side Daichi - 12
永野はオレの方を見ないまま、手に持っていた紙コップを口に付けた。
コーヒーか。
オレの中で、悪戯心が芽生える。
「何飲んでんの?」
オレは、永野から紙コップを取り上げた。
「あっ」
永野が声を出して抵抗したが、そのときには既に、オレは紙コップに口を付けていた。
口の中に、甘い液体が流れ込む。
途端、噴きそうになるのを何とか堪えた。オレはすぐに唇を拭う。
「ッ!? なんだ、これ? 甘っ!」
紙コップの中を確認する。
何だ何だ何だ?
少しとろみのある赤茶色の液体が、紙コップの半分くらいを占めていた。
「何って……ココア」
「ココアだぁ?」
「血糖値が足りなくなっちゃって」
「お前、そういうことはもっと早く言え。オレが甘いの苦手だって知ってんだろ?」
「私が言う前に、浅倉が勝手に飲んじゃったんじゃん」
確かにその通りだ。
うぇ、未だ口ん中が甘い。気持ち悪ぃ……。
オレは永野に紙コップを返した。そのとき、一瞬だけ、指先が触れる。
その途端、永野の表情が硬直した。
ん? どうした?
静電気か?
永野は、ぼーっとしたまま、手の中にある紙コップに口をつける。
あれ?
「珍しいな」
つい、口に出して言ってしまっていた。
「何が?」
「永野、いつもペットボトルとかをオレが勝手に飲むと、その後絶対に、口付けねーか拭くかするだろ? あれ、実は結構傷ついてるんだよね、オレ的には」
「――ッ!!」
今度は永野が咽返る。
永野があまりに苦しそうで、オレは背中をさすってやった。
咳はなかなか治まらないのに永野が言う。
「ん、ありがと、もう、大丈夫だから」
いや、全然大丈夫そうじゃないけど。
まだゼイゼイしてるじゃねーか。
「無理すんなって」
「大丈夫だからッ!」
永野がオレの手を撥ね除けた。
そんなに、嫌だったのか?
呆然とするオレを尻目に、永野は素早くソファから立ち上がった。
「私、もう戻るよ。未だやらなきゃいけない仕事がたくさんあるし」
そう言いながら、靴に足を通し、床にとんとんと打ちつけて履く。
そのまま、オレの方を見向きもしないで去ろうとした。
逃げるのか? 何から? ――オレから?
オレの中を、何かが貫いた。
「ッ、ちょっと! 浅倉?」
永野の声にハッとする。
怯えた瞳が、オレを見ていた。
オレは、永野の腕を掴んでいたことに気づく。しかも、結構強い力で。
永野が苦しそうにもがく。
違う。オレはお前にそんな顔をして欲しいんじゃねーんだ。
オレは、ただ単に――
深く、息を吐き出した。
まず、オレ自身、落ち着かなきゃなんねぇ。
「お前さぁ、無理しすぎじゃねぇの?」
やっとの思いで、それだけ言った。
永野が、抵抗を止めた。
オレから、逃げようとしたわけじゃない。
オレを嫌っているわけじゃない。
それがわかった。心底、ホッとする。
オレの手の力も、自然と抜けて、永野の腕を離した。
同時に、オレの中でもう一つ確信が生まれる。
永野はいつもかなり無理してるんだ。
ギリギリで緊張の糸が切れちまいそうなくらいなのに、それを悟られまいとして余計に無理してる。
あんだけ人に頼られちまってるせいで、弱みを見せられなくなってんのかもしれねー。
だとしたら。
オレは、永野に何をしてやれる?
永野が、目を見開いたままオレを見ている。
オレはゆっくりと、永野に語りかけた。
「無理だったら無理って、大丈夫じゃなかったら大丈夫じゃないって言えよ」
永野は何も言わない。
「オレの前でくらい、肩の力抜いてくれてもいいんじゃねぇの?」
「でも……」
「『でも』じゃねーの」
永野が俯く。オレは、できるだけ優しい口調で続けた。
「仕事じゃ未だ全然頼りにゃなんねーだろうけど、なんか体調がおかしいときとか、不調なときとか、そんくらいならオレでもちょっとは役に立てると思うんだよね」
永野がゆっくりと顔を上げた。
それを見て、オレはホッとすると同時に、どきりとする。
涙目っていうわけじゃないが、なんか、瞳が濡れたように艶を含んでいた。
またオレの中でさっきの何かが暴れ出す。それを悟らせたくなくて、わざとおどけた調子で付け加えた。
「ほら、オレ一応、お前の同期だし?」
永野が遠慮がちに口を開いた。
「――あ、浅倉?」
「ん?」
「さっきはごめん」
「別に。気にすんな」
「もう取り乱したりしないから、安心していいよ」
永野にとっちゃ、あれでも『取り乱す』の内に入んのかね。
っつーか、オレの言いたいこと、全然伝わってないじゃん。
オレを頼れっつってんのに。
永野らしいっちゃ永野らしいけど、萎えるよなぁ……。
「浅倉って、優しかったんだね」
永野の言葉に、オレのモチベーションがあっという間に回復する。
「知らなかったんか? ったく、気づくのおせーよ」
なんでこー、オレは、永野には弱いのかね。
「――帰るか」
オレが言うと永野も「そうだね」と言った。




