side Daichi - 10
最上階でしたみたいに、オレはそっと休憩室のドアを開けてみた。
ま、誰もいねーだろうけど、一応。
そう思っていたのに、中に人影を認めた。
オレがよーく知ってるヤツ。
コイツだけは、絶対に見間違えたりしねー。
「あれ? 永野? こんなところにいたんか」
オレは言いながら、休憩室の中に入った。
永野は、壁際に並んだ一人掛けソファの一つに、寝そべるように座っていた。靴を脱いでいる。
疲れの見えていたその表情が、オレの姿を捉えて驚きに変わった。そして次に、苦笑へと変わる。
「なぁんだ、浅倉か。部長かと思って一瞬焦った」
「部長はとっくに帰った。それに、あの人はこんなところまで来ねーだろ。いつも難しい顔でパソコンの画面見てるだけだし」
ホント、いいご身分だよな。仕事は部下にやらせて、注文だけは付けてくる。
鈴木さんが言うには、その指摘が非常に参考になるらしいんだけど、どうもオレには信用できねー。
「こー、眉間に皺寄せて、でしょ?」そう言って、永野は自分の眉間にも深く皺を寄せ、指差して見せた。「言えてる。浅倉、よく見てるね」
永野が笑った。
まったく、表情のよく変わるヤツだ。見てて飽きねー。
「まーな。開発部と全然雰囲気が違うから、面白くってつい観察しちまう」
これは嘘でも何でもない。実際に、そうだ。
初めは、開発部との雰囲気の差に興味を持って観察(?)し始めたけど、今は人対人の関係性が面白いと思うようになった。
注意して聞いてると、会話の中に、微妙な勢力図とか、本音と建前の差とかが見えてくる。
開発部にいたときは、そんな経験味わえなかったし。
プログラム書いてたって言うのもあるのかもしれねーけど、パソコンに一方的に話しかけてる気分だったしなー。
オレは、永野の隣のソファに座り、背当てにもたれかかった。
休憩室のソファは、座り心地がいい。ほっとする。
隣から、ぎしりと軋む音がした。見ると、永野がオレの方に身を乗り出している。
その姿に、オレの心は休まるどころじゃなくなった。
手を伸ばせば、簡単にオレの腕の中に収まってしまいそうな距離。
だー! もー!!
とことん無防備なヤツだな、お前は……。
いくら会社とはいえ、今、ここに、2人っきりなんだぞ?
お前は自分のことを『女』って思ってないかもしれねーけど、相手もそう思ってるとは限らねぇっつーの。
頼むからもっと自覚してくれ。
「私、開発のフロアって1回しか入ったことないんだ」
永野が話しかけて来た。
その目がイタズラっぽくくるりと動く。
持てよー、オレの理性!
「マジで? いつ?」
「入社直後の研修のとき。人事部の人がこのビルの中を案内してくれたじゃん? あのときが最初で最後」
「あーあのときね」
「そんなに違う? もう5年も前のことだから、ほとんど忘れてるんだよね」
そりゃ、忘れてて当たり前だ。
「なんっつーか、開発ってもっと異様な感じ? みんな無言でじーっと画面見ながらキーボード打ってんだぜ? 女の子もほとんどいねーし」
もっと広く見れば違ったのかもしれねーけど、少なくとも、オレの周りはそうだった。
別に、女の子が絶対に欲しいとは思わねーけど、華はなかったよな。
永野が、感心したように相槌を打つ。
「なーんかね、あのフロアってIDで入退室の管理もされてるし、用のない人間が気易く立ち入れない感じが漂ってるんだよね。エレベーターの扉があの階で開くと、すっごい構える」
「確かに、あの雰囲気じゃ、他の部署のやつらは寄りつかねーよな」オレは開発のフロアを思い出しながら答えた。「でもさ、正紀のヤツ、『その方が静かで仕事が捗る』とか言うんだぜ?」
「でも、その通りじゃん」
「確かにそーなんだけどさ、少しは女の子がいた方が、モチベーションが保てるじゃん?」
――って、先輩がよく言ってたよな。
「『じゃん?』って言われても知らないよ。私は女なんだから」
嘘だ。
お前は自分で『女』だって言う割には、全然それを意識してねー。
っつーか、自分が女だってことをわかってねー。
「はいはい、そーでした。スミマセン」
「そーだよ。何度も言わせるなっての」永野が笑った。「まぁ、そういうことならちょうど良かったじゃん。知ってる? 浅倉が異動して来てからマーケティング企画部のフロア周辺に来る女子社員が、すっごい増えたんだよ?」
は?
何言ってんだ、コイツ?
あれって、鈴木さんファンだろ?
「なんで?」
「浅倉が来たからでしょ」永野は当たり前と言うがごとく、さらりと言った。「前は鈴木さん目当てだった人が多かったけど、鈴木さんはもうすぐ結婚しちゃうし」
「なんだそれ? オレは動物園のパンダかよ」
「浅倉って、部長とか部署メンバーのことはよく見てるのに、あの子たちのこと気づいてなかったわけ?」
「何が?」
永野が何を言ってるんだか、さっぱりわからねぇ。
大体、『あの子たち』って誰だよ?
「浅倉のことが好きだったり憧れてたりして、見に来てるんだよ、女の子たちが。今日、万里ちゃんも高田さんも言ってたでしょ? 『強力なライバル』とか『怖いお姉様方』とか」
オレは、朝のことを思い出した。確かに2人ともそんなこと言ってたな。
でも、万里さんの言ってた『強力なライバル』ってのは、多分、お前のことだぞ?
っつーことは、何? 『怖いお姉様方』の方?
こえー。それはオレも勘弁。
「確かに、ほとんどの人は害がないから放っておいてるんだけど、中にはちょっと厄介な人もいてさ、私なんか、睨まれるんだよね。必要以上に浅倉に近づくなって……」
「ちょい待ち」
聞き捨てならない言葉に、オレは口を挟んだ。
睨まれてる? 永野が?
「今のって、マジで?」
オレが聞くと、永野は頷いた。
知らなかったとはいえ、オレは項垂れるしかない。
「そっか。知らなかった。ゴメンな」
「いいよ、別に。全然気にしてないし。ま、気は使うようにしてるけど。あの感じじゃ、そのうち誰かが告白してくるよ。覚悟はしときなよ」
何の覚悟だよ。
んなの、断るに決まってるっつーの。
名前どころか、存在すら知らねーようなヤツ、初めから眼中にねーよ。
「どーだか。オレはお前の方がよっぽどカッコイイと思うけどな」
「素直に喜べないなー」
永野が苦笑した。
「褒めてんのに」
「浅倉が言うと、全っ然そんな風に聞こえない」
「オレって信用ねぇのな」
オレはそう呟くと、頭を掻いた。




