第5話 聖域の番人、勇者の敗北
王都・中央ギルド本部。
壁一面に宝石を散りばめた応接室で、アルク・グランドは無言のまま、両手の中の封書を握りつぶした。
「……まさか、国境の街テラスからの報告が“最高ランク”とはな」
紙の裂ける音が、静寂の中でやけに大きく響く。
顔にはまだ、――魔王領の前線で負った切り傷が残っていた。
勇者の象徴であるはずのその傷は、今や彼の敗北の証だ。
「“特級霊薬の群生地”……結構。だが、“聖域の守護者”だと? ふざけるな」
歯を食いしばる。
報告書には“未知の防衛機構”と記されていた。
王国の分析班すら正体を掴めず、ただ一言――「人類の侵入を拒絶する森」とあった。
「勇者アルクよ」
王の低い声が響く。
黄金の玉座の前、諸侯と将官が並ぶ中、アルクは片膝をついた。
「この異変は、魔王軍を凌ぐ脅威となる。人類の英知をもって、これを鎮圧せよ」
命令。
反論の余地はない。
「――ご安心を、陛下」
アルクはわずかに口角を上げ、胸を張った。
「光の剣の名にかけて、この聖域を必ずや制圧してみせましょう」
だが、声にはいつもの覇気がなかった。
王都の片隅、勇者一行の拠点。
机の上には地図と装備品が散らかり、空気は最悪だった。
「チッ……またアイツの尻拭い」
魔導師ヴェノム・クレイスが杖を叩きつける。
魔力の粒子が散り、床に焦げ跡が残った。
「静かにしろ、ヴェノム。王命だ」
アルクが眉をひそめる。
「王命? 冗談じゃないわよ!」
ヴェノムの瞳がギラリと光る。
「アイツがいたときは、こんなに魔法がブレることなんてなかった! クロノが消えてから、全部おかしいのよ!」
「ヴェノム、やめなさい!」
聖女リゼット・フローラが悲鳴を上げる。
だが、彼女自身の手も震えていた。
癒しの女神の加護を持つはずの彼女が、いまや僅かな擦り傷さえ完全には治せない。
「……くっ、私までこんな……」
「ガレオン」
アルクが隅に座る鎧の男へ視線を向ける。
「前線に出られるか?」
騎士ガレオン・ドレイクは、低く答えた。
「問題ない、勇者。だが……あの時、クロノの野郎がいれば、俺はここまでの怪我はしなかった」
沈黙。
全員がそれ以上言葉を飲み込んだ。
クロノ。
“ただの雑用係”として追放した男。
だが、彼が去ってからというもの――戦闘のすべてが噛み合わなくなった。
誰もが、気づいていた。
彼がいないと、何もかもがうまくいかない。
三日後。
国境の街テラス。
活気ある街並みは、どこか異様な静けさに包まれていた。
人々の噂は同じ内容を繰り返す。
「防壁が……一晩で強化されたらしいぞ」
「森の奥から、眩い光が見えたって……まるで、神が降りたようだった」
アルクは鼻で笑った。
「くだらん。迷信だ。急ぐぞ!」
仲間たちの顔には不安が浮かぶが、誰も逆らえなかった。
彼らは――再び、あの森へ足を踏み入れる。
霧が漂う森。
木々の葉が淡い蒼光を放ち、風が流れるたび、鈴のような音が響く。
「なんだ……この気配」
ヴェノムが周囲を見回す。
「魔力の密度が異常だ。まるで森そのものが……生きてるみたい」
「くだらん。行くぞ!」
アルクは聖剣を抜いた。
光の刃が白く輝き、周囲を照らす。
その光に反応するように――青白い目をしたコボルトたちが姿を現す。
数十体。
全員、同じ動きで武器を構えた。
「雑魚が整列してる? 笑わせるわね!」
ヴェノムが詠唱を始める。
「《フレイム・バースト》!」
轟音。
だが、炎は標的から逸れ、木々を焼き払うだけだった。
「また外れた!? どうなってるのよ!」
「ヴェノム!」
リゼットが叫ぶ。
「森が……魔力を吸ってる! 術式が歪められてるの!」
「チッ、馬鹿な……!」
その間に、コボルトたちが一斉に突撃した。
ガレオンが前へ出る。
「来い! 《アイアン・ウォール》!」
重盾が光を放つ。
しかし――。
ドガァァンッ!
「ぐああっ!」
ガレオンの盾が粉砕された。
衝撃波に吹き飛ばされ、木に叩きつけられる。
「ガレオン!」
リゼットが駆け寄る。
「《ハイ・ヒール》!」
癒しの光が傷口に降り注ぐ。
だが――。
「……っ、治りが……遅い……!」
「リゼット、集中しろ!」
アルクが怒鳴る。
「してるわよ! でも、魔法がうまく流れないの! この森……まるで、私の魔力を拒んでる!」
「チッ……何を言って――!」
その瞬間、アルクの後方で光が走った。
コボルトたちの装甲が青白く輝き、まるで連携を取るように剣を振り上げる。
「囲まれた! 全員、後退――!」
ヴェノムが防御魔法を展開するが、魔法陣はすぐに崩れた。
代わりに、彼女の杖が震え、火花を散らす。
「また……暴発!? こんなの、おかしい!」
「俺が抑える!」
アルクが飛び出した。
「《ホーリー・スラッシュ》ッ!」
眩い光の斬撃が、一直線に敵を薙ぐ――はずだった。
キィィンッ!
鋼を打つ音。
光が霧散した。
コボルトの一体が、その刃を受け止めたのだ。
アルクの渾身の一撃を。
「な、なんだと……!?」
敵は一歩も退かず、まるで機械のように整然と前進する。
動きに無駄がない。
感情もない。
ただ一つの意志――“侵入者を排除する”。
それは、“守るための戦い”だった。
「馬鹿な……こいつら、ただの魔物じゃない!」
「勇者! もう持ちません!」
リゼットの悲鳴が響く。
背後ではヴェノムが魔力切れで倒れ、ガレオンが血を吐いている。
アルクは唇を噛みしめた。
「撤退だ! 全員、森を出ろ!」
屈辱。
それは、心臓を掴まれるような痛みだった。
森を抜け、地面に膝をつく。
アルクは泥の上に拳を叩きつけた。
「くそっ……なぜだ! なぜ、俺の力がこんなにも通じない!」
聖剣が微かに光を失っていた。
それはまるで、持ち主の心を映すように。
ヴェノムが呻きながら言う。
「……アイツがいないからよ。クロノがいた時は、魔法の流れが自然だった。攻撃も、回復も……全部、完璧に噛み合ってたのに」
リゼットも静かに頷く。
「そうね……彼が、私たちの“支柱”だった。彼の“支援”がなかったら……私たち、ただの人間よ」
「ふざけるな!」
アルクが怒鳴った。
「雑用係ごときが、俺たちの強さに関係あるものか!」
そう叫びながらも、心の奥で――確信していた。
あの時、クロノがいたからこそ、聖剣は輝いた。
仲間の魔力は調和し、戦闘は常に“最適”だった。
彼の補助が、すべてを繋いでいたのだ。
「……ありえない。だが……」
拳が震える。
悔しさと、恐怖と、そして――認めたくない尊敬。
「クロノ・ルミナス。貴様が……この“光の剣”の核だったというのか」
アルクの顔に、苦い笑みが浮かんだ。
「クク……そうか。なら、奪い返すだけだ。俺の“雑用係”としてな」
その呟きに、リゼットが顔を上げる。
「アルク……?」
「決まりだ。あいつを見つける。もう一度、俺の下に戻してやる――この俺のためにな!」
その瞳は、もはや勇者のものではなかった。
ただ、失った“支配”を取り戻そうとする男の、狂気の光を宿していた。
こうして――。
勇者アルクの再出発は、勝利への道ではなく、
“ざまぁ”という名の地獄への入口だった。




