唇と下唇を、交互に啄むようにキスする。永野が熱い吐息を漏らした。右手で永野の頭を抱き、左手で動かないように永野の右手をベッドに押し付けた。
キスが鼻移り、瞼に移り、頬に移る――
ふと、違和感を感じた。永野に反応がない……?
身体を離すと、永野の腕が滑り落ちた。まさか……。
永野を見下ろす。胸が、穏やかに、規則的に、ゆっくりと、上下していた。
こ、コイツ……寝やがった……。
オレはしばらく幸せそうな寝顔を見下ろしていた。そしてため息をつく。
――ったく、このお嬢さんは……オレを煽るのがホント上手い。
オレは散らばった永野の腕をまっすぐにし、足下にあったタオルケットを永野に掛けてやる。その後、少し乱れた自分の服を直すとリビングへと戻った。
リビングに入ると、翔とリカさんがオレの方を向いた。2人して未だ飲んでたらしい。
「浅倉さん、ありがとうございました。香蓮、絡みませんでした?」
まさか、覗いてたワケじゃねぇだろうな?
「あぁ、絡まれた」
「やっぱり……。なんとなく、そんな予感がしたんですよね」
翔がしれっとした口調で言う。リカさんがまたオレの気持ちを代弁してくれた。
「翔君、それがわかってて浅倉さんに頼んだの?」
「いや、そういうわけじゃないけどさ。でもまぁ、浅倉さんならいいか、とは思った」
ったく、本当にこいつ、弟か? 姉の貞操の危機とか、ちったぁ考えろっての。
――とは思いつつも、翔の『浅倉さんなら』という言葉は嬉しく思った。初めて会ったときから、翔が永野をすげぇ大切に思ってることはわかってる。そんな翔が、オレならいいと言ってくれたってワケだ。
多分今までも、永野が知らないところで、翔が永野のことを守って来たんじゃねぇかな。まぁ、オレの勝手な想像だけど。
時計を見ると、いつの間にか日付が変わる時刻になっていた。
「オレ、そろそろ帰るわ」
オレがそう切り出すと、翔が意外そうな顔をした。
「あ、もう帰るんスか?」
「いや、2人の邪魔しちまってるだろ?」
「いえ、いいんです。私もそろそろ帰るので」
リカさんが最後に、お泊りは禁止なので、と付け加えた。真面目な子らしい。
「じゃあ、一緒に出るか」
翔が立ち上がり、電話機の横に置かれていた小さな籠からキーケースを手に取った。
リカさんがバッグを手に取る。ケータイを取り出すと、何やら操作し始めた。
「今から帰るって母にメール打ってるんです。心配するといけないんで」
オレの視線を察知して、リカさんが説明してくれた。
オレと翔、リカさんの3人で家を出る。マンションの下まで来ると、翔は駐輪場に置いてあったバイクのカバーを取り、道路まで引っぱり出した。
翔がヘルメットを2つ出して、1つをリカさんに渡す。もう1つは自分が被り、バイクに跨った。リカさんも臆することなく翔の後ろに座ると、翔の腰に自分の腕を回した。
あぁ、リカさんを家まで送るのか。なるほどね。さすがにこんな時間に女の子を1人で歩かせらんねぇもんな。
「浅倉さん、帰れます?」
翔がオレに向かって言った。
「あぁ、未だ電車あるし」
オレが言うと、翔は笑顔を見せた。オレは手を軽く上げ、駅に向かって歩き始めた。
「浅倉さん」
数歩も行かない内に、背中から翔の声がした。振り返る。
「浅倉さん、香蓮のこと、頼みます」
翔の言葉に、一瞬、息が止まった。翔は、すげぇ真剣な目でオレの事を見ている。
「あぁ」
「香蓮泣かせたら、俺、承知しませんから」
「んなこと、絶対しねぇよ」
そう言ってオレは、にやりと笑った。
やっと手に入れたのに。泣かせてたまるか。
オレの気持ちが伝わったのか、翔もにやりと笑う。そして、バイクのエンジンをかけると「じゃあ、また」と言って走り去った。




