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第15話 温泉の危機と『静かなる解決』

 クロノ・ルミナスは、昨日作り上げた極上の『魔力温泉卵』を味わいながら、もう一度温泉に浸かろうと湯船に向かった。

 しかし、湯船を見た瞬間、彼は顔を顰めた。


「うん?湯量が……減っているな」


 普段、胸の高さまであった湯量が、今は腰のあたりまでしかない。湯温も不安定で、せっかく調整した42.5度から、ぬるま湯へと下がっていた。


「せっかくの温泉旅行なのに、これは困ったぞ」


 タオルを肩にかけ、温泉管理をしているトウベエ爺さんを探すことにした。

 朝の村はまだ静か。

 湯気の中を歩いていくと、ちょうど源泉の方から老人がゆっくり戻ってきた。


「おはようございます、トウベエさん。湯、減ってますね?」


「おお、クロノ殿……気づいたか」

 トウベエの顔は疲れ切っていた。


「最近な、水源の奥に温泉亀が居座っちまってな。湯の流れを塞いでおるんじゃ」


「温泉亀……」


「ああ。魔力を吸う魔獣だ。

 ここの温泉は魔力が強いから、あいつにとってはご馳走なんだと。

 追い払おうにも、皮膚が岩みたいに硬くて、若い衆が何人か怪我しちまった。おかげで、湯治客も減っちまってな。どうしたものか……」


 クロノは、温泉亀という厄介な魔獣のせいで、自身の『究極の安息』が脅かされていることを理解した。


「それは、看過できませんね」


「そう言ってくれるのはありがたいが、あんたのような旅人がどうにかできる相手じゃ――」


 トウベエが言い終わる前に、クロノはタオルを肩にかけ、水源の奥へ向けて歩き出した。

 彼の顔に浮かんでいたのは闘志ではなく、また厄介な雑務が回ってきたと悟った雑用係のそれだった。



 源泉洞窟に入ると、空気が一気に変わった。

 硫黄の匂いと蒸気の中、ゴウゴウと地下水が流れる音が響いている。

 視界の奥――岩の割れ目の先に、妙に広い空間があった。


「……おっきいな。お風呂の栓にしてはちょっと過剰じゃない?」


 巨大な亀の魔獣が横たわっていた。     

 甲羅には苔が苔がびっしり生えていて、体長は五メートルはあるだろう。

 ――温泉亀。成る程、名前のとおりだ。


「グォォォ……」

 温泉亀はクロノに気づき、鈍い動きで威嚇の唸り声を上げた。


 重低音が洞窟を震わせる。

 ああ、機嫌が悪いのか。俺を邪魔者だと思ってるな。

 俺は少し離れて座り込み、湯気の中で腕を組んだ。

 普通なら、ここで派手な戦闘シーンが入るところだが――正直、やりたくない。

 勇者時代、勇者アルクが派手に聖剣振り回した結果、山一つ吹き飛んだことがある。

 あれ以来、俺は“静かに片付ける派”なのだ。


「……魔導師ヴェノムの“烈火の大蛇”とか、騎士ガレオンの“斬天衝”なら、あっという間に終わるだろうけど……」

 

 そんなことをすれば、温泉地帯の地形が変わり、温泉そのものが壊れてしまう可能性がある。


「戦闘は非効率だ。温泉を壊さずに、平和に解決しなければ」

 

 クロノは、温泉亀を見つめ、心の中で強く願った。

「お願いだ、この『快適な温泉の邪魔者』は、静かにどこか別の、もっと良い場所に移動してほしい。そして、二度と戻ってこないでくれ」


 彼の願いが【影の統率者】のスキルを起動させた。

 チート能力は、温泉亀という対象の『定着欲求』パラメータをゼロに設定する。

 同時に、温泉亀の『認識パラメータ』へと直接干渉した。

『居座っている水源は急に冷たくなり、硫黄の臭いがきつくなった。この上なく不快であり居心地の悪い場所だ』


 温泉亀は、本来、温泉の魔力エネルギーを吸収し、至福を感じているはずだった。

 突然、極楽のはずの環境が、鉛のように重く、冷たく、息苦しい場所へと変貌した。


「グゥ……ガァ……?」

 温泉亀は困惑した声を上げた。


 なぜだ?ここは最高の場所だったはず。 このままでは、体調がおかしくなってしまう。

 温泉亀は、自らの甲羅が震えだすのを感じ、生存本能に従って居心地の悪さから逃れようと重い体をゆっくりと持ち上げた。

 そして、湯の流れを塞いでいたその巨大な体を、水源から静かに引きずり出し、山奥の別の安全な方向へと移動し始めた。

 クロノは、温泉亀が完全に視界から消え、水源の湯の流れが再開されるのを見届けると、安堵のため息をついた。


「よし。これで解決だ。戦闘にならずに済んだ」


 戦闘なし。犠牲なし。

 唯一の被害者は、温泉を失った温泉亀だけだ。

 彼は英雄然とすることもなく、ただ『面倒な雑用』が片付いたことに満足して湯気の洞窟を後にした。



 数時間後、村の温泉は、完全に復活していた。


「お、おい!湯量が戻っているぞ!」


「湯温も上がっている!完璧だ!まさか、温泉亀が移動したのか!?」

 

 温泉管理人トウベエと村の若者が水源へ向かうと、温泉亀は跡形もなく消えていた。湯の流れは回復し、以前よりも勢いを増しているようにさえ見える。


「奇跡だ!こんなこと、ありえるのか!?」


「誰にも追い払えなかったのに!まさか、本当に温泉の神様が問題を解決してくれたのか!」

 

 村人たちは、口々に歓喜の声を上げた。

 トウベエは、クロノが水源に向かったことなど、すっかり忘れていた。     

 水源を確認しに源泉洞窟を訪れると目を丸くした。


「温泉亀の姿がない……痕跡もねぇ。まるで最初から存在しなかったみてぇだ」


 不可解な解決を神の御業として受け入れた。

 神の御業の噂は、あっという間に村全体に広まった。

 人々は湯けむりの中で手を合わせ、祈り始める。

 ――“湯の守り神様の奇跡に感謝を。



 なお、当の本人はその頃――


「ふう……。やっぱり、こうでなくちゃ。」


 村人の喧騒から離れた露天風呂に、一人優雅に浸かっていた。

 自身の『快適なスローライフを守りたい』という願いが、温泉地帯の危機を救い、村人の間で新たな信仰を生み出したことなど知る由もない。

 彼は、完全に心身を癒し、次の旅へと向かう準備を始めた。

 誰もいない。静かな風。

 山鳥の声と湯の音だけが耳を満たす。

 湯面に映る空は、青く透き通っていた。

 あの騒ぎの原因――温泉亀が今どこで暮らしてるかなんて、もう考えない。

 俺の仕事は、ただこの“完璧な湯加減”を守ること。

 小さな奇跡の余韻が、静かに湯の中に溶けていく。

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