side Karen - 12
私たち2人、エレベーターで降りる。
狭い空間。なんとなく、お互いに離れた場所に立ってしまって。
2人とも無言だった。
私は、さっきの浅倉の言葉をずっと頭の中でリフレインさせていた。
『鈴木さんみたいになるから』
『オレを頼れ』
あれは、どういう意味だったんだろう……。
エレベーターが止まり、扉が開いた。マーケティング企画部のある階に着いたのだ。
フロアにはもう誰もいない。
マーケティング企画部の区画にある明かりだけが、青白く光っていた。
「今日はもう帰るだろ?」
時計を見ると、とっくに20時を回っていた。
「うん、そうするよ。明日もあるし」
「お前も電車通勤だったよな。駅まで送る」
「え? 別にいいよ。すぐそこだし」
ここから私の家の方に向かう電車の駅までは、500メートルほどしか離れていない。
歩いて10分もかからない距離だ。
浅倉も電車通勤のはずだけど、確か、路線が違うから、使ってる駅が違うはず。
遠回りになっちゃうじゃん。
浅倉は、またため息をついた。
「お前なぁ、男が『送る』っつってんだから、『ありがとう』って素直に送られときゃいーんだよ」
急にどうしたんだろう。
私のこと、いつも男扱いしてるのに。
突然女扱いされると、どうしていいのかわからなくなっちゃうよ。
私は無言のまま、開きっぱなしだったファイルを全部保存して、パソコンの電源を消した。
浅倉もパソコンを消し、立ち上がる。
「消すぞー」
私がフロアを出るのを待って、浅倉がフロアの電気を消し、オフィスの出入り口の扉を施錠した。
薄暗い廊下を、非常等の明かりを頼りに歩く。
足音が妙に響いた。
ロッカールームで携帯電話とジャケットを取り外に出ると、浅倉が待っていた。
「お待たせ」
「それじゃ、行くか」
浅倉と2人、揃わない肩を並べて歩き始める。
そうか。
私は、唐突に理解した。
急に浅倉の態度が変わったわけじゃないんだ。
きっと浅倉は全然変わってなくて、私の受け止め方が変わっただけ。
つまり。
今までずっと、気づこうとしなかったんだ、私は。
浅倉の優しさに。
浅倉の隣は、こんなにも心地いいのに。
そういう場所を、いつも用意してくれてるのに。
それがあまりにも、当たり前になりすぎて。
そう思ったら急に申し訳なさが溢れてきて、私の足が止まった。
浅倉も立ち止まって、私の方を振り返った。
「永野? どうした?」
「浅倉」
「ん?」
「あの……『ありがと』」
不思議だ。自然と口を突いて出たこの言葉が、私を笑顔にさせる。
浅倉は一瞬目を見開くと、すぐにまた前を向いた。
「ま、気にすんな」
私がまた歩き始めると、浅倉も歩き始める。
「そーだ、そんじゃ、お礼してもらおうかな」
「はい?」
突然の、予想外の浅倉の言葉に、私は思わず聞き返した。
何ですと?
せっかく人が見直してたっていうのに、アンタはお礼を要求するわけ?
「――夕飯」
「え?」
「今週末、夕飯、一緒に喰いに行こーぜ。それでチャラ」
ニヤリと笑った顔は、いつもの浅倉だった。
私は呆れを通り越して笑ってしまう。
「なーんだ。お礼なんて言うから驚いた。じゃあ、金曜の5時までに、月末処理と鈴木さんの件が無事に終わったらね。なんでも好きなもの奢るよ」
「お? 言ったな? ぜってー終わらせてやる!」
「ホントにできるー? 鈴木さんのヤツ、ちょー難しいよ?」
「うっせー。浅倉大地様をナメんな」
こんな調子で歩いていたら、500メートルなんてあっという間で。
私の使っている路線のある駅に着いた。
バッグから定期を取りだす。
「それじゃ、また明――」
「やっぱり、オレもここから帰るわ」
また、コイツは突然……。
「路線違うじゃん」
「いや、お前の降りる駅の2つ先で降りたら、そっから歩いて帰れるんだよね、オレん家。最寄駅じゃないってだけで、この路線でも結構近いんだよな」
浅倉はさっさとプリペイド式ICカードを取りだしている。
確かに、ここから浅倉の使ってる路線の駅まで歩くなら、この路線に乗っちゃってもあんまり変わらないのかもしれないけど。
「行こーぜ」
浅倉に促されて、改札口を通ってホームへと向かった。
ホームへ上がると、ちょうど電車が滑り込んできたところだった。
手近なドアから中に入る。
電車に乗るとすぐ、浅倉に腕を引っ張られた。ドアと座席の間のスペースに促される。
そのまま私は壁際に立つ。浅倉は、私と向かい合わせになるように立ち、ドアの脇に立つ細いスタンションポールを握った。
少し遅い時間だというのに、電車の中は結構たくさんの人がいた。
電車の中では、お互いに一言も話さなかった。
人が多かったからということもあるし、ずっと私が俯いていたからというのもある。
私が降りるときに浅倉が「また明日な」と言っただけ。
返事くらい、してやらなきゃいけなかったのに。
なんか、胸のあたりがもやもやする。




