大切な事を見極めよう
街はいつもより静かだった。
選挙の前日というのは、どこか張り詰めたような空気が漂う。
誰もが明日、何かを決めるような顔をして歩いている。
それを見て、僕は少しだけ息苦しくなる。
「とりあえず選挙に行こう」
どこを歩いても、誰かがそう言っている。
SNSでも、駅前でも、ラジオでも。
けれど僕には、その言葉がどうしても嘘のように聞こえて仕方がなかった。
とりあえず行って、どうするのだ。
僕たちは誰に投票するのか、何を求めているのか、それを知っているのだろうか。
何となく名前を聞いたことがある。
何となくテレビで見たことがある。
そんな「何となく」でこの国を動かす一票を入れてしまうことの恐ろしさを、
誰も考えようとしない。
僕は大学の帰り、図書館の裏にある小さなカフェでコーヒーを飲みながら、
ノートに考えをまとめていた。
「投票とは何か」
そんな題をつけて。
政治に関心を持つことは大事だと思う。
だが、関心と理解は違う。
表面だけをなぞって、自分は知っているつもりでいる人間ほど危うい。
ほんの少しニュースを見た程度で、誰が正義かを決めつける。
ネットの見出し一つで、国の方向を判断する。
そんな人間が「とりあえず」投票所へ行き、「とりあえず」名前を書いて帰る。
それは本当に民主主義なのだろうか。
僕はコーヒーを飲み干し、店を出た。
冷たい風が頬を打つ。
ビルの隙間から見える街のポスターには、候補者たちの笑顔が並んでいた。
彼らの言葉はどれも似ている。
「未来を変える」「暮らしを守る」「あなたのための政治」
どの口も、同じように動いている。
僕は歩きながら思う。
もし本当に変えたいなら、まず自分が考えなければならない。
考えたうえで、納得して選ぶべきだ。
それができないなら、投票なんてしない方がまだ誠実だと思う。
選挙の日。
僕は朝から布団の中でじっとしていた。
友人からのメッセージが鳴る。
「行った?」「まだ?」「投票所すいてたよ」
スクリーンを見ながら、僕はゆっくりとスマホを伏せた。
行くべきか、行かざるべきか。
それを悩むことすら、もう滑稽に思えてくる。
義務だと言われるけれど、義務の前に知識と責任が必要なんじゃないか。
わからないままに動くことほど、怖いものはない。
僕は天井を見つめた。
この国の未来を本気で考える人間が、果たしてどれだけいるのだろう。
投票率という数字だけが一人歩きして、
「とりあえず行こう」と叫ぶ声がまた増える。
誰かに言われたから投票する。
それは、自分の意志ではない。
夕方、窓の外が朱色に染まったころ、僕はようやく立ち上がった。
部屋の中は少し冷えていて、シャツの袖を引き下ろす。
玄関の靴の前で立ち止まる。
「とりあえず」で行くのか、それとも、何かを信じて行くのか。
僕は靴を履かずに、窓のカーテンを開けた。
遠くの小学校の体育館に人の列が見える。
その列が、正義なのか錯覚なのか、僕にはもう分からなかった。
ただ一つ確かなのは、
「とりあえず行こう」と言うことが、
どこかで誰かを思考停止に追いやっているということだ。
考えることを怠らない人間だけが、
ほんの少しだけこの国を動かす力を持っている。
だから僕は、今日もここで考える。
明日へ向かう前に、
本当に自分の意思で一票を入れられる日が来るのかを。
 




