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第11話 究極のジャムと女神の恩恵

 エメラルド・レイク――王国南端にある美しき湖。

 陽光を反射して揺れる水面は、まるで翡翠を溶かしたように輝き、霧が晴れる朝は息をのむほど幻想的だった。


 湖のさらに奥、獣道の先。

 そこに、人の気配をまるで拒むような静謐なキャンプ地がある。


 木々の間から射す朝日が、ゆっくりとクロノ・ルミナスの顔を照らした。

 青年は小さな焚き火の前に座り、真剣な表情で、山と積まれた翠玉色の果実を見つめていた。


 「……最高の食材には、最高の技術で報いなければならない、か」


 クロノはひとり呟き、深く息をつく。

 目の前には、昨日ようやく採取できた“幻の果実《翠玉の実》”。


 半透明の果皮からは微かに緑の光が漏れ、近づくだけで空気が甘く変わる。

 この果実は極めて希少で、魔力を吸収する性質を持つ。生半可な調理では暴発して破裂してしまう。


 「これを台無しにしたら、俺の料理人としての矜持が泣くな」


 クロノはリュックから、愛用の鍋と大小のスプーン、温度計の代わりに使う魔力水晶を取り出した。

 勇者パーティにいた頃、彼の役目は“雑用係”と呼ばれていたが、その手際は職人そのものだった。

 薬草を調合し、傷薬を作り、野営の食事を整える。――その技術は、もはや一流の錬金術師すら唸らせるほど。


 「究極のジャム……今日はその完成形に挑むか」


 火を起こし、薪を慎重に組む。

 燃焼の揺らぎを魔力で安定化させるのは、ポーション作りで培った“魔力バランス調整”の応用だった。

 彼の指先から微細な魔力糸が走り、炎の勢いをわずかにコントロールする。


 「ふむ、いい火だ。さすが俺、火加減の天才」


 自画自賛の呟きに、焚き火が“ぱちっ”と音を立てて応えた。

 翠玉の実を半分に切り、果肉を鍋に投入する。

 すぐに空気が変わった。甘く、それでいてどこか澄んだ香り。


 「おっと、焦るな。魔力が暴れ始めてる。落ち着け、落ち着け……」


 クロノは小声で果実を宥めるように語りかけ、手をかざして魔力を整える。

 その姿は、まるで“果実と対話する調理師”のようだった。


 ――沸騰。

 鍋の中で、翠玉色の泡が静かに弾け、琥珀に変わる。


 「ここで……一息だ」


 木杓子でゆっくりと撹拌しながら、クロノは魔力を一定のリズムで送り続ける。

 ほんの少しでも乱れれば、魔力の反発で全てが台無しになる危険な工程。

 だが、彼の集中は凄まじかった。


 (薬草の抽出も、剣の研磨も、全部同じ。“呼吸”と“間”だ)


 まるで神業。

 時間が経つのも忘れ、彼は三時間近く、微細な魔力の波を調整し続けた。


 ――そして。


 「……よし、火を止める」


 クロノは慎重に炎を弱め、鍋を持ち上げた。

 そこに広がっていたのは、透き通る翠玉色の液体。


 「……完璧だ」


 息をのむほど美しいジャム。

 光を浴びるたびに淡く輝き、まるで宝石のようだ。


 「味見だな」


 クロノは前日に焼いておいた手作りのパンを取り出し、厚く切ってジャムをたっぷりと塗る。

 一口――。


 「――っ!」


 全身に衝撃が走る。

 甘さの中に爽やかな風味、舌の奥で魔力の波が広がり、脳が幸福で痺れる。


 「……これは、やばい。涙が出る」


 本当に、目からじんわりと涙がこぼれた。

 その味は、“勇者パーティ時代”の食卓では決して得られなかった自由そのもの。


 「これだよ、これ! これが俺の、旅の醍醐味ってやつだ!」


 クロノはパンをもう一口かじり、満面の笑みを浮かべた。

 「ははっ、贅沢ってのは、誰かに許可されてするもんじゃないんだな」


 しばらく食後の余韻に浸り、クロノは立ち上がる。

 湖の風が頬を撫で、心地よく髪を揺らした。


 「さて……片付けるか。次は絶景の温泉地帯だ。あそこの湯気に、このジャムを持ち込んで……んふふ、完璧だな」


 彼は使い終えた果実の皮や、煮詰めすぎて焦げた残り汁をまとめ、地面に掘った浅い穴へ流した。

 ほんの些細な作業――だが、それが後にとんでもない事態を引き起こす。


 なぜなら、その残り汁には、クロノが無意識に放出した“影の力”が宿っていたのだ。


 この力は、通常の魔力とは異なる“循環促進”の特性を持つ。

 土に混ざれば、植物の成長を極端に加速させる――まるで“生命そのものを目覚めさせる”ような効果を。


 もちろん、クロノ本人はそんなことをまったく知らない。

 彼はご機嫌で荷物をまとめ、鼻歌まじりに口笛を吹いた。


 「今日もいい日だ。平和だなぁ……!」


 そして、のんびりと湖畔の道を去っていった。



 数日後。


 湖の麓にある小さな村「レイクフィール」。

 その村外れで暮らす薬草採取の老夫婦、ガレンとミラが、いつものように山道を歩いていた。


 「今日もいい天気だねぇ、じいさん」

 「おうよ。こりゃ薬草もよく育ってるかもしれん」


 二人は背中に籠を背負い、いつも通り湖の奥へと足を伸ばした。

 が、途中で足を止める。


 「お、おい……婆さん。あれを見てみろ」


 「ん? あああっ!? な、何だいありゃ!」


 目の前に広がるのは、見慣れた薬草畑――のはずだった。

 だが、そこに生えていた薬草は、まるで別物。


 一本の茎が腕ほどの太さに膨れ上がり、葉は輝く青。

 地面の苔でさえ、魔力を帯びて淡く発光していた。


 「こんな薬草、見たことがない……!」

 「しかも、匂いがすごい! 薬効が何倍もある匂いだ!」


 老夫婦は震える手で数本を摘み取り、慎重に籠に入れた。


 村へ戻ると、たちまち大騒ぎになった。


 「こりゃあ奇跡だ!」「女神の祝福か!?」

 「この薬草、一枚で金貨三枚の価値があるぞ!」


 村人たちは口々に驚き、商人たちがすぐに駆けつける。

 「どこで見つけたんだ!?」「その場所を教えてくれ!」


 だが、老夫婦は言う。

 「湖の奥だ。……ほら、あの光る場所」


 「光る? まるで神域じゃないか」


 その夜、村の広場で評議が開かれた。

 村長が老夫婦から話を聞き、静かに頷く。


 「――この現象、間違いない。“湖の女神”のお導きだ」


 「おおっ……!」


 「長年、我らが湖を守ってきた信仰が、ついに報われたのだ」


 村人たちは歓声を上げた。

 翌日には、薬草が「女神の恩恵」として神殿に奉納され、噂が瞬く間に広がる。


 「湖畔の村で、奇跡の薬草が発見された!」

 「女神が現れ、大地に祝福を授けた!」


 商人たちは王都に報せ、やがてその話は情報屋フィーナの耳に届く。


 「……“湖の奇跡”ね。ふふっ、面白い」


 王都の情報屋・フィーナ=ヴァルハート。

 涼やかな笑みを浮かべ、書類に目を通しながら呟いた。


 「報告によれば、その現象が起きた地点には、数日前まで“ある旅人”が滞在していた……と」


 「旅人?」

 部下の青年が尋ねる。


 「名前までは分からない。ただ――現地の子供が、妙なことを言っていたのよ」


 「妙なこと、ですか?」


 「うん。『焚き火の前で、光る鍋をいじってたお兄ちゃんがいた』って」


 フィーナは微笑み、羽ペンをくるくると回す。

 「光る鍋……。ふふっ。どう考えても、ただの料理人じゃないわね」


 「調べますか?」


 「いいえ。今はまだ、泳がせましょう」


 椅子にもたれ、長い脚を組む。

 「――“偶然の奇跡”が続くなら、それはもう、偶然じゃない。いずれ正体が見える」



---


 一方その頃。


 湖を離れたクロノは、山道を登っていた。

 背中には、完成した翠玉ジャムの瓶が数本。


 「はは、これで当分は食糧の心配なしだな。……おっと」


 木の枝に頭をぶつけ、苦笑い。

 「旅はいつも油断が命取り、っと。……けど、やっぱり自由っていい」


 彼の足取りは軽く、表情も穏やかだった。

 かつて勇者たちの影に隠れていた彼が、今は世界を静かに変えている――そんなことを、誰も知らない。


 「よし、次は温泉。山の湯けむりと、このジャムパン……あぁ、最高の組み合わせだ」


 クロノは空を見上げ、笑った。

 白い雲が流れ、青空が広がる。


 世界は今日も、静かに――

 そして彼の知らぬところで、また一つ「奇跡」が芽吹こうとしていた。

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