side Daichi - 25
黄色いボールがまっすぐにオレの前に飛んできた。
オレは注意深くボールを見ながら背中に引いていたラケットを振る。
ガットに触れた刹那一瞬ボールが消える。すぐに前方を見やった。ボールの軌道を確認する。
よっしゃ、狙い通り。
ボールはネットに沿うようにすれすれを越え、オレたちのいる方とは反対側のネット際に落ちる。そのままコートの外に出た。
「試合終了! 浅倉・武田ペアの勝ち!」
声高らかに審判が宣言する。
武田が寄ってきた。「やったね、浅倉君」とハイタッチを求めてくる。
でも、全然オレに届かねー。オレは顔の前に揚げられた手に自分の手をパチンと合わせた。
週末。梅雨の季節だから諦めてたのに、今日はなんとか持ちこたえてる感じの曇り。サークルが開催されるって言うから出てきている。
正紀は今日、彼女の誕生日だからってサークルを休んでる。まぁそれはいいとして。
だからオレと永野と武田の3人で参加してるんだが、永野は今日はベンチ組なんだそうだ。オンナの事情があるらしい。……まぁ具体的に言われなくても大方の予想はつく。
っつーか、それならわざわざ出てくるなっつーの。
そんなわけで、今日はオレと武田でペアを組んでるわけだ。
試合前に武田に聞いてみた。
「アイツ、何で休まなかったんだ?」
「ごめん、私のせいかも」
武田は肩を竦めて苦笑した。
事情を聴くと、本当は永野は休もうとしたらしいが、武田が『永野が出ないなら自分も休む』と口に出したところ、それなら行くと言いだしたらしい。
なんでだ?
永野は調子が悪いなんてことを微塵も感じさせない表情で、ベンチに座っている。
「浅倉、武田。どっちかに次の試合の審判頼めるか?」
先輩がコートを去ろうとしていたオレたちに声をかけてきた。
「いいっすよ」
オレは答えて、ラケットを肩に担ぐと審判台の方を向いた。
「あ、私やるよ」
武田がオレの服を引っ張った。
「いいって。武田さんは休んでろって」
オレは振り返り、武田の手を服からはがした。
「ちょっと、浅倉君!」武田の声が少し大きくなる。「さっきの試合、浅倉君の方がたくさん動いてたし、疲れてるでしょ? 水分も補給しなきゃだし。だから休んでて」
言葉は優しいが、なんっつーか、目には有無を言わせない威圧感が込められていた。オレはちょっとたじろいだ。
「……わかった」
「それとね?」
「ん?」
「香蓮の傍にいてやって?」
武田は小声で付け加えると、審判台の方へ走って行ってしまう。
アイツ、気を利かせたつもりか?
ベンチの方を向く。永野は相変わらずそこに座ったままだった。
「疲れた」
オレはそう言いながら、永野の隣に腰を降ろした。
「あれ? 真由子は一緒じゃないの?」
「武田さんなら、向こうの試合の審判頼まれて行っちまった」
オレはラケットで武田の座る審判台を指す。永野がその方向に目を走らせた。
「あ、ホントだ」
オレはラケットを下ろし、ベンチにもたれた。
「さすがに鈴木さんは今日、来てないね」
「結婚式、来週だろ? さすがに無理だろ」
永野の言葉に、オレは答えた。結婚式の前に怪我でもしたら大変だ。
それにしても、また『鈴木さん』か。別にいいんだけど。いや、よくねーけど。
前よりは気にならないけど、やっぱり気になるよなー。永野の口から男の名前が出てくると。こないだの一件もあるし。
「そういえばさ、私たちって、何時に会場に着いてなきゃいけないのかな? 浅倉、知ってる?」
永野がオレの方を向いて聞いた。
「永野、鈴木さんから聞いてねぇの?」
「うん」
「鈴木さんがそーいう用件伝え忘れるなんて、実は結構テンパってんだな」
「浅倉に言えば伝わるって思ったんじゃない?」
「もしかしたらそうかもなぁ」
っつってもなぁ。勝手にそう思われても困んだけど。まぁいいか。
「あぁ、で、一応、17時半に来てくれってさ。開場が18時で開宴が19時だから、まぁそんなもんだろ」
「17時半、ね」
永野が言う。そして思い出したように自分のバッグを手に取った。中から手帳を取り出して開く。
別に覗こうとしていたわけじゃない。けど、永野が全然隠そうともしないから自然と中が見えちまう。
永野の手帳は、カレンダーみたいに見開きで1か月を書き込めるタイプのものだった。
永野はオレのことなんかお構いなしで、6月のページを開くと、手帳カバーに引っかけていた小さなボールペンで何かを書き込む。多分、20日の欄に、待ち合わせ時間を書いてるんだろう。
普段はオレたちとどっかいく約束しても、書きもしねークセに。
ふと、オレの目が、その1行上に書かれた文字を捉えた。
『翔と買い物』
翔? 買い物?
1行上つったら、1週間前。正紀と渋谷に行った日だ。じゃあ、『翔』っつーのはあの男の名前か。
誰だ、翔って?
武田に聞いたら、知ってるかな……。
「浅倉?」
目の前で何かが動いた。焦点がそれに合う。手だった。永野がオレの方を覗いていた。
「ん? おぉ」
「聞いてた?」
「いや、すまん。なんだっけ?」
オレ、声掛けられてたのか? 全然気付かなかった。
「17時半に現地集合でいいんだよね?」
「そうだな。それでいいんじゃね? あの式場、駅から近かっただろ?」
オレはそう言いながら、自分のバッグからペットボトルを取り出した。
翔、か。
誰だか分かんねーから、余計に気になるじゃねーか。




