side Daichi - 29
武田が祝いの言葉を述べ、曲の演奏が始まった。
意外なことに、武田の歌は想像以上に上手だった。しかもアドリブで振りまでつけている。当然、会場は盛り上がった。
オレはその姿を呆れ半分の笑顔で眺め、再びさっきまで永野がいた方に目を走らせた。
――?! いない!
オレは反射的に椅子から立ち上がった。
永野の姿が、そこからなくなっていた。
「浅倉?」
正紀がオレに声をかける。
「永野がいねぇ……」
「え?」
オレはそれだけつぶやくと人ごみの方へと急いだ。
人ごみを掻き分け、最後に永野を見かけたあたりへ辿り着く。周辺を見回したがが、やはり永野らしき女性の姿はない。
くそッ! 目ぇ離すんじゃなかった……!
オレは舌打ちする。
ふと、壁際のテーブルに飲みかけのグラスが置いてあるのに気づいた。近づいて手に取る。
一瞬、オレンジジュースかとも思ったが、ファジーネーブルの香りがする。グラスにはまだ半分くらい残っていた。氷はまだ溶けきっていない。飲み口にはグロスか口紅の跡が見えた。
オレは嫌な予感がした。
アイツ、アルコール弱いはずだよな……。
まさか――?
頭を嫌な予感がよぎる。
とにかく、早く永野を探さねーと。
仮に、永野がアレを飲んでたとしたら。永野だったらどうするか。考えろ。
水を飲む。身体を休める。でも、その場所は? あの会場か?
普通なら会場で休んじまうトコだろうけど、永野だったら多分……。
すぐそこに、披露宴会場の出入り口となっている扉が見えた。その向こうにはオレが永野を待っていたエントランスがある。
そうだ、永野なら多分、エントランスのソファまで行こうとする。お祝いに来てるヤツらに気を使わせないように。
とにかく行ってみるか。クロークのスタッフにも見かけたかどうか聞いておきたいしな。
オレは武田の歌声に包まれている披露宴会場をそっと後にした。
エントランスへ続く廊下は、披露宴会場よりも照明が落とされていて暗い。
目が慣れるのに少し時間がかかった。
奥の方にスーツを着た男の後ろ姿が見える。そいつの隣にも誰かいるみてーだけど、男の影に隠れてしまっていてよくわかんねー。
「決められないんなら、俺が決めちゃうよ?」
男がそう言っているのが聞こえてきた。
酔っ払いか? 誰かと肩組んでるみてーだけど。絡まれたくねーな……。
エントランスは、アイツらのいる所の向こう側。まぁ、仕方ねぇか。
オレは歩き出した。
歩を進めるにつれて、影になっていた人が少しずつ露になってくる。
近づくにつれて、オレの動悸が速くなり、嫌な予感が強くなった。
肩を組まれていた人が、男を大きく押し退けようとした――ように見えた。
そのとき一瞬、オレの目に飛び込んできたもの。
見覚えがあるシルバーのサンダル。
あれは――。
咄嗟にオレは走り出した。
「香蓮!!!」
オレは香蓮の肩にかかった男の腕を掴み、強引に引き剥がした。反動でバランスを崩した永野の腕を逆の手でオレ自身の方へ引っ張る。
永野は人形のように何の抵抗もなくオレの方へ倒れ込んできた。
血の気のない表情。その瞳がオレの姿を捉えた。
「おい、永野! 大丈夫か?」
永野の唇が何かを訴えて微かに動く。すぅっと瞼が閉じていく。
それがスローモーションのようにはっきりと見えた。
「永野!」
声をかける。脈を取る。やたら速いが動いている。息もしてるみてーだ。
――気を失ったのか。
オレは永野の背中に腕を通して細い肩を抱く。反対の手で腰を抱き、苦しくないように頭をオレの胸にもたれさせた。
安心すると同時に、憤怒という相反するものがオレの内側から溢れ出る。
オレは男を睨んだ。
「てめぇ……! 香蓮に何した?」
「お、俺じゃない。俺が声掛けた時にはもう酔ってたんだ。俺は頼まれて――」
「頼まれただぁ?」
ふざけんじゃねーぞ!?
「浅倉さぁん……あっ!」
女性の声がした。振り向くと、女性が口に手を当てて突っ立っている。どっかで見たことある気のする女だ。ただオレに声をかけた割には、その目線はオレじゃなくて、オレの向こうにいる男を捉えていた。
なんだコイツら知り合いか?
男の方を見ると、青ざめた表情で女を見返していた。
「浅倉?」
また別の声。この声は知ってる。正紀だ。固まっちまってる女の後ろからこちらの方へ近づいてきた。
「永野さんだけど……」
言いかけて正紀は口を噤んだ。
青ざめた男、オレ、オレの腕の中で気を失った永野、そして口元を押さえたままの女。この奇妙な状態を一瞬だけ驚いた表情で見つめ、そしてすぐに表情を厳しくし、素早くオレの下へ来た。
「永野さんは?」
「アルコール飲んじまったらしい。気ぃ失ってるだけだ。大丈夫」オレはそう言いながら男を睨んだ。「――だよな?」
「あ、あぁ……」
男は立ち尽くしたままだ。
「そう、よかった」正紀がホッとしたように微笑んだ。「後始末は僕がやっておくから、浅倉は永野さんを家に送ってあげてくれる?」
「いや、アイツを一発殴らないと気が済まねー」
息巻くオレの肩に正紀が優しく手を置いた。
「頼むよ。今は永野さんの心配をしないと」
オレは奥歯を食いしばり……大きく息を吐き出した。腕の中に収まっている永野を見つめる。
そうだ。今は永野を休ませてやんねーと。
「香蓮ッ?!」
廊下に甲高い声が響いた。間違いなく武田だ。
飛び込んできた武田は、正紀を押し退けて永野の表情を覗き込む。
「ねぇちょっと! 香蓮、大丈夫なの?」
「あぁ」
正紀が武田に気を失ってるだけだと説明し、最後に付け加えた。
「武田さん。申し訳ないんだけど、タクシー呼んできてもらえるかな。浅倉に送ってもらおうと思うんだ。それと、永野さんの荷物を持って来てもらっていい?」
「わかった」
武田は首を大きく縦に振って頷くと、クロークの方へ駆けて行った。
「さて」正紀が腕を組んだ。「あなたに話を聞きたいんですけど、いいですか?」
声をかけられた男は、さらに青ざめた顔で頷いた。
「あ、あなたもですよ。えっと、田中さん……でしたっけ?」
正紀は女性の方にも声をかけた。
「わ、私は偶然……」
「……」
正紀が無言で女性を見つめる。その表情を見てオレは息を飲んだ。正紀の表情からいつもの笑顔が消えていた。かといって、目くじらをたてているわけでもねー。でもこんなに恐ろしさを感じる表情を見るのは初めてだ。
「浅倉君、タクシーすぐ来るって」
クロークの方から、武田が戻ってきた。その腕には、永野が預けたジャケットが掛けられている。
オレはいったんしゃがみ、永野の背中と膝の裏に腕を通すとそのまま持ち上げた。武田が永野の脚が隠れるようスカートを整え、上からジャケットと永野のバッグを乗せてくれた。
「正紀、武田さん、悪ぃな」
「大丈夫、任せて。鈴木さんにも上手く言っておくよ」
「香蓮のこと、頼んだからね」
「あぁ」




