side Karen - 35
「香蓮、明日、俺たち誕生日だろ? 一緒に夕飯行かね? どうせ何も予定入ってないんだろ?」
と翔が突然言い出したのが昨日の夜。
翔の言うとおり、予定らしい予定は入ってなかった。
と言うか、浅倉のことが気になってて、昨日の朝まで自分の誕生日のことなんてすっかり忘れてた。お弁当作りながら、カレンダーをひょいと覘いて吃驚したくらいだし。
翔への誕生日プレゼントも用意してなかったから、昨日の会社帰りに急いで買いにデパートに寄った。翔はお仕事あるって聞いてるし、いつ渡そうかと思ってたところだ。食事に行くなら、そのときに渡せばいいか。そう思って
「いいわよ。どこ行こっか?」
そう私は返事をした。
「俺の友達がやってる店があってさ。そこにしようと思ってるんだけど。口コミで結構評判が広まってるらしいんだ」
「あー、随分前に聞いた気がする。友達がレストラン開くって。そこ?」
「そう、それ。そいつ。さすが、よく覚えてるな、香蓮」
「いいわよ、そこにしましょ」
「じゃあ、予約入れとくな。18時でいい?」
「そんなに早い時間にお仕事終われるの?」
「大丈夫。誕生日だって言って上がらせてもらうから」
本当は、外で食事、なんて気分じゃないんだけど。
浅倉はプレスリリースが終わってからも、まだ少し忙しそうだ。だから私は、相変わらずまともに話せてない。
来週からはまた浅倉と仕事をするように、鈴木さんに言われている。でも、もう私から浅倉に教えなくても、浅倉なら一人でどんどんお仕事して行けると思うんだけどな。
不安には不安だけど、悩んでいても仕方がないし。せっかくだから今日、翔にいろいろ聞いてもらおう。
そんなわけで、私は今、翔に教えてもらったお店の前に着いたところだ。
「さすがに、早く来過ぎちゃったかな……」
時計を見ると、17時半。初めて行く場所だからと早めに家を出たせいで、こんな時間に着いてしまった。
目の前にあるのは、真っ黒い外観の四角い建物だ。木でできた大きな扉の脇の黒い壁に、お店の名前が白くぼんやりと浮かび上がっている。
どうなってるんだろう? そう思って覗いてみたら、間接照明が当たっていた。
なんか、レストランって雰囲気じゃないんだけど……。
でも、いつまでもここにいると、却って変な人みたいだし。
私は思い切ってお店の扉を開いた。
お店の中は、外観の簡素さとは正反対の洗練された素敵な雰囲気だった。
入った真正面の受付カウンターで、タキシードを着た男性が私を目に留め声をかけてくれた。
「ご予約のお名前をお伺いしてもよろしいですか?」
「永野です。多分、永野翔で予約が入っていると思うんですけど」
「承知いたしました。今ご案内いたします」
男性は私を店の奥へと掌を向けた。私はそれに促されて中へと入った。
広いわけじゃない空間に、4人掛けのテーブルが6つだけ。お客さんは未だ私以外に誰もいなかった。
床は絨毯が敷いてあって足音もしない。間接照明で明かりを取っているせいか、なんだか甘い雰囲気もある。
私を案内した男性は、その一番奥のテーブル席まで進んだ。そのテーブルは床から天井まで届くガラスの壁に面している。
その向こう側は、2畳分ほどの小さな中庭になっていた。玉砂利と背の低い竹、そしてやはり間接照明で綺麗に見せている。
男性はテーブルの椅子を引き、私の方を向いた。私が身体を滑り込ませて座ると、丁寧に椅子を押してくれた。
「何かお飲みになりますか?」
男性が聞いてくれたが、私は遠慮して翔を待つことにした。なんだか悪いし。
男性が去り、一人残される。テーブルにはメニューもなかった。翔が先にコースも予約しておいてあるのかしら?
ちょっと、暇だな。
私は行儀悪いかなぁとは思いつつも、頬杖をついてテーブルが面しているガラスの向こうを見やった。
さっきは気づかなかったけど、小さな池もあった。白い玉砂利と水の流れが、蒸し暑い今の季節に涼しげに映る。
なんでもない空間だけど、ずっと眺めているとだんだん落ち着いてきた。最近ずっと凹んでばかりだったから、心が穏やかに和んだ。
そのほっこりした気分に漬かって、私は多分、相当ぼーっとしてたと思う。
だから私は、また受付にいた男性が私の座っているテーブル席にやってきたことに全然気付かなかった。
「失礼します」
男性の声に、驚いて振り向いた。いつの間に来て……。
そこで、私の思考が止まった。
「お連れ様がお見えです」
そう言った男性の後ろに立っていた人は、翔じゃなかった。
――え? 浅倉?
浅倉も私がいるとは思ってなかったらしい。私を見て目を見開いている。
店員さんが私の向かい側の椅子を引き、浅倉に座るよう促した。
浅倉が無言のまま椅子に座ると、店員さんは軽く礼をして去って行った。
え……っと。え? ちょっと、待った。もー、どーいうこと?!
なんで翔じゃなくて浅倉が来るの?
「なんで永野が……」
浅倉が口を開きかけたとき、私の携帯電話が鳴った。この音は、メールの着信音だ。
慌てて受信ボックスを開く。あ、翔からだ。
香蓮、誕生日おめでとー。
そろそろ俺の送ったプレゼントが届く頃だと思うんだけど、どぉ?
ありがたく受け取って、ちゃーんと自分の気持ち伝えろよ?
もし伝える前に逃げられたりしたら承知しねーからな。
すっげぇ姉思いの弟様より
P.S. 俺は今日、カノジョと過ごすから。ごゆっくり。
メールを読みながら、私は自分の頬が熱くなったのを感じた。
何もかもが突然過ぎて、全然頭が回らない。香蓮、落ち着いて考えるのよ?
えっと、つまり。
浅倉がここに来たのは翔の差し金ってことで。
でも浅倉の表情からして、浅倉は私がいることは知らなかったみたいで。
――なんで?
私は、まったくまとまらない思考回路の中、手の中の携帯電話を握りしめた。




