side Daichi - 3
「それ、オレにも頂戴」
オレはそう言いつつ、永野の持っていたペットボトルを奪った。そのまま注ぎ口を自分の口に付ける。
それが間接キスになるのは百も承知だ。わかってやってるんだから。
永野には、オレがそういうことを気にしない人間だと思われてるみてーだけど、そうじゃない。
こういうことをするのは、相手が永野だから、だ。
はぁ。ちょっとでも注意してりゃあ、オレがこんなことするのが永野に対してだけだって気づきそうなもんなんだけどな。
だいたい、毎回素直に飲み物奪われてんじゃねーよ。
学習しろっての。
横目で永野を伺うと、まず表情が引きつり、次にこめかみが吊り上がる。
まるで百面相だな。おもしれー。
「ん」
オレはひとしきり飲むと、上機嫌で濡れた唇を拭いながら、反対の手で永野にペットボトルを返した。
永野が無言でそのペットボトルを引っ手繰る。
おー、睨んでる睨んでる。目がこえー。
オレはその目線を受け流して、澄ました表情を保つ。
永野は首に掛けていたタオルの端で、オレが口を付けた注ぎ口を綺麗に拭き上げ、それから自分の口に当てた。
はぁぁ。
いや、わかってたけどね。
毎度毎度、結構ショック受けてんだよな、それ。
なぁ、永野、そんなにオレとキスすんのが嫌なのか? たとえ間接キスであっても。
「あのなぁ……オレはバイ菌かよ」
つい、堪りかねてそんな言葉を発してしまった。
「あれ、違った?」
正直、グサッと来る。
それを気づかれたくないもんだから、ニヤリと笑って、つい、軽口を叩いてしまう。
「いいじゃん、オトコ同士なんだし、そんなにいちいち気にすんなって」
「誰がオトコかっ!」
すっこぉぉおん!
目の前を星が舞った。
「いい音♪」
「いってーなぁ」
永野のヤツ、後頭部を狙いやがって。オレはテニスボールじゃねーっての。
お前は力があるから、例え空のペットボトルでも殴られると痛いんだよ。
永野は満面の笑みだ。左右からも笑い声が聞こえた。
くっそ、正紀も武田も、覚えとけよ。
コートの方からも押し殺した笑い声がする。見ると鈴木さんだった。
「今のは、誰がどう見ても浅倉が悪い」
「あっ、鈴木さん。今のって、見ちゃいました……よね?」
永野が上目遣いで鈴木さんに聞いている。オレには見せたことのない表情だ。
悔しさとやるせなさが膨れ上がる。
胸の奥に黒い靄が広がっていくのがわかる。
「永野さん、ごめん。バッチリ見た」
苦笑して言う鈴木さんに、永野は落胆のため息をついていた。
鈴木さんと張り合っても仕方がないことくらい、わかってる。
側にいるから余計にわかる。自分が未熟者なんだって思い知らされる。
仕事にしても、永野の事にしても。
「相変わらず仲がいいね、香蓮と浅倉君って」
オレの雰囲気に気づいたのか、武田が笑顔で平然と言ってのけた。
「ちょっと真由子っ、これのどこが『仲がいい』のよッ!?」
永野の表情は、明らかに焦っている。
間髪入れず、鈴木さんが頷いた。
「そうなんだよな。部署でもこの2人すっごく仲がいいんだよ。俺、初め、2人は付き合ってるんだって思ってた」
あ、永野がフリーズしてる。
それにしても、鈴木さんも相当鈍い。
もしかして、会社で永野がいつも目で追ってるの、気づいてないのか?
とりあえず静観することに決めて、オレは首を回すストレッチをした。
「ちょっと浅倉、アンタも何か言ってよ」
永野がオレに言う。
オレに反論せよと言うか。
「ん? 何が?」
聞いてなかったフリ。
「だ・か・ら、『仲がいい』って話!」
「――別に、仲が悪いわけじゃねーんだから、いーじゃん。ま、曲解はされてたみてーだけど」
できればオレとしては、曲解じゃなくなって欲しいんだけど。
でも、それは言えない。
言ってしまえば、永野が、もう2度とオレに笑いかけてくれなくなっちまいそうだから。この心地いい関係を、壊したくない。
「やっぱり違うのかぁ」
鈴木さんが、さも残念そうに言う。そして同時に、思い出したように手を打った。
「あ、そうだ。浅倉、永野さん、ちょっといい?」
「なんっスか?」
オレは立ちあがると、鈴木さんは歩き出した。
ん? 移動すんの?
仕方なく、右手に持ったラケットを肩でバウンドさせながら後を追う。背中越しに、永野の気配がした。
先ほどのベンチから少し離れた木陰で、鈴木さんが立ち止まった。
「ちょっと2人にお願いがあるんだ」
「何ですか? 私でできることなら、もちろんやりますよ」
笑顔で言う永野。
「永野さんになら安心して任せられるよ」鈴木さんも笑顔になる。「実は、来月の披露宴でさ、浅倉と永野さんに受付を頼みたいって話なんだ。いいかな?」
「もちろんいいですよ」
え、マジかこいつ? 惚れてるヤツの披露宴の受付なんて、よくやるな。オレだったら、永野にそんなこと頼まれたら、きっと引き受けらんねー。
鈴木さんが、浅倉は? といった目つきでオレを見る。
「オレもいいですよ。来るのって会社の人たちばっかりなんですよね?」
「ああ。あとは、俺と志保の学生時代の友達が少し参加するかな。まぁ、ほとんどの人はわかると思う。もちろん、参加者名簿も作るし。じゃあ、2人とも了解ってことでいい?」
「ええ」
「さんきゅー。助かるよ。よろしく頼むな」
鈴木さんは、本当に幸せそうに微笑んだ。




