side Karen - 13
家に着くと、翔がいた。
あ、そうか。今日は月曜日だから、美容院休みなんだ。
「香蓮、お帰り。遅かったな。夕食作っといた――って、おい、大丈夫か? 熱あるんじゃねぇ?」
翔の手が、私の額に伸びる。
「ん、大丈夫」
「そうみたいだけど……なんか、顔が真っ赤」
その言葉に、身体から力が抜けていく。私はそのまま翔にもたれかかった。
「翔~」
「うわっ、どうした香蓮?」
「私、なんか、変……」
「いや、それは見ればわかるから。何かあったのか?」
「あったような、なかったような……」
「それじゃわからん」
「今日の帰り、浅倉に送ってもらった」
「へぇ」
「浅倉が、そんな柄にもないことするから、なんか胸のあたりがもやもやする」
私の言葉に、翔が硬直した。
でも、それはほんの一瞬で、すぐに私を宥めるように背中をポンポンと叩いてくれる。
「なんで、そんなにもやもやするのかね?」
「わかんないよ、そんなの。なんかスッキリしない。気持ち悪い」
翔がため息をついた。
「自分のことだろ? わかんねーの?」
「うん……」
確かに、その通りなんだけど。そのはずなんだけど。
なんで、私、こんなにもやもやするんだろう?
――よくわからない。
でもきっと、考えない方がいい。
今日は木曜日。
あれから3日目。
浅倉は、まるであの日のことを忘れてしまったかのように、私に接してくれている。
アイツなりの気遣いなのかな。
おかげで私も特に意識せずに済んでいる。
ただ、一つだけ気になることがあったりして。
浅倉は本気で『夕食を奢れ』って言ってたのかな、っていうこと。
今、私は会社にいる。
始業後2時間程かけて、浅倉が昨日までに仕上げた書類処理の仕事をチェックしていた。
先月教えたばかりの仕事だというのに、浅倉はミス一つなくやり果せていた。
まったく。高田さんに、浅倉の爪の垢を煎じて飲ませてあげたいよ。
同じようなミスをしょっちゅう仕出かす高田さん。締め切りを忘れていたり、処理するのに必要な書類が抜けていたり。彼女に仕事を任せると、どこか不安が付きまとう。
でも浅倉は、そんなことがない。堅実にきちんとこなす。未だ処理するのに時間はかかっているけど、それは慣れの問題だ。
「浅倉、チェック終わったよ。全部OKだった」
言いながら、私は席を立ち、浅倉の側に寄る。
「マジで? よかった。サンキュー」
「じゃあ、課長に承認もらって提出しておいて」
「おぉ」
浅倉はキーボードを叩いていた手を止めると、私の差し出している書類を受け取った。
浅倉の肩越しに見えたパソコンの画面には、今度出る新製品の外観が映し出されている。
「それって、プレゼンの?」
私は聞いてみた。
「あぁ。今日の昼までに終わらせねーと」
そういえば、そうしろって私が言ったんだっけ。
「そこまで気にしなくっていいよ?」
「そういうワケにはいかねーだろ? お前だけじゃなくて、鈴木さんにもチェック入れてもらわなきゃなんねーし。午後には鈴木さん帰ってくるんだろ?」
鈴木さんは今日、朝からずっと外に出たままだ。取引先さんに用事があるらしい。
「それに、準備が終わるのは、早ければ早いほどいいしな」
まぁ、確かに浅倉の言う通りだ。
「どこまでできた?」
「あとちょっと」
私はちょっと屈んでディスプレイを覗き込んでみる。
浅倉が椅子から立ち上がった。多分、私に座れと言ってるんだ。
そこまでしてくれなくてもいいのに。
そう思いつつ、私はありがたくそれを受けることにした。
私はマウスを手に取り、画面を切り替えてみた。
「さっすが、操作慣れしてんなー」
感心しているらしい浅倉の呟きが聞こえてくる。
浅倉が作っていたのは、スライドショーのファイルだった。浅倉の言葉通り、ほとんど終わっていると言っていい。
昨日の朝にも一度確認してはいた。
早い段階で作り込み過ぎてしまうと、後からの修正が大変だから、何か指摘することがあれば早い方がいいはず。そう思って。
スライドショーは、そのときに指摘したことはきちんと直っているみたいだ。
私は、既にできている分を、表題のページから全部確認していくことにした。スライドショーは、パッと見たときの印象が大事。
文字の大きさ、各オブジェクトの位置、1ページの情報量、バランス、色使い――
でも、私の心配なんて全くの杞憂に終わった。
浅倉の作っているファイルは、私が口出しできないほど上手に作られていたから。
「すごい」私は呟いた。「こういう資料は初めて作るって言ってなかったっけ?」
「あぁ、初めて。だから、前回、お前と白井君が作ったっていうファイルを参考にさせてもらってる。白井君がわざわざ送ってくれたからな」
「あ、なるほどね。とりあえず、今できあがってる分は、思ってたよりもずっと綺麗に仕上がってるよ。予想外」
そう言いながら、私は浅倉の声がする方向に振り向いた。
ひゃぁっ!
思っていたよりもずっと近いところに、浅倉の顔があった。
声を上げそうになったのを辛うじて堪える。
浅倉は、両腕のそれぞれを椅子と机に突っ張って体重を預け、私の肩越しに画面を覗き込むようにして立っている。
さり気なく、私は浅倉から離れるように上半身を移動させた。
「予想外ってひでぇ言い方だなぁ。人がせっかくがんばってんのに」
そう言いながら、浅倉は両腕を置いていた場所から外し、上に挙げて伸びをした。
「それにしても、すっげー神経使うんだな、この作業」
「そりゃ、社長や取締役の方々が見る資料だもの。神経使って当然でしょ?」
私は使わせてもらっていた椅子から立ち上がる。
「思ってたよりずっと難しい。ちょっとナメてた。もうちょいかかりそうだ」
「手伝う?」
「いや、いい。お前はお前の仕事をやれよ。それが終わっても未だオレができてなかったら、そのときは頼む」
「わかった」
実は、私自身が結構ヤバいんだよね。
飛込みの仕事や他の人に頼まれたことをやっていると、どんどん時間が進んでいってしまう。
本当に今週中に終わらせられるのかなぁ。
タイムリミットは、明日の夜。
ちょっと不安になってきた……。
自分の席に戻ると、私は真っ先にメーラーを立ち上げた。
同期メンバーを宛先に入れて、サブジェクトには『(T_T)』の顔文字。
本文に『ごめん、今日・明日はランチ無理』とだけ書いて送信した。




