side Karen - 19
月が変わると、月末処理も途端に落ち着く。
もちろん忙しくなくなるわけじゃない。
自分の仕事はたくさんあるし、浅倉にも仕事を教えなきゃいけないし、高田さんや白井君や万里ちゃんの面倒を見なきゃいけないし、先輩たちの手伝いをしなきゃいけない。
だけど、久しぶりに平穏な1週間を過ごせた気がした。
最近の浅倉は、なんか、やたらと機嫌がいい。
何かいいことでもあったのかな。
もしかしたら、役員プレゼン関連で、鈴木さんとも仕事をするようになったせいかもしれない。
やりがいを感じてるのかも。
そんな風に過ごしていたら、1週間なんてあっという間で。
「香蓮、明日、行けるよな?」
土曜の夜、夕食を食べ終わった後、翔が言った。
「明日?」私はちょっと考えて、すぐに思い出した。「あ、お買いもの……明日だっけ? もうそんな日?」
そう言えば、自分で手帳に書いた気がする。あれ以来見てないけど。
「香蓮、忘れてただろ」
「ごめんって。大丈夫、思い出したよ。結婚式の服でしょ?」
「ったくもー、香蓮は……。自分のことだろ?」
翔が呆れてため息をつく。
「そ、そうそう、鈴木さんの披露宴の会場ね、普通の結婚式場みたい。ハウスウェディングの会場を貸し切ってやるんだって」
「そっか。じゃあやっぱりドレスの方がよさそうだな。そーだ、香蓮。明日、そのまま夕飯も喰って帰ろうぜ」
「うん、いいよ」
翔と2人で出かけるのは久しぶりだ。
次の日の朝、私は翔に追い立てられるように支度を始めた。
9時半に家を出るなんて聞いてないっ!
のんびりお洗濯してたら、「香蓮、買い物って時間かかんだぞ?」って翔に怒られてしまった。
私、そんなに時間かけて洋服選んだことなんて1回もないんだけど。
さて。今日は何を着よう?
自分の部屋のクローゼットの前で、私は一人ため息をついた。
とりあえず、インディゴ色のスキニージーンズをクローゼットから引っ張り出す。
問題はトップス。いっつも迷うんだよね。
タンスを開けるのも面倒くさいや。
ハンガーに掛かっていた白い綿のチュニックを手に取った。スクエアネックの淵にはレースがあしらってある。スリーブだけはサテン地。いわゆる異素材ってやつで、ドレープが効いている。
手早くそれに着替えて、ウエストにバックスキンの太めのベルトを巻いた。
最後にレース地の靴下を履いて、ハイ、準備完了。
私がリビングに戻ると、翔はとっくに準備を終えていたらしく、カフェチェアに座って新聞を読んでいた。
「翔、お待たせ。準備できたよ。行こ?」
翔は私を見て、少しだけ眼を鋭くした。新聞を置き、腕を組んで呟く。
「香蓮は、服のセンスは悪くないんだよなー」
翔は踵は床につけたまま、つま先を床に小刻みに打ちつけた。
ビンボーゆすりってヤツだ。
「翔、それ行儀悪い……」
「香蓮、俺たち今からどこに行くんだっけ?」
「渋谷でしょ?」
「そうだよな。渋谷だよなぁ。それはわかってるんだよな」
翔はため息をついた。
「どうしたの? 行かないの?」
「ごめん、電車、遅らせる」
「ええっ?」
せっかく急いで準備したのに?
翔はリビングの真ん中にあったテーブルを壁際に移動させ、代わりにさっきまで自分が座っていたカフェチェアを設置した。
「はい、香蓮はここに座る」
私は翔に引っ張られて、部屋の真ん中にポツンと置かれた椅子に座らされた。
「???」
とりあえず、大人しく言われたとおりにしておこう。
翔はリビングから出て行こうとした。私も立ち上がりかける……と行ったはずの翔の上半身だけが扉の影から見えた。
「動くなよ?」
「……ハイ」
翔はすぐに戻って来た。手にはシルバーのハードケースを持っている。
「何するの?」
「いーから」
翔がケースを開けると、そこにはメイク道具と思しきものが綺麗に整頓されて入っていた。
「あ、これ、俺の仕事用のバニティケースね」
私に笑いかけながら、翔が説明してくれる。そして、私の頬を右手の中指ですっと指で撫でた。
「香蓮、今、スッピン……だよな。朝、肌の手入れした?」
「えっと、顔洗って、日焼け止め塗った」
「……それだけ?」
「うん」
「あっそ」
翔は言いながら、コットンに何か液体を染み込ませた。
え? 何するの?
「しばらくの間、じっとしてろよ? ちょっと肌を整えて、メイクすっから」
えぇっ?!
私が絶句していると、翔が笑った。
「大丈夫だって、オレ、一応プロだぜ?」
「私、そんなに不安そうな顔してる?」
「してる」
「……」
翔がコットンで私の顔を拭っていく。
その後、また別の液体を新しいコットンに含ませて、今度はぺたぺたと肌を叩く。
「これ、化粧水な。さっきのは拭き取りタイプのクレンジング。んで、次は乳液」
次から次へと翔が私の顔に何か施していく。
なんだか、自分がケーキにでもなった気分……。
「香蓮、ちょっと目瞑って?」
翔は私に何度も目を瞑らせたり開けさせたりする。
私が目を閉じると、翔は右目のその上を優しく上に引っ張って、瞼に何かする。ちょっとくすぐったい。あ、反対もやるのね。
「はい、開けて?」
私は瞬きした。
翔が私から1、2歩離れた位置で、私の顔を覗き込んでいた。その表情はすごく真剣だ。
「こんなもんかな」
最後に翔は大きな刷毛みたいなもので、両頬をなぞった。




