夕暮れに銀の星 01
嵐の去った部屋はとても静かになり、リリアーナは、ふぅ、と息を吐いた。
そして、扉の前で大人しくお座りを続けている少年に声をかけた。
「……あなた、お名前は?」
改めて顔をよく見れば、とても整った容姿をしている。こちらを見上げる瞳は少し垂れていて、深い青色。まさに白皙の美少年だ。
悔しいことに、好みである。
「年齢は? この家に来てどのくらい経つの?」
話しかけても、少年は軽く首を傾げるだけで何も返さない。
もしやと思って口を開けるよう指示すると、少年は躊躇なく大口を開いた。なるほどとても従順だ。くそである。
「うーん、喉は綺麗そう。声が出せないわけじゃないのね? 言葉は理解できている? そう、なら話せる? あなたの名前を言ってみて」
少年は、形の良い眉尻を困ったように下げる。
「話せないの?」
少年は、シミひとつない銀髪を左右に振る。
「じゃあ、名前がないの?」
少年は、また困った顔をする。
困ったのはリリアーナも同じだった。
「声が出せるのなら、言葉で返事をして」
「あっ、申し訳、ございません……! 今の僕の声は、耳障りだと……!」
それは声変わりしたばかりのような、少し低いかすれた声だった。そういえばオリーヴィアは年若い少年少女がお好みだ。リリアーナはげんなりしながら、床に平伏してしまった少年の頭を上げさせる。
「私は不快じゃないからいいよ。あなたのお名前は?」
「……十三番です」
「あぁー、えっと、そう呼ばれる前のお名前は?」
「わかり、ません」
「うーん、そっかぁ」
これは闇が深そうだ。
「じゃあ私が名前つけちゃうね。……んー、じゃあ、イオにしよう。私はこれからあなたのことをイオって呼ぶわ。私はリリアーナ。呼んでみて」
イオと名付けた少年は、震える声で応えた。
まるで子犬のような姿に、リリアーナは開いちゃいけない扉を開いて――いやいや、まてまて。
「……ご主人さまはつけないでほしい」
「は、はい。リリアーナ、さま」
素直な返事に、リリアーナはにこりと笑う。
そして、すっとイオに手を差し出した。
その手を見て、イオが両目を見開く。
目、大きいな、なんて思いながら、リリアーナは言う。
「じゃあイオ。早速だけど、服を全部脱いでくれる?」
この言葉に暗く視線を下げたイオは、それでも静かにリリアーナの手を取った。
イオの手を引き、部屋の長椅子まで連れていく。
「服はその辺に置いておいていいよ。準備できたらそこに座ってて」
シュルシュルと布の擦れる音を聞きながら、リリアーナは緩く波打つ長い髪を後ろで一つにまとめる。手首の袖口を捲り上げ、何となくそのままそっぽを向き続けた。
ギッと長椅子が軋む音に振り返る。
「準備できた? わぁ! パンツは履いててもよかったんだよ?! あ、それとも履かされてなかったのかな??」
従順すぎるのも困りものである。
「なんか上にかけてていいからね! お腹冷えちゃうもんね?!」
改めて己の言動を省みたリリアーナは、慌てて近くにあった膝掛けをイオに被せた。今さらだった。
「ええっと、じゃあ、触診させてもらうね。ごめんね、私の手冷たいけど、ちょっと我慢してね」
そう言ってイオの首筋に触れた。
びくりと一瞬体が強張ったが、イオは声ひとつ漏らさなかった。
「これ邪魔だから取るね」
悪趣味なリードを首輪ごと外し、その辺へ放り投げる。
(発汗と脈拍は正常値。少し緊張してる感じかな。ま、そりゃそうよね)
リリアーナは膝掛けをずらしながら、イオの身体をよく観察していく。オリーヴィアの一番だったにしては、平凡な人のそれだった。あの人はよく動物や魔物の器官を奴隷に移植して、見目を楽しんでいる。
イオの各関節を曲げたり伸ばしたりしながら、リリアーナは呟いた。
「筋肉のつき方も健全ね。肌がスベスベ。これ私より綺麗なのでは……へこむ……」
うつ伏せにさせたイオの背中を見る。逞しさはないが、かといって貧相でもない。それなりに良い待遇だったことが窺えて、リリアーナは姉のことを少しだけ見直した。
「待って。あのオリーヴィアお姉さまよ。その一番だったのよ。ただの観賞用なんてことはないはず」
イオを再び仰向けにさせて、リリアーナは渋顔になる。そこを見て恥じらう気持ちはとうの昔に失ってしまったが、進んで見たいほどリリアーナは好色ではない。また、姉の趣味嗜好を知りたくも無い。
しかし、オリーヴィアが何を考え、何を思い、この奴隷をリリアーナに贈ってきたのか。その意図が不明な以上、何かが施されているのなら、それをすべて知っておきたい。
(本当にただの気まぐれって線もありえるから嫌)
リリアーナは意を決して膝掛けをめくる。
「あぁ……やっぱりそうよね……」
リリアーナはその痕跡にしっかりと幻滅した。
けれど跡だけでは作用までは分からない。形からおおよその予想はできてしまうが。
「ごめんね……少しだけ触るね。ごめんね」
リリアーナはできるだけ優しく患部に触れる。
こんな非道な所業が許されている、この家の環境が嫌いだ。秘部に打ち込まれている複数の魔術痕に、嫌悪感を抱かずにはいられない。
一人で勝手に憤っていたリリアーナは、ふと違和感を覚える。
ここは本人の意思関係なく、触診に何らかの反応を見せることが多い。
よほどの心的外傷を負っているのだろうかと、リリアーナは眉間に力を入れながらイオを見た。
「……あ、その……」
申し訳なさそうに眉を下げている顔に、恐怖の色はない。
「うーん、もしかして、特定の刺激に反応するよう調整されているのかな?」
イオが慌てて首を振る。
「い、いえ! その……僕は、犬なので……」
「犬? どこからどうみても人の体をしているんだけど……」
リリアーナは改めてイオの身体をよく観察する。肉体を犬に変化させる術式など、どこにも見当たらない。何か条件があるのだろうか。これほど完璧に隠匿できる魔術が存在するのなら、それはそれで大変興味深い。
「そう、ではなくて……」
「ではなくて?」
半身を起こし、もごもごと口籠るイオの言葉を、リリアーナはきょとんとした顔で待った。
「僕を使えるようにするには、ご主人さまから、ご褒美を頂かなくてはいけなくて」
あぁお姉さま、本当によいご趣味をされておりますこと。
自分の口元を指差す愛玩用奴隷を見て、リリアーナはこめかみを押さえた。




