side Karen - 30
翔が部屋から去った後、私は枕元に置いてあった目覚まし時計を見た。11時。翔の言う『昼飯』は、きっと12時くらいだろう。
私は頭から布団を被って丸まった。
そっか。浅倉が、私を。
――お姫様抱っこ、ねぇ……。
ゆっくり休むどころか、なんだか落ち着かなくなった。
何だろう、この気持ち。もやもやする。
そういえば、前にもこんな変な気持ちになったことあったっけ。あれは確か、浅倉に励ましてもらったときと、昼休みに田中さんがお茶を持ってきてくれたとき。
それぞれ違う気持ちだったけど、今の気持ちは浅倉が励ましてくれたときと似てる。
目を閉じると、浅倉のあの優しく私に向ける瞳が鮮明に思い出された。
それが、普段の悪戯っ子みたいな小憎らしい笑顔に変わり、テニスをしているときの一生懸命な表情に変わり、仕事をしているときの真面目な顔に変わり、なんでもない話をしているときのリラックスした表情に変わり、昨日私を「綺麗だ」と言ってくれた笑顔に変わり――
あーもう! 私、どうかしてる。なんで浅倉のことばっかり思い出すんだろ?
あんな目にあったばっかりなのに。
でも本当に、あのとき偶然に浅倉が来てくれなかったら。そう考えるととても恐ろしい。恐ろしいのに。
あの瞳を思い出した途端、今度は浅倉のことばかり思い出す。私の恐怖を包み込んで、もう出てこないようにって封印してくれているみたいに。まるで、浅倉が守ってくれてるみたいに。
――って私、何考えてるの? そんなワケないじゃん。
あー眠れない。
休まなきゃって思ってるのに。
頭の痛みは全然取れない。それどころか、かえってひどくなった気さえする。
私は腕を伸ばして枕元に置いている目覚まし時計を布団の中に引っ張り込んだ。翔が部屋から出て行ってから、未だ10分ほどしか経っていない。
もう、何時間もたったような気がするのは気のせいか。
私は身体を起こした。
相変わらずひどい頭痛はあるけど、なんか横になっていたくなくて。一人でいたくなくて。私は翔のいるリビングへと向かった。
「あれ、香蓮?」
翔はリビングの床に座ってテーブルの上に置いたノートパソコンで何かやっていた。多分インターネットだ。音楽でもダウンロードしてるんだろう。
私は無言のまま、翔の隣に座る。そして頭を翔に凭せ掛けた。
「どうした?」
「眠れない」
翔も無言で私の頭を優しく撫でる。壊れモノに触れるかのような手つきで。
私の口からははっきりと言っていないけど、翔のことだから、昨日私に何が起こったかくらい既に検討がついてるはず。だから、こんな風に気遣ってくれるんだね。でも、私が眠れないのは、別の理由なんだ。
「私ね、なんか、変」
「変って?」
「さっきから、浅倉のことばっかり考えてる。そうしようとしてるわけじゃないのに、頭に浮かんでくるの。昨日のことなんて全然思い出せないのに、今までにあった、浅倉と一緒にいたときのことばっかり思い出すの」
翔の手が止まった。私は構わず続けた。
「でもね、そうしてると胸のあたりがもやもやしてくるんだ。それがなんだかひどく私を不安にさせるのに、昨日浅倉が見せてくれた優しい瞳を思い出すと安心するの。それなのに、安心するのに今度は落ち着かなくなって、全然眠れないんだ」
言いながら、自分の中で何かが明らかになりそうな気がした。
このもやもやした霧のような気持の向こう側にあるものが、だんだんと、はっきりと、見えて来る気がする、そんな気分。
「香蓮さ、前にも俺に同じようなこと言ってたよな? なんでそーなるのか、本当にわかんねぇの?」
「もうちょっとで、わかりそうな気はするんだけど」
翔は口を開きかけて、やめた。
「翔は、わかってるの?」
私は聞いてみた。知ってるなら、答え教えてくれてもいいのに。
「大体の見当はつく。でも、こればっかりは自分で気づいて、理解しといた方がいいと思う」
私はまた膝を抱えて、その中に顔を埋めた。
霧は一向に晴れない。
それなのに、浅倉の顔だけがやたらと浮かぶ。頭の中が白濁してる分余計に鮮明なイメージを持って、浅倉は私に対して悪戯っぽく笑っていた。
翔が私の肩を抱いてくれる。
「浅倉さんのこと、香蓮はどう思ってるんだ?」
「どうって……。同期で、仲がよくて、テニスではライバルで、仕事では同じ部署の同僚で……」
言葉に詰まった。
私、浅倉に対してこんな程度のことしか思ってなかったっけ? もっといろいろ、浅倉のこと見てたはずなのに。
「それだけ? その程度のヤツに対して、そんな風に眠れなくなるくらい考えるか? 鈴木さんや河合さんと同じか?」
「……」
ううん、違うよ。浅倉は、『その程度』なんかじゃない。鈴木さんとも河合君とも全然違う。
浅倉は、何をするにも一生懸命で、でもちょっと悪戯好きで、強引なところもあるけど優しいところもあって、根は真面目で、話しやすくて、女の子にも人気があって……。
そう、田中さんなんかは、明らかに浅倉のことが好きだもの。
そう思ったとき、私の胸のもやもやが私の胸を圧迫した。なんだか苦しい。
「香蓮、またもやもやしてるんだろ」
私の変化に気づいたのか、翔の言葉に私は頷いた。
「そのもやもや、浅倉さんのことを考えてるときにしか出ないだろ」
そういえばそんな気もする。また頷いた。
「やっぱりな」翔はそう言って、私から目を逸らせた。「それじゃ、最大のヒント。さっき香蓮、『浅倉さんのことを思い出すと、安心するのに落ち着かなくなる』って言っただろ? それ、俺がリカに対して思うことと同じなんだけど」
「え?」
翔が『リカ』って、言ったら一人しか思い当たらない。翔の彼女だ。何度も家に遊びに来ているから私もよく知ってる。翔には勿体ないくらい可愛らしい子。
その子に対して翔が思うことと、私が浅倉に対して思うことが同じ?
「あ……」
ようやく、翔が言わんとする意味がわかった。
つまり、私は浅倉を、男性として見ているってこと?
「――どうしよう、翔。私、浅倉のこと、好き、なの?」
「俺に聞くなっての」
翔は赤い顔をしながら言った。




