静寂の中の緊張
私はアパート賃貸の窓口で働いている。毎日、様々な事情を抱えた人々が部屋を探しにやってくる。そんな日常の中で、特に忘れられない出来事があった。
午後の光が柔らかく差し込む頃、派手なジャケットにジーンズ、サングラスをかけた男性、I野さんが店に入ってきた。彼の強面な雰囲気に、内心ドキドキしてしまう。だが、私は冷静さを保ち、来客席にご案内した。
「ご希望の間取りや住所などを伺えますか?」と、私はできる限りの笑顔で尋ねた。I野さんは具体的な条件を伝え、数件の物件を紹介することになった。彼が内覧に出かけている間、私は上司に少し相談した。
「もしかしたら現役の方かもしれません」と、私は緊張しながら告げる。当店では「元」暴力団関係者は受け入れているが、現役の方はトラブル防止のためお断りせざるを得ない。心の中で不安が広がる。
程なくしてI野さんが戻ってきた。彼は内覧した物件を決めたと言ったが、契約前に上司との面談が必要だと伝えた。万が一、私の取り越し苦労だった場合にも失礼のないようにするためだ。
I野さんが上司との面談を始めたのを見守りながら、私は静かに息を潜めていた。数分後、I野さんは暴力団関係者であることを告白した。上司は冷静に、受け入れられない旨を伝えた。
その瞬間、I野さんは衝動的に来客席にあるテーブルを蹴り飛ばした。事務所内は一瞬で緊張に包まれ、全員が身を固くした。私は受話器に手を添え、いつでも通報できる準備をした。
上司は冷静さを失うことなく、I野さんに対して毅然とした態度を崩さなかった。その姿勢に、I野さんは少し暴言を吐き捨て、結局は退店していった。事務所内に静けさが戻り、私はほっと息をついた。
上司に話を聞くと、「仕方ないよね」と一言。彼の冷静さには感心する。だが、次の瞬間、彼が「私も手を出されるかな?と思いヒヤヒヤしてました」と言ったのを聞き、思わず笑ってしまった。「ですよねー」と、私たちは気持ちを共有した。
当店は様々な人を受け入れているが、ボランティアではない。商売をしている以上、危うい事はできないのだ。ダメなものはダメと毅然とした対応が求められることを、私はこの日再確認した。大事には至らず、本当に良かった。心の中で、静かに感謝の念が芽生えた。