【予言者】③
7月4日11:00AM 神瀬探偵事務
「これでもう4件目か…。」
コーヒーを一口すすり呟く。
神瀬凛は考えていた。なぜ、彼らは死んでしまったのかー。いくら考えても答えは出ない。
クーラーは故障し、扇風機の1つもない薄暗くジメっとした事務所の中は強い日差しと猛暑によってサウナと化していた。
少し開けられた窓からは心地よいそよ風なんて入るわけもなく、ただただ熱風が吹き込んでくる。
街の中心にあるはずの事務所にも、カナカナカナカナと街路樹に止まるヒグラシの鳴き声がうるさいほど聞こえてくる。セミの鳴き声がこのサウナの温度をいっそう上げているような気さえする。
垂れる汗を袖で拭い、うちわを扇ぎながら寺坂は言う。
「やっぱ今回のも他殺ですかね。」
「おそらく、な。」
神瀬凛、その道では有名な探偵の名である。解決した案件は星の数、探偵としての腕はもちろんだが、誰にも相手にされないような案件も取り扱っており客からはいい人、業界では変人としても知られている。
中性的な顔立ちに、180cm近い身長、外見からは判断できないが神瀬凛はれっきとした女性である。名前も女性か男性か判断しにくいうえ、一人称が「僕」、声に至ってもあまり高くないので依頼人に男性だと勘違いされることも多い。もとより神瀬は男っ気が強い人間だった。
探偵という仕事をしているのはほとんどが男性である。そのため女性の探偵というのは珍しい。仕事を始めたばかりのころ同業者からは、また身の丈をわきまえない女が業界に入ってきた、と馬鹿にされていた。また、顔は整っていたため性的な目で見られることも多々あった。
そんな中、神瀬は実力で業界トップの地位をものにした。神瀬はそんな不屈の探偵である。
探偵という仕事はよくあるアニメやドラマのように難事件を解決する仕事かと言うとそうではない。する仕事のほとんどは、人探しや浮気、不倫の捜査である。ただ、神瀬は違う。とは言っても警察に協力するわけではなく、警察が相手にしてくれないような事件について調べていたり、少し変わった案件を扱っていたりするのだ。今まさにその案件に頭を悩ませていた。
話は一週間前に遡るー。
神瀬探偵事務所からすぐ100メートルほどにある喫茶店、「normal」に神瀬は出向いていた。
素朴な外観に、レトロな内装、常連しかこないため基本店内は静かである。この喫茶店は神瀬のお気に入りであり、探偵事務所をこの通りに作ったのもこの喫茶店に近いからである。
神瀬はここで神輿谷大学の教授、甘南備と待ち合わせをしていた。
神瀬は神輿谷大学の学生時代、甘南備の教え子であった。今でも頻繫に会って話をしている。神瀬と甘南備は今や大親友と呼べるほどの仲である。
先に到着していた神瀬が頼んだコーヒーを待っていると、男が店内に入ってくる。ぼさぼさの白髪に、何日か放置された無精ひげ、白い白衣に眼鏡というまさしく研究者ですと言わんばかりの姿のこの男こそ神瀬が待っていた甘南備幸郎である。
甘南備は睡眠化学の研究者であり、その界隈では名を知らない者はいないほどの有名人。20代のうちに准教授になり32歳にして大学教授となったほどの天才である。
研究者としてはもちろんだが、大学内ではお人よしでも有名である。ひたすらにいい人であり、生徒の質問や相談にはいくらでも時間を割いてくれる、そんな人物である。そのため、甘南備の授業は受けられるほとんどの学生が受け、ときには授業が抽選にもなる。また、甘南備の研究室の争奪戦は激しく、倍率は7倍を超えるのだ。
「僕を待たせるとは、いい度胸ですね。」
「いやあ、すまない。学生の質問対応に追われてて遅れてしまったんだ。本当に申し訳ない。」
そこまで待ったわけではない神瀬は、なんとなくからかうつもりで言ったのだが甘南備の本気の謝罪に少し申し訳なくなる。甘南備がスタッフを呼び、ブラックコーヒーを注文する。
多忙を極める二人は普段からコーヒーが欠かせない。世間話をしながら二人は注文したコーヒーを待つ。二人のコーヒーが席に運ばれてくると神瀬は話を本題へと移す。
「で、話ってなんです?」
「君に依頼したいことがあってね。」
「ほう、珍しい。」
神瀬と甘南備は非常に親しい仲ではあるが、そこに仕事の話を持ち込むことはまずない。
「神瀬君は予知夢って信じるかい?」
「予知夢ですか?」
予知夢とは、夢で見たことが現実で起きるという現象の事である。祖父が夢に出てきた後に亡くなってしまった、地震が起きる夢を見たら本当に地震が起きたなど、未来を見透かしているような夢、それが予知夢である。
神瀬は少し考え口を開く。
「信じているかで言えば信じてないかな。ああいうのって大体が気のせいでしょ?」
神瀬が言うように予知夢とは認知バイアスが引き起こす一種の勘違いである。当然オカルト的なものではなく、曖昧な夢の記憶を現実に強引に結び付けたものだ。例えば「祖父が夢に出てきた後に亡くなってしまった」という場合それは本当に祖父だったのか。似た老人が夢に出てきたのを後から祖父だったと解釈しただけではないか、ということである。また夢とは記憶の整理、たまたま祖父が夢に出てきた可能性だって否めないわけだ。
神瀬は予知夢を信じていないと言ったが、その割には少し上機嫌にも見えた。
「君ならそう言うと思ったよ。」
甘南備は神瀬がこの手の話題が好きだという事を知っていた。
神瀬はオカルトなど全く信じていない。しかし探偵の性だろうか。なにか分からない事があったらそれを解明しないと気が済まないのだ。
「予知夢の研究でもしてるんですか?」
「してると思うかい?」
「かの有名な甘南備大教授のことだ、していてもなんら不思議はない。」
神瀬は甘南備の研究を彼の話から熟知している。もちろん甘南備は予知夢の研究などしていないし、そんなこと神瀬も知っている。
「ははっ、そうかい?まあ、いつかはしてみたいと思うよ。」
そう言って甘南備は笑った。夢というものはまだ解明されていないことも多い。甘南備も予知夢はただの勘違いだと思っているが、睡眠を研究するものとして予知夢自体に興味はある。
「冗談は置いといて、なんで予知夢の話を?」
「僕のもとに予知夢を見たという相談があったんだ。」
甘南備は睡眠の研究の一環として睡眠に関する相談を受け付けている。今や睡眠化学の権威とも言える甘南備のもとには日々多くの相談が寄せられる。甘南備の対応の良さもあり相談の数は増える一方だ。
甘南備教授のことだ、予知夢を見たとかいうバカが相談してきて少し興味が沸いたんだろう。そう思う神瀬に甘南備は続ける。
「といっても僕のもとに予知夢を見たという相談があるのは珍しくないんだ。」
甘南備のもとに寄せられる相談の多くは不眠や寝不足についてだが、相談の一部には何かを予言する夢を見ただとか、夢が現実になっただとか、そういった相談もある。甘南備はお人よしだが、馬鹿ではない。そういった相談は軽めの睡眠障害として対応するのが基本だ。
「ただ、今回ばかりは状況が違ってね。3人、自分が死ぬ夢を見たと言う人が来た、それもすごくリアルなね。」
「それが予知夢ですか?」
「分からない。僕もそこまではいつものことだと思ったんだ、きっと悪夢の類だろうと。でも違った。予知夢が正夢になるって言うのかな。3人とも本当に死んでしまったんだ。それも自分が死ぬ夢を見た次の日、僕に相談しに来たその日のうちに。」
予知夢が現実に?それで死亡した?そんな馬鹿な。
神瀬は信じがたい話だとは思ったが、甘南備の様子から嘘ではないと分かっていた。
「3人とも最初は気のせいかと思ったらしいんだ。それほど短い断片的な予知夢を見ていたと言っていた。それがだんだんと長くなっていったそうだ。」
「それで最終的に死ぬ夢を見たと?」
「そうだ。」
「信じられない...。」
「そうだろう?僕もだ。ただ、この話の不思議な点は別のところにあると僕は思ってる。」
「…というと?」
「不思議な点は2つ。1つ目は3人ともすごくリアルな夢を見たと言っていた。最終的には朝起きてからほとんど夢で見たこととリンクしていたとも言っていた。でも僕のところにくる夢は見ていないと言っていたんだ。それってつまり夢で見た、ここでは未来としよう。それを変えたって事だろう?それなのに彼らは夢で見たように死んでしまった。」
たしかに、夢の内容を聞いていればその夢が本当に予知夢かどうかは教授に相談しに来たかで判断できる。事実、その夢では教授のもとに来ていないわけだから、その夢は正夢ではなくなったということだ。
しかし、今の話を聞いている限り…。
「まってくれ。それじゃあ教授は予知夢を信じているのか?」
「信じているわけじゃないさ。でも今回ばかりは話が違う。人が死んでいるんだ。事例が3つもある。それに…。」
「それに?」
「神瀬君、君のような例だってある。」
まあ、その話になるよな。
神瀬はその話は避けては通れないと思っていた。
「確かに僕の体質に似ているとは思う。しかし、つながりがあるとは思えない。死んでしまった人たちに未来が視えていたとしてもだ。」
「今回の件、僕も君と関わりがあるとは思っていないさ。ただ、予知夢というものがあったって不思議じゃないだろうという話だ。」
「それもそうか…。」
「とにかく不思議な点の2つ目だ。」
甘南備が下を向く。
「実は3人とも他殺なんだ。」
「他殺…!?」
「どうだい。気になるだろう。」
「気になるも何も…。」
いつ、どこで、なぜ殺された。死因は?予知夢とつながりがあるっていうのか。疑問は挙げればきりがない。
「今回の依頼についてだが、僕と一緒にこの事件を調べてほしい。」
神瀬の口角が少し上がる。
なるほど、面白いじゃないか。
神瀬の悪い癖だ。不謹慎だとは思っていても好奇心が抑えられない。
「この依頼受けてくれるかい?」
「僕に任せてくれよ」
そうして今に至る。