side Karen - 18
「そろそろ帰るか?」
時計を見ると、もう日付を超えそうな時間になっていた。
いつの間に……。
6時間近く、ここで2人で話してたことになる。
「そうだね」
注文したものはもうとっくに全部出されていて、最後は2人で飲みながらお話してるだけだった。
たった2人で、よく話題が尽きなかったなぁ。しかも私、素面だし。
「――すまん、ちょっと、行ってくる」
浅倉がそう言って席を立った。多分、お手洗いだ。
その隙に、私は店員さんを呼ぶ。
「すみません、お勘定いいですか?」
「あ、ハイ」
その子がレジの方へ行き、すぐに小さな紙切れを持ってきてくれた。
値段が書かれている。
あ、安い。
たくさん飲んだし(浅倉が)、あんなに食べたのに(これは私)。
私は財布から諭吉さんを1枚と夏目さんを数枚出し、店員さんに渡した。
美味しいし、安いし、確かにいいお店だ。また来よう。
「すぐ、お釣りをお持ちします」
その言葉通り、お釣りをトレイに入れて持ってきてくれた。
私が財布をバッグにしまった直後、浅倉が帰ってきた。
「お待たせ。じゃあ、行くか」
「うん」
私はバッグを持ち、立ち上がった。
レジの前で、浅倉がパンツの後ろのポケットから財布を出そうとしているのが見えた。
私はその後ろを通り過ぎるときに、浅倉の背中をポンと叩く。
「浅倉、もう終わってるよ」
「は?」
レジに立っているのは、さっき私が精算をお願いした店員さんだった。
ちょっと言いにくそうに、浅倉に小声で告げる。
「あの、先ほど、あちらのお客様が……」
その声を聞きながら、私は先にお店を出た。
すぐに浅倉も出てきた。あ、ちょっと怒ってる。
「お前なぁ、勝手に支払とかしてんじゃねーよ」
「だって、奢るって約束だったじゃん」
「だからってなぁ。いくらだった?」
「まぁいいじゃん。気にしない気にしない」
浅倉が未だ何か言いたそうな顔をする。グチグチ言われるのが嫌だったから、私は先に歩き始めた。
後ろから浅倉が走って来て、肩を組んでくる。
「じゃあ、せめて家まで送らせろ」
「そんなのいいって……」
「また即断かよ。お前なぁ、ちょっとは学習しろって」
私の肩から浅倉の腕が消えた。そこにあった温もりも。
なんか、寂しくなる。
――ん?
何、『寂しい』って???
気のせい、だよね。
浅倉と2人で、繁華街の中を歩いた。
お互いに特に確認したわけじゃないけど、なんとなく、同じ駅に向かう。
この前、私を送ってくれたときと同じように。
電車の中は、この前よりも混んでいた。
あのときよりも随分遅い時間なのに。週末だからかな。
やっぱり浅倉は、私をドアの脇に立たせて、自分は向かい合わせになってスタンションポールを握った。
立っていられるスペースはこの前よりも狭かったけど、全然窮屈じゃない。
浅倉が、私が他の人に潰されないように立っていられるスペースを浅倉が作ってくれているんだと、ようやく気付いた。
本当にさり気ない仕草だから、この前はわかんなかったよ。
浅倉は平気な顔してるけど、背中や腕を外から押されたりして、結構辛いはず。
――なんで浅倉は、こんなに優しくしてくれるんだろう?
ふとそう思ったけど、私の中にその答えはなかった。
私の下りる駅に着いた。
「じゃあ、おやすみ」
せっかくそう言ったのに、何故か浅倉も一緒に降りてしまった。
え?
そう思ったときには、もう電車のドアは閉まっていて。
ホームに、2人っきり。
電車は浅倉を置いて行ってしまった。
「ちょっ、浅倉?!」
「家まで送るっつったろ?」
浅倉は笑顔で言い、私の背中を押した。
確かに、そんなこと言ってたような気もするけど。
「そんなのよかったのに。私の家、すぐそこだよ?」
「そうは言ってももう夜遅いからな」
「だからって、なんで?」
「オレ、一応男だし。女が一人で歩くよか、安心だろ?」
「そうじゃなくてっ!」
そんなことすると、浅倉が遠回りになっちゃうじゃん。
私の家まで歩いて、また駅に戻って、電車に乗って。
未だ終電の時間ってわけじゃないけど、電車の数だって随分少なくなってるし。
「『まぁいいじゃん。気にしない気にしない』」
浅倉がさっきの私の口真似をする。
むっ? なんか、ムカつく……。
私の住んでいるマンションまでは、駅から10分ほどで着く。
この辺りは住宅が多いから、さすがにこんな時間じゃあまり大きな声で話せない。
それでも、私たちは何だかんだとどうでもいいことを話していた。
いつもは1人の帰り道。真っ暗なのに、2人だとなんでこんなに明るく感じるんだろう。
マンションの前に着いた。私が立ち止まると、浅倉も止まった。
「ここか?」
浅倉がマンションを見上げた。
「うん。ここの、303号室」
「へぇ。いいとこじゃん」
「送ってくれてありがと」
「いーえ。結局奢られちまったしな。せめてこれくらいはしねーと」
「奢るのは約束だったでしょ?」
「オレは奢られるつもりなかったんだよ。『奢れ』とは言ってねーだろ?」
「そーだっけ?」
「そーなの!」
なんとなく、間が空く。
特に話題があるわけじゃないけど、このまま家に入るのはなんだか気が進まない。
でも、何、この、微妙な空気は?
「電車、なくなっちゃうよ?」
私は言ってみた。
「あぁ、そうだな」
「駅まで、戻れる?」
「あぁ」浅倉が、ふと表情を崩した。「あ、永野? ――ゴミついてる」
「ん?」
浅倉の手が顔に近付いてきて、私は反射的に目を閉じた。
その手が、左目の下に触れた。多分、親指がそこを優しく擦る。
と同時に、額にも、何かが触れた。
ん?
閉じていた目を開ける。何だったんだろう、今の。
浅倉の手は、もう私の身体から離れていた。
ねぇ浅倉、今、何したの? そう聞こうとしたのに。
「それじゃ、おやすみ」
浅倉が微笑を残して歩き去って行く。
「あ、うん。おやすみ……」
私はその背中が見えなくなるまで見送った。




