国外追放とか、簡単に言うけれど
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「ヴェリアルデ・ヒーデル侯爵令嬢に告げる!」
その日、マンナーカノ王国宮殿の舞踏会場で行われていた国立貴族学院の卒業記念パーティーの最中。卒業生のひとりが華やかな祝いの空気を割った。
「そなたは嫉妬のあまりここにいる我が親愛なる友、シェリリエを傷付けたな。平民上がりと嘲笑し、陰湿なる嫌がらせを行い、果てはその権力で学園から排除しようとしたことはわかっている。そなたのような罪深く心根卑しい女、将来の国母とは認められん! そなたとの婚約は今日をもって破棄する!」
突然の宣言に楽団はその手を止め、ざわざわとさざ波のように広がった困惑の中を、まだ少年を過ぎて久しい若く張りのある声が高らかに響き渡る。
「何だ? 揉め事か?」
会場のざわめきが反響するせいですべては聞き取れなかったが、その刺々しい声色からして祝いの場に相応しくないのは明らかだったので、何事か起こったのかと側近たちとその声のするほうへ近付いて見れば、なにやら人集りが出来ていた。
集まっているというより中心の人物たちを遠巻きにしている、というのが近い絶妙な空間が開いているが。
そのぽっかりあいた真ん中にいる男女数名がこの騒ぎの中心であるようだ。
顎を突き出してふんぞり返っているのは確かこの国の第一王子トリアンリート・マンナーカノだったか。
溶かした飴のような金の髪に鮮やかな新緑色の瞳、そして高い鼻や整った目鼻立ちに高い上背は、王族特有の金刺繍に彩られた礼服をそつなく着こなしており、見た目だけなら物語に出てくる王子そのものだ。
彼が王子と言うことは、後ろに従っているそれなりに容姿の整った豪奢な衣装の男たちが彼の側近たちなのだろう。そんな一団がひとりの令嬢と対峙しているようだ。さっき婚約破棄がどうのとか聞こえたように思うが、どういう状況だ、これ。
「断罪、だそうですよ。この場で婚約者の罪を明らかにし、その婚約を破棄するとかなんとか前口上があったようです」
私の側近のひとりであるライトレイが早速周囲に尋ねて回ったらしく耳打ちしてくる。
「さっきの、嫉妬のあまり傷付けたがどうたら言っていたやつか?」
「そのようです」
ライトレイが頷いたが、先程会場中に響いた芝居がかった口上を思い出すと、どうにも腑に落ちず首を捻る。
「状況から察するに、あの男が親愛なる友とか言ってるのは、腕に絡み付いてる令嬢のことだよな?」
シェリリエと呼ばれていた令嬢は、ふわふわな淡い金の髪に、ぱっちりとした目は晴天の青。唇も小さくて柔らかく丸い輪郭は可憐というのが似合うような顔だが、小さな体つきながら出るところは出ている。
平民上がりと言われていたように思うが、それにしては彼女が身につけている胸を強調するようなドレスは薄桃色の絹を幾重にも重ね、金と宝石のふんだんに使われた豪華なものだ。全身を飾る宝飾品も、どれも宝石の粒が大きく、高位貴族でも特別な夜会にしかつけないような代物で、学生時代がようやく終わる年頃の令嬢に相応しいものではない。
そのちぐはぐさも違和感があるが、何より。
「友人が婚約者のいる男に胸押し当てたりするかね」
「国が違えば文化も違いますので一概には言えませんが、我が国であれば斬り捨てられても文句は言えませんね」
「だよなぁ」
この国の法律と良識がどうなっているのか知らないが、婚約者のいる男に身体を寄せてしがみつく女も、婚約者ではない女の腰を抱いてる男も、どう見ても不貞ですありがとうございました、だ。
それにしても自分たちの方が明らかに不誠実をやらかしてる側のくせに、なんであんな勝ち誇ったような顔していられるんだろうか。
それに、今年卒業の学生だけの集められた内輪な性質の濃いパーティーであるとはいえ、私のような留学生も参加している場で何やらかしてんだと諌める者が出てこないのはどういうことだろう。
やらかしてるのが王族だから、身分差により沈黙を守るしかないというのならばわかるが、ひそひそクスクスと嗤う声が微かに聞こえてくる辺り、学生たちはこの状況を楽しんでいるらしい。
(なんだかなぁ)
温くなったワインを飲んでいるような残念な気持ちでいると「失礼ですが」と鈴を振るような涼やかな声が思考を割った。
「すべて身に覚えのないことにございます」
悪意的な野次馬たちの中心で断罪とやらにかけられている彼女、ヴェリアルデ・ヒーデル侯爵令嬢は、その空気に呑まれることなく凛とした佇まいでまっすぐに婚約破棄を突きつけた相手を見つめている。
シャンデリアの光を浴びて煌めく銀の髪色に、水晶のように透明度のある菫色の瞳は切れ長で、すっとした眉や鼻筋はややキツい印象を与えはするが、冷ややかというより玲瓏な美人というのが相応しい。令嬢にしてはやや背が高いが、それがかえって彼女の凛とした美しさを引き立てていた。
同じ特A級で机を並べていた際は、乱れのない制服に化粧気も薄く、きっちり結った髪にシンプルな髪飾りをしただけのお堅い優等生といった風だったが、こうして繊細なレースと刺繍をさりげなく縫い付けられた深い紫苑のドレスと年代物の気品に満ちた宝飾品で着飾られると、やはり高貴な女性なのだなと思わせる空気が彼女の周囲をピンと引き締めている。
(さすがヒーデル候爵家の令嬢だな)
ヒーデル家と言えば、この王国に存在する侯爵家の中でも特に広い穀倉地を抱えている大領主だ。そのいくつかの領地は我が国を含む数ヵ国と接する厄介な土地だが、そのような難しい場所を数代にわたり災禍なく治めてきた優秀な貴族として、我が国を含めた近隣諸国でも名を知られている。
その家名に恥じぬ堂々たる姿勢で、ヴェリアルデ嬢はきれいに伸ばされた背筋をひとつもブレさせずに続ける。
「それは本当に調査をされた上での発言でしょうか? そもそもそちらの方について、わたくしは殿下よりご紹介いただいてございませんが……」
「黙れ! この期に及んで知らぬなどという虚偽が通ると思ってか。第一、ただの友人であるシェリリエをわざわざそなたに紹介などするわけがないだろうが。婚約者程度の分際で私の交遊関係に口を出すつもりか? わきまえろ」
冷静かつ丁寧な令嬢の反論を、乱暴な声が遮る。人の話を聞かない男だな。婚約者だからこそお互いの交遊関係の共有化が大事なんだろうに。こんなのが王子でこの国大丈夫だろうかと隣国の者として不安になる。
ため息を噛み殺しながら成り行きを見守っていると、軽く眉をひそめて不快を表しながら、ヴェリアルデ嬢は声を乱すことなく続ける。
「ただのご友人であるなら尚のこと、ご紹介いただいてもいないのになんの嫉妬をすると言うのです。わたくしが彼女を傷付けたと仰るなら、その証はございますの?」
「証など、本人がされたと言っているのだからそれで十分だろう!」
んなわけあるかい。
思わず心の声を乱していると、斜め後ろに控えているライトレイが肘で私の腕を小さくつついてくる。
「出来の悪い喜劇作家脚本のごとき台詞に呆れずにいられないお気持ちはわかりますが、あからさまにアイツはアホかと言わんばかりの顔をするのはお控えください」
「お前の口から漏れてる言葉の方が大概だと思うぞ」
「失礼しました。ですがまあ、そう思っているのは我々だけではなさそうですよ」
涼しい顔をして毒舌を吐き出すライトレイの視線を追うように見れば、野次馬の輪の外側では苦い顔を浮かべている者もちらほらいる。同級生たちもその辺りにいて、私の視線に何だか申し訳なさそうな生温かい笑みを向けてきた。
なるほど、学生たちの良識は輪の遠近で色分けされているらしい。
そんな様々な視線を受けながら、ヴェリアルデ嬢はひたすらに淡々と反論を続ける。
「被害者の証言のみを基準としてしまっては、不当に貶められる者が出て参ります。それ故に、罪を問うには第三者も納得できる証拠というものが必要なのでございます」
自分のように冤罪掛けられたらたまったもんじゃないでしょう、と言外にたっぷりと含む物言いを痛快に思ったが、トリアンリート王子殿下の方はそうではないらしく、不愉快そうに眉を寄せた。
「またそのような屁理屈を。そなたのことだ、証拠など残さぬようにしたのだろう。狡猾な女狐め」
「あたし、怖かったです……何をされても、あたし、平民だから、逆らえなくて……あっ、そんなに睨まないで……っ」
どう聞いても暴論だが、王子の腕にこれでもかと胸を押当てている令嬢は目をうるうるさせながら、震える声をあげて身体を縮こませた。うーん、具体的に何されたか口にしてないあたり頭は切れそうだが、演技は過剰だな。
そもそも、彼女の立場なら睨まれるどころか家ごと潰されたって仕方がないと思うんだが。
それにしても「大丈夫です、シェリリエ嬢」とか「我々がついていますよ」なんて言って味方ぶっている王子の側近らしき男共、未婚の令嬢にべたべた肩やら腕やら触っているが、マンナーカノ王国の貴族は学生の内に婚約者が決まっていたりはしないのだろうか。
ヴェリアルデ嬢はそんな彼らを一瞬ゴミでも見るような顔をした後、やや大袈裟に「まあ」と驚いたように声を上げた。
「なるほど。この程度を睨まれたと感じられる純真な感性をお待ちの方でしたら確かに、わたくしからのマナー違反に関する諸々の注意を、嫌がらせと受け止められても仕方がないやもしれませんわね。それは配慮が足りず、失礼いたしました」
注意もわかんない幼児だったんだねごめん、を言い換えただけの痛烈な皮肉と共に細められた目は、完全に眼前の彼らを見下している。澄んだ泉の側に咲く百合のような美人がそのような目をすると、周囲の空気がひんやりと凍えるようだ。
ひゅっと何人かが息を飲んだ音を背に、その冷たく尖った声は続く。
「後は、権力を利用して学園から排除しようとした、でしたかしら? 当主ならばいざしらず、たかが娘が家門の権力を我が物として使えると思い込めるほど、わたくし幼くはございませんわ。そもそも、前ゲンカック公である学院理事長に通じる権力など王以外にあるはずがないと、普通の貴族であれば理解しておりましてよ」
前ゲンカック公とは、ゲンカック公爵家へ臣籍降下した先代王弟殿下のことで、息子と当主を交代した後は国の若手育成に力を入れるべく貴族学院の理事に就任した、というのは近代史のなかでも比較的新しい出来事だ。
そんな大物相手に通じる権力なんて、それこそ王族ぐらいだろうな。
ヴェリアルデ嬢の言葉は「私がそんなこともわからない子供だと思っているの? 馬鹿にしないで」という反論のようであり、しかし実のところ「家の権力を自分の物だと振りかざしたりしないわよ、あんたたちじゃあるまいし。ていうか、子供だって無理だとわかるような罪しかでっちあげられなかったのかしら?」という強烈な嘲笑を含んでいる。
「貴様……!」
「殿下、抑えて……!」
流石に馬鹿にされたことがわかったのだろう、男どもの顔が真っ赤になったが、何事か声を荒げようとした王子を止めるだけの脳はあったらしい。まあ迂闊な反論をしようものなら、墓穴を掘るしかなさそうだしな。
さっき「ヴェリアルデ嬢が証拠を残すわけがないから証拠なんて出てこないので被害者の証言が証拠」的なことを言っていたあたり、彼らもまた証拠なんて用意していなかったのだろうし。
大方、ヴェリアルデ嬢の罪をでっちあげ、華々しく断罪することで婚約破棄の正統性をアピールするつもりだったのだろうが、完全にそれどころではなさそうな状況だ。
こっからどうするつもりだろう、と見ていると、側近たちは三人もいて誰も何も思い付かないようで、王子様を抑えたまま顔を見合せている。
嘘だろ。
留学時にひと通り覚えた主要貴族とその子息の一覧に彼らの姿はなかったが、王子の側に侍るくらいだから優秀さを期待されているはずなのでは?
少なくとも我が国では乳兄弟であってすら能力が値しなければ側近には選ばれないのだが、マンナーカノでは縁故が優先される気風なのだろうか。
「……お話は以上でしょうか」
微妙な沈黙が落ちる中、これが幕引きとばかりにヴェリアルデ嬢が静かに言った。その時だ。
「……ひっく、ぐす……酷いです……っ」
顔に涙をいっぱいに溜めたシェリリエと呼ばれたお嬢さんが、弱々しい風を装いながらも甲高い声を上げるという器用さを発揮しながらトンチキ王子にすがり付いた。
「あ、あれが注意だなんて言うんですか? あ、あたし、とっても怖かった……! 平民上がりだからと、酷い言葉で罵られて……っ! それに……上位貴族の方に『学院に相応しくない』なんて言われたら、学院に来るなと言ったも同然じゃないですか! あんなの、権力を使った排除とおんなじです!」
勇気を出して真っ直ぐ抗議をしている、という体でヴェリアルデ嬢を見る少女の姿は、前後なしに見れば健気にも見えるあたり計算されているし、正直、トンチキよりよほど機転が利いた上手い返しだな、と感心してしまう。
何を言い何を言われたか当人たちにしかわからない以上、それだけを聞けばヴェリアルデ嬢の言い方にも問題があったと取れる。
さて、どう出るかと見ていると、ヴェリアルデ嬢はすっとその目の鋭さを変えてシェリリエ嬢を捉えた。
「誤解をさせてしまったのは申し訳ありませんが、お言葉は正確にお願いいたします。わたくしは『婚約者の決まっている異性相手に、肌を密着させるような行為はお止めなさい。学院に相応しい、節度ある距離感を保つように』と申し上げました。確かに学院に相応しくない態度であると咎めはしましたが、これが退学を勧める言葉に聞こえますでしょうか?」
「そ……そんな言い方してなかったです!」
シェリリエ嬢は「怖かったんですから!」と震えながら首を振ったが、ヴェリアルデ嬢は「いいえ」と冷ややかだ。
「わたくしの発言については証人がおります。公平性についても、もちろん保証できる方ですわ」
「そなたの用意した証人など、信用できるか! どうせそなたが口裏を合わせて――」
どこまでも人の話を聞く気がないらしい男の声が横から割って入ったが、更に何か怒鳴り付けようとしたのを「殿下、駄目です」と後ろから彼の側近がとうとう腕を引いて止める。
それを見て、ライトレイは苛立ったように「判断が遅い」と呟いた。
本当にな。
侯爵令嬢であるヴェリアルデ嬢が公平性が保証できる証人と明言した相手だぞ。権力による圧力ができない相手――つまり間違いなく国の要職の人間を指してるに決まってる。そんな相手に口裏を合わせているだろうなんて嫌疑をかけようものならどうなることか。まあほとんど口に出したようなものだけどな。
シェリリエ嬢もさすがにこれ以上反論はできない様子で、目を潤ませながらぎゅうっとトンチキの腕にしがみつくしかなくなっているし、しがみつかれた方もギリギリと歯ぎしりするしかないようだ。
「もう、宜しいですか?」
そんな様子に、ヴェリアルデ嬢はそれはもう温度のない声で婚約者のほうを見た。
「皆様の卒業記念パーティーを台無しにしてまで、このような茶番でわたくしを貶めようとなさるとは。大人や先生方のいらっしゃらない機会を狙ったのでしょうが、浅はかと言わざるを得ませんわ」
「……っ! 黙れ!」
いい加減付き合いきれなくなってきたのか、皮肉もなしのド直球にぶっぱなしたヴェリアルデ嬢に、王子という名のトンチキくんは噴火するかのように顔を真っ赤にしてヴェリアルデ嬢に指を突きつけた。
「侯爵家程度の分際で未来の王太子を愚弄するとは! 潔く罪を認めてシェリリエに謝罪すれば側妃くらいにはしてやろうと思っておったが……」
「あなたの妃などこちらからお断りです。婚約は破棄で結構ですわ」
舞台にでもいるつもりなのか、大仰に腕を広げて羽織っていた外套をはためかせたトリアンリート王子だったが、彼なりに渾身だったろう台詞をヴェリアルデ嬢がすっぱりと断ちきってしまったのに、怒りか羞恥かその顔が茹でた海産物のように真っ赤に染まっていった。
「この……っ! どこまでも可愛げの無い女め!」
見せ場を邪魔されたから、というより拒絶されることに耐性がないんだろうな。茹でダコ王子様はギリギリと歯軋りさせていたが、すぐにその顔をにやりと厭らしく歪めた。
「ヴェリアルデ・ヒーデル! 貴様の態度、本来ならば反逆罪で死罪にしてもよいところだが、元婚約者への慈悲として不敬罪に留め、身分剥奪の上、国外追放に処す!」
「おいおいおい何言ってんだ」
ヴェリアルデ嬢ならばこの程度どうにかするだろうし、もし彼女の想定内の状況であるならば下手な横槍はしないほうがよかろうと、途中からすっかり高みの見物でいたところにトンチキ王子殿下がとんでもないことを言い出すものだから、突然他人事ではなくなった衝撃に思わず声が出た。
勢いで滑り出たツッコミを一旦咳払いで誤魔化してから、側近たちに道を空けさせて茶番劇の環の中に入っていく。
「勝手に決められては困るのだが」
「誰だ貴様は!」
気持ちよく大音声をあげていたところに割り込まれたからだろうか、トンチキ……トリアンリート王子様が苛立たしげに叫んだ。
嘘だろこいつ。一国の王子のくせに私が誰だかわからないのか? 顔がわからないのは百歩譲っても、この左胸に飾られた意匠を見れば私の立場はわかるはずだろう。
野次馬たちのなかでも、距離のせいなどもあってか気付いた者とそうでない者とがいるようで、指揮者を失った協奏曲のように様々な意味合いでざわめく中、さっきまでツンとすましていたヴェリアルデ嬢が、その顔を真っ青にして麗しい銀の髪を翻し、さっと私の前に来て深々と頭を下げた。
「我が国のご無礼、申し訳ございません。わたくしの監督不行き届きをお詫び申し上げます」
「いや、前触れなしに割り込んだのは私だし、『これ』は君の責任ではないと承知している」
普段教室で交わす挨拶とは違った最高礼に近い拝礼は、おそらく後ろでやたら偉そうな顔をしている男どもに、私の立場を教えてやろうとしているのだろう。鷹揚に許しを示しながら、健気なことだなぁ、と彼女のことが少し可哀想になる。
だってあのトンチキ、私が「王子妃予定だった婚約者が頭を下げるような相手」だってことを、まだわかってないみたいだし。
私はそんな彼女には面を上げる許可を下ろしながら視線をそのトンチキくんに戻した。
「国外追放と簡単に言うがね、どこへ追放するつもりなのか聞かせてもらえるか」
「は? どこ、だと? 国外追放なのだから国外以外の何があるというのだ。しかもなんだ、その口のききかたは!」
「いやいやまさか、国外追放を単に国境から放り出すだけのことだなんて思っているのではないだろうね?」
返答の後半はとりあえず無視し、にわかに殺気立った私の側近たちを手で制しながら、訝しげな顔をするトリアンリート王子に問いかけを続ける。
「貴国は我が国含めた五ヵ国と隣接しているのだから、そのいずれの国へ追放しようとしているのかは、私の立場としては確認せざるを得ない。とはいえ、どの国も許可は出すまいが……」
「許可だと? 何故そんなものがいる」
「当然であろう。自国の罪人を勝手によその国に追い出すつもりかな? 国境侵犯どころの騒ぎではないよ。国際問題として抗議されてもおかしくはない。貴国にしても、こんな場で軽々しく発していい処罰ではないだろう」
ちょっと考えればわかるだろ。
私の言葉を受けとる形で「それも一理ある」だのなんだの相槌打って、一旦検討とする方向に持っていけば、さらりとこの場を収められるだろ、という、私なりのアシストのつもりだったのだが。
「国際問題だと? 何を馬鹿げたことを。国外追放は我が国の刑罰であるし、王族の俺が下したのだ。どこに問題があるというのだ」
嘘だろ? ここまで話通じないことある?
思わず自身の側近を振り返ったが、ライトレイは「なんとかは付ける薬が無いと申しますね」と呆れを隠さぬ声で呟いた。ヴェリアルデ嬢に至っては目がほとんど死んでいる。
私も少しくじけそうだったが、一応は続けることにした。
「……そもそも、相手国からの許可のない越境は、密入国だと理解しているかね?」
「さっきから許可、許可と鬱陶しい……罪人を関所にわざわざ運んでやるわけがないだろう。国境向こうの森の奥に捨てれば勝手にのたれ死ぬだろうに、何の許可が必要だと言うのだ馬鹿め」
いやはや、そんな爪先まで間違いだらけの反論を展開されるとは思ってもいなかったんだが。どっちが馬鹿だよ、と喉から飛び出掛けた言葉はなんとか飲み込めたが、なんだか頭が痛くなってきたな。
「はぁ……どうも君ではお話にならないな」
「何を!」
もう溜め息を隠す気にもならないよ。
掴みかからんばかりに頭から湯気を出すトンチキ王子くんを、彼の側近たちが必死で宥めている間に、私はヴェリアルデ嬢に向き直った。
「尋ねるが、ヒーデル侯爵令嬢」
「……はい」
同級生としての態度ではなく、あえて身分相応の口調に切り替えた私に、ヴェリアルデ嬢も表情を静かなものへと変える。
「我が国としては、貴女のごとき才能と名誉を持つ方を受け入れることやぶさかではない。国外追放が正式なものとなった暁には、通行証ならびに国籍を発行し、一時的な仮宿にて身分相応の扱いを保証いたそう。いかがかな?」
「……それは、今この時からでも可能でございますか?」
一拍を空けて、ヴェリアルデ嬢ははっきりとした口調で応じた。
「ただいま婚約を破棄された身なれば、追放を待つよりも自らの足で出て行く所存でございます」
「即断即決、たいへん素晴らしい」
いつもキビキビしていた教室でのように、ヴェリアルデ嬢はその鋭い目にきらりと輝きを宿した。貴族の矜持を閃かせるその目線に、私も頷いて見せる。
「では退場の後の帰路については馬車をこちらで用意しよう。お前たち、すぐに手配を」
「待て待て待て待て! 俺を無視するな!」
数歩後ろに控えていた私の従者に指示を出していると、自称未来の王太子を名乗るトンチキが、自身の側近たちの腕を振り切ってずかずかと近付いてきた。
「いったい貴様らは何の話をしている!!」
「我が国でご令嬢の亡命を受け入れるという話だ」
「亡命だと!?」
いちいち怒鳴らないと話もできないのかな、このトンチキくん。
はあ、とちょっと大袈裟に溜め息をついて遺憾を示すが、まあそういう貴族的動作言語は通じないんだろうなぁ。
まあ最後の情けと、一応説明しておくことにする。
「先ほどから言っているだろう。国外追放なんてね、国境の曖昧だった時代ならともかく、追放される側の国が受け入れる許可を出さなければ成立しない」
そもそも追放刑って単純に国から追い出すことじゃないんだが、まあそれはいいか。
「例えば、国外に追放された盗賊はどうなると思う? 当然まともな職にはつけないのだから、追放された先でやはり盗賊になるのは目に見えている。どの国だって自国に害をなす可能性のある者など来てほしくはないんだ。逃げてきたのならともかく、隣国から犯罪者を捨てられて、被害対策や討伐対応、処分まで自国に押し付けられたとなれば、どう思うかな?」
お前のとこの犯罪者なんだから、お前のとこで何とかしろってなるよな。ゴミの不法投棄より更にたちが悪い話だってわかってるか?
「私なら国としてその振る舞いを不快として抗議するし、国の気性によっては攻撃の意思ありとみなして武力行使も厭わないレベルだよ。我が国の先代皇帝などは喜んで侵攻の口実にしたろうね。ははは」
つらつらと語って聞かせると、取り囲んでいた学生たちの何人かが蒼白になっている。大陸歴史書の最近になって更新された頁を思いだしたんだろう。
近隣三国を炎の海に沈め、その頭髪と瞳の鮮やかな赤は、流した血で染まったものであるとすら言われる侵略王の名とその顔――が、私にとてもよく似ていることを。
「でも君のような王族がいるような国にこのままご令嬢を住まわせておくのは余りに勿体なさすぎるからね。要らないならもらい受けようという話だよ。まあ、ここまで盛大にやらかされたのだから、ご令嬢の方も追放の話がなくともこの国への帰属意識なんて露と消えたのではないかな?」
「左様でございます」
話しながら視線をヴェリアルデ嬢に向けると、それを受けた彼女は静かに言った。
「わたくしは我がヒーデル侯爵家当主より身の振り方についてある程度の裁量を許されております。皇弟殿下のご恩情有り難く、わたくしといたしましては今後、王国へ足を踏み入れることはないと心得ております」
「左様であればあとは侯爵への話は私から通しておこう」
さらりと口にする言葉に確かな覚悟が滲む。これぞ高位貴族令嬢という態度に、にこにこと笑みが浮かんだ。なんなら侯爵家の土地ごと移ってきて貰えると有り難いが、そのあたりは流石にヒーデル侯爵の意向と我が国の皇帝陛下次第かな。
「さて、では差し当たり、令嬢のエスコートの権利を私に頂けますかな、ヴェリアルデ嬢。制服姿の貴女も美しいが、今宵の月の女神のように美しい貴女を、ダンスに誘いたくて仕方がなかったんだ」
そう言って笑いかけながらそっと手を差し出すと、さっきまで氷の微笑みを浮かべていた白磁の肌にじわりと朱がさした。
「……光栄です」
白い手袋に覆われた細くしなやかな指が、私の掌に重なる。
成り行きが理解できていないのか、ポカンと見ていたトリアンリート王子は、瞬き数回後にやっと気が付いたようにぐわっと顔を怒らせた。
「ええい、まだこの俺を無視するか! 貴様も不敬罪で捕らえてやる!」
「だ、駄目です殿下……!」
彼の側近が慌てたが、いやいや遅すぎるだろうよ。
もう十分不敬を見逃してやったのだから、これ以上はもういいだろう。
「できるものならば、やってみるといい。オートナリ帝国皇帝が末の弟、ドミトリウス・ジル・オートナリを不敬と問えるならだが」
さすがにこの大陸最大の領土を誇る我が帝国の名を出されれば、理解するしかないだろう。いや、今まで気付かなかったのが逆に凄いけどな。
「な、こ、皇弟……殿下……」
トンチキとその腕にひっついてた令嬢の顔は引き攣り、ようやく自分たちが何をしでかしたのか気付いたのだろう。まあ、遅きに失するというやつだが。
「最後に忠告であるが、どのような事情であれ、今後はこのような祝いの場で断罪劇などという不躾な真似は止されたほうが良かろう。余興として程度が低いと他国に侮られかねん故な」
「は……」
蒼白を通り越して土気色になったトリアンリート王子は今にもぶっ倒れそうなくらい足をカタカタと震わせている。
「何をしている。殿下の顔色がよろしくないぞ。側仕えならば速やかに介抱してさしあげろ」
そんな王子の様子に、斬り付けるような鋭い目でライトレイがトリアンリート王子の側近たちを睨みつけると、主と同じくらい真っ青になっていた彼らはこくこくと頷いて、石柱のようになった王子様をほとんど抱えるようにして会場を逃げるように出て行ったのだった。
シェリリエ嬢? いつの間にかいなくなってたから控え室にでも逃げ込んだんじゃないかな。
この場を逃げたところで、やらかした事実がなくなる訳じゃないのにね。まあそんなこともわからないから、トンチキくんに付き合ってたんだろうけど。
一行の背中が消えるまで見送り、何とも言えない沈黙が落ちた舞踏会場の中、私はパンパンと手を鳴らした。
数歩前へ出て、先程まで彼らのいた場所――シャンデリアの灯りが注ぐちょうど真下へ立つと、全員の注目が集まったところで「さて諸君!」と会場に行き渡るように声を出す。
「喜劇の主役は退場したことであるし、つまらぬ騒ぎはここまでといたそう」
特A級の同級生だった面々がすぐに察したように動き初めて、固まっていた給仕担当へ指示をしたり奏者たちに合図を送ったりと手配を始めているのを横目で確かめてから、ゆっくりと右腕を広げて見せ、この場での代表であるかのように振る舞う。
主賓が退場となったせいで、他国の賓客という側面のある私の前に出て音頭を取れる人間がいないからだ。
本当は私だって祝われる側なんだけどなぁとは思うが、同じ学舎で過ごした皆の大事な宴を台無しにはしたくはないから仕方ない。
「まずは音楽を! でなければグラスを取りたまえ。今宵は折角の卒業祝いなのだから、主役たる我々は存分に楽しまねば!」
外交用の笑みを浮かべて、まだぎこちない会場を一瞥する。はじめはパラパラと戸惑い混じりだった拍手が次第に空気を打ち消すように大きくなって、空気がゆっくりと和らいでいくのを聴きながら、緩い前奏曲にあわせてヴェリアルデ嬢の華奢な手を引いた。
「主賓の代理ですまないが、ヴェリアルデ・ヒーデル嬢。我が国まで名の響くマンナーカノ王国の名門、ヒーデル侯爵家の子女たる貴女に、ファーストダンスのお相手をお願いできますかな?」
やや大袈裟に振る舞って見せたのは、政治的なパフォーマンスでもあるからだ。王子のやらかしはともあれ、国としては変わらぬ親交を続ける意思があることを示すには、これがまぁ今の時点では一番手っ取り早い。
意図を理解して「喜んで」とよそ行きの微笑みで頷くヴェリアルデ嬢とホールの中央へ進み、音楽に合わせてダンスを踏み始めた。
さすが高位の貴族令嬢で、事前の打ち合わせのないダンスでも難なくステップを合わせてくる。観客向けに二度ほどターンをしたところで、私はそっと話しかけた
「お疲れさま」
「ご迷惑をおかけしましたわ、ドミトリウス殿下」
「いいや」
今なら誰に聞こえることもないが、念のため小さく抑えた声で交わすのは、同級生としてのやりとりだ。お互いにほんのり苦笑を浮かべながら、少し距離を狭めてゆっくり中央で四角を描くように足をさばいていく。
「国外追放なんて言葉が出たから、つい出しゃばっただけだよ。それより、このところ憂い顔だった原因は解消されたのかな」
「ええ。ご覧になった通り、見事に自滅してくださいましたわ」
ふふっ、と淑女の仮面を被る彼女の目に嘲りの色がちらりとよぎっていった。
切れ長な目でそういう表情をすると抜き身のナイフのような鋭さがある。好戦的なその顔に、とある授業で傲慢な教師をやりこめた時のことを思い出す。
「王命により縁付いた婚約とはいえ、わたくしばかり割りを食うのはいい加減、腹に据えかねておりましたので」
最近ヴェリアルデ嬢が教室でため息ばかりついていたのは何か悩みがあるせいかと思っていたが、これはどうも怒っていたらしい。
「大人たちが居ないとは言え、これだけ大勢の前ですもの。婚約破棄に国外追放、偶然とは言え隣国の皇弟への暴言! 言い逃れは無理でしょうね。貴族としてはよくもやってくれたと国の恥に心を痛めるところでしょうけど、わたくし個人としてはよくぞやってくれた、と晴れやかな心地ですわ」
うーん、これはどうやら彼女側からも何か仕組んでいたっぽいな。侯爵家からは身の振り方の裁量を任されているって言ってたし。潜めてはいても声に弾みが乗っているので、本当に本当に怒っていたんだろうなあ。
実のところ、校内の情報についてはなるべく耳に入れるようにしていたのだが、今日になるまでヴェリアルデ嬢の憂いの原因を突き止めることは叶わなかった。
先程の王子の態度からして、腕にくっついてた令嬢との関係は昨日今日の話ではなさそうだったのに、噂のひとつも聞こえては来なかったのだ。同学年でも級が違えば交流する機会は殆どないとは言え、場を面白がっていた野次馬たちがあれだけいるような話題がだ。
情報統制とすら言えるレベルのそれも、もしかしたら彼女によるものなのかもしれない。隣国の人間に、自国の弱みにもなる醜聞を聞かせないように。
元々級友としてその優秀さは知っていたが、流石王子妃に選ばれる女性だと改めて感嘆する。いやほんと、あのトンチキ王子くんは彼女の何が不満だったんだ。王家としては喉から手が出るほど欲しい人材だろ。
それでなくとも、彼女のぴんと張りのある冷静な声、知性的な眼差しは凛として美しい。磨き上げられた立ち振舞いはさることながら、不敵に笑う笑みなど目が離せないほど魅力的だと言うのに。
改めて自分の気持ちに向き合わされた私は、婚約者から解放されたと喜ぶ彼女に「おめでとう」と祝いながら、そっと切り出した。
「……こんな時に言うのは卑怯かとは思うんだけど」
「なんです?」
「二曲目も君と踊るのを許してもらえるだろうか?」
私の言葉に、ヴェリアルデ嬢は大きく目を見開いた。二曲続けて踊ることが許されるのは、親族か婚約者までだ。まあつまり、そういう意図を含んだ言葉に、紫水晶のような眼を二度ほど瞬かせてヴェリアルデ嬢は苦笑した。
「ご遠慮させていただけますか?」
うっ、駄目か……。がっくりした気持ちを表に出さないように踏ん張って、なんとか中央へ戻るステップを踏んでいく。
「理由を聞いても?」
引き際の悪い私に、眼を細めたヴェリアルデ嬢は、その笑みをひんやりとしたものに変えると、教室でもよく聞いた整然とした声で言った。
「状況が悪いのです。今回の非はすべて殿下にあると満場に認めさせるためには、万が一にも私と貴方の不貞を疑われないようにしなくては」
「では」
気持ちが前のめりになるのをなんとか堪え、最後のターンを決めながら、ポーズを取るためにその細い腰を引いて改めて囁く。
「きちんと婚約が解消してからであれば……どう?」
「……考えておきます」
仕方のない男だなぁ、とでも言うように口許を緩ませたヴェリアルデ嬢の仄かで強かな笑みは、シャンデリアの輝きを受けてとても眩しく私の瞳に映ったのだった。
――その後、ヴェリアルデ嬢は宣言通りパーティーを辞したその足で国境を越えて我がオートナリ帝国の客人となった。
逆に私はマンナーカノ王国へ残り、同級生たちとパーティーでの出来事を公にしたり、同時にトリアンリート王子の発言を正式に抗議したりと、彼女の婚約破棄の後押しにせいを出している。
まあマンナーカノ王室としても、多くの貴族子息女の前で大貴族との契約をぶったぎるなんて信用を落とすようなことした挙げ句、大国の皇族に暴言吐くなんていう真似をした王子なんてさっさと処分してしまいたいだろうから、話はさっさとつくだろう。
正直、彼らの行く末にはさしたる興味はないので、王国側で好きなようにすればいいと思う。
やらかしたことの重大さから考えて、王子含め側近たちや例のご令嬢も、幽閉とか修道院行きなどという甘い沙汰になるはずもないからな。
時代が時代なら処刑でも生温いとされただろう。平和でよかったね、というのが私の感想だ。
「できれば今日の話し合いで終わればいいがね」
マンナーカノ王宮の謁見室へ足を進めながら私は思わず呟いた。
終わったらすぐにでも我が国まで馬車を走らせ、今度こそ正面からヴェリアルデ嬢を口説くつもりでいるのだ。
豪奢な大扉が開く音を聴きながら、私の心は既に、自国の青い空の下でのんびりと寛いでいるだろう銀の髪の乙女のもとへ飛んでいたのだった。
おわり
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ヴェリアルデ嬢から見た経緯の話も書きました
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「婚約破棄とか、簡単に言うけれど」
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2026/1/26
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