朝焼けに花の香り 30
「私のお願いを叶えてくれたお礼に、イオにご褒美をあげたいと思うの。何がいいと思う?」
リリアーナが軽く口にした言葉に、部屋の中が凍りついた。
しん、と静まり返った空気にリリアーナは首を傾げる。
そして、無言で部屋を出ていこうとするディランを止めた。
「ちょっと、無視しないでよ。誰かを喜ばせるために何かを贈るなんて初めてだから、みんなの意見が知りたいの」
「知るか。そういうのは自分で考えるから意味があるんだ。珍しく呼び出されたと思ったら、これだ。やってられん。帰る」
ディランは本当に帰ってしまった。
しかし残していった言葉は、リリアーナに気づきを与えてくれた。
(なるほど。自分で考えることに意味があるのね)
しかし、もう散々考えたのだ。結論が出ない議題は、他者の意見を聞くことで新たな視点が得られるというもの。
リリアーナは何故か生ぬるい視線を送ってくるマリアに同じ質問をした。
マリアがにこりと笑う。
「どうしても思いつかないときは、本人に聞いてしまうのが一番だと思います」
なるほど、確かに。
リリアーナは傍に佇むイオを見上げ、言った。
「何が欲しい?」
「…………」
まさかの無言。
ここで黙秘されてしまうと、もう手の打ちようがない。リリアーナは困ったとマリアを見た。
「なんでマリアまで出ていっちゃうの?」
「本当はいつまでも美男と美女のいちゃつきを近くで見ていたいのですが、さすがに私、そこまで野暮じゃないので!」
マリアまで、ごゆっくりぃ、と語尾を伸ばして去っていってしまった。
イオが終始無言なので、リリアーナは部屋に飾られている花へと意識を逸らし、その種類や花言葉を考え始めた。
毎朝、マリアは花瓶に生花を活けてくれる。部屋に花が一輪あるだけで、随分と華やいでみえるものだ。
(あ、お花がいいかな。イオに似合うもんね。でもすぐ枯れちゃうんだよな……やっぱり物がいいのかな)
さてはてどうしたものか、と腕を組んだところで、イオが口を開いた。
「……それは、どんなことでも良いのでしょうか?」
「ああ、私にやって欲しいことがあるの? いいよ、今の私にできることなら、極力叶えてあげる」
イオが喉を鳴らした。リリアーナは、おや、とその綺麗な顔を見る。ほんのりと色づいた頬に、ほう、と目を細めた。
内容に察しがついたリリアーナは、それでもイオの言葉を待つ。
「……では」
「うん」
「……その、僕」
「うん」
「リリアーナさまに、ご奉仕がしたいです」
「うん?」
予想の斜め上をいく要求に、リリアーナは何度も瞬きを繰り返した。
「……私がイオに何かをするんじゃなくて、イオが私に何かをしたいってこと?」
イオは消え入るような声で肯定した。
なるほど、そうきたか。
まぁ確かに、健全な男性が持つ欲求のひとつかもしれない。
「いいけど、奉仕って具体的にどんなことしたいの?」
「えっと、リリアーナさまの――を、――で、――から、――させていただいて、――、――したいです!」
その綺麗な顔からは想像もつかないような、とんでもない単語が飛び出してきて、リリアーナは思わず遠くを見てしまった。
だが、こちとら娼婦の娘だ。娼館で働いたことだってある。経営者としてだが。
したがって、こと色事において、従者に遅れをとるつもりはない。
リリアーナは恥じらうように自身の体を抱き、しっとりと瞳を伏せた。
「そんなことされたら、壊れちゃう」
イオの顔が茹で上がる。よし、効いている。
「もっと優しいやつがいい」
「もちろんですっ……!」
こくこくと頷くイオに、リリアーナは胸の内でよしよしと頷く。
「優しく、どろどろに溶かして差し上げますね」
「…………」
誰だイオをこんな破廉恥に育てた奴は。
その恍惚とした表情に、薄ら寒さを覚えた。
間違いなくあいつの影響だろう。あの化け物は本当にろくでもない爪痕を残してくれたものだ。
「……私、イオを使うようなこと、したくないんだけどな」
「存じております。僕は僕が使われるだなんて思っていません。僕へのご褒美とのことでしたので、ぜひ!」
「…………」
可愛げのかけらもないご褒美の内容に、リリアーナはこめかみを抑えた。
言い出したのは自分だ。覚悟を決めよう。
ため息と共に申し出を受け入れたリリアーナに、イオはとびきりの笑顔を向けてきた。
生き生きとしていて、実に喜ばしい。喜ばしいはずなのに、どこか解せない。
(もしかしなくても私、更生、失敗してるのでは……?)
騎士団に世話になっているイオと、離宮に身を寄せるだけのリリアーナは、対等な立場にいる。けれどもイオは依然としてリリアーナを主人とし、侍ってくる。
その関係はどこか歪だ。
お互い、これまでの振る舞いを変えることができないでいる。
人は簡単には変われないらしい。
ただ、思いを伝えあった日から、イオのリリアーナに対する接し方は少し変わった。
毎日、遠慮なくその気持ちを伝えてくるようになった。
嬉しそうに愛を告げるイオを見ていると、愛しさが込み上げてくる。もう、それでいい気がしてくるから、愛とは実に不可解な感情だ。
だが、このままではイオの愛に飲み込まれてしまう。
それはいけない。愛とは、育むものだ。
どちらか一方に偏る愛をよしとしなかったリリアーナは、口元に手をあて、イオを手招いた。
寄せられた耳元に、そっと愛を吹き込む。
「リリアーナさま……!」
震えるイオの首元に腕を回した。
それはリリアーナがイオに甘える合図。
軽々と抱き上げてくる、その広い背中に腕を回し、ぎゅっと抱きしめ返す。
赤い瞳と青い瞳を交わらせて、二人は幸せそうに笑った。
五章おわりです。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。
次の終章で完結です。短いです。




