強制力なんて怖くない!
婚約者候補ものが続きましたが、楽しんでいただけたら嬉しいです。
それはありふれた午後のひととき――のはずだった。
「それで、主人公は王子との運命の出会いを果たすんです!」
「あら、それは素敵ね。でも王子様にはもうお妃様がいたはずよね? そのあとはどうなるの?」
「なんと、王子は主人公を新しい妃に迎え、彼女を虐めた意地悪な妃を追い出すんです! これぞ真実の愛!!」
おしゃべり好きな侍女が、最近読んだという恋愛小説を熱心に語ってくれるのだが、どう見てもまだ十歳のエラリアには不釣り合いな話題だ。
しかし、紅茶を飲みながら話に相槌を打っていたエラリアは、なぜか胸が騒ぐのを感じていた。
一体どうしたというのかしら?
流行りの小説についておしゃべりをしただけなのに。
でも、その小説を読んだこともないのに、なんだか似たような物語を知っているような……。
次の瞬間、エラリアは唐突に前世の記憶を取り戻していた。
◆◆◆
エラリアは国内でも有数の貴族の家に生まれた。
先祖を辿れば王家との縁があるほど高貴な公爵家の令嬢で、近々第三王子オーキスの婚約者候補に指名されると専らの噂だった。
そして、そのことに少しも疑問を抱いたことなどなかったのだが――。
駄目よ、ダメダメ!
エラリアってオーキスに結婚後に浮気されて、妻の座も奪われ、一生離宮に幽閉されてしまう女性じゃないの。
命は無事かもしれないけれど、そんな半分死んでいるような人生なんてごめんだわ!
前世の記憶が戻ったエラリアは、ここがかつて読んだ小説の世界だと気付いてしまった。
しかも、どうやら自分はヒロインのシャーロットに夫を取られる――つまり夫に不倫される妻、『サレ妻のエラリア』らしい。
かつては楽しく読んだ小説だったが、自分がサレ妻側だとわかると印象は随分と違うものになる。
というか、不倫ってどうなのよ?
国民のお手本となるべく王家の人間が、妻を蔑ろにするなんてね。
確かにエラリアもヒロインに嫌がらせをしていたけれど、今から思えば当然の行為よね。
泥棒猫のシャーロットも不倫男のオーキスも、クズよクズ!
この国では不貞行為は許されていない。
王族といえどそれは例外ではなく、もちろん側妃だって認められていない。
なのに小説のオーキスはエラリアを実家に帰すこともなく、まるで最初からいなかったかのように彼女を人目につかない離宮へと押しやり、強引にシャーロットを妃にしてしまうのだ。
もし公爵が元気だったらそんなことは不可能に違いないが、エラリアの父はその頃には病で亡くなっていて、後ろ盾を失った彼女を守ってくれる人間などいないのである。
ほんと胸糞悪いわー。
それまで公爵家に散々金銭面でお世話になっておきながら、オーキスは邪魔になった途端に私をいとも簡単に捨てるのよ。
王族だから何やってもいいとでも思ってるわけ?
深層の令嬢としてこれまで厳しく育てられてきたエラリアだったが、明らかに前世の記憶に引きずられて思考と口調が乱れ始めている。
しかし、それに気付く者はまだいなかった。
とりあえず、オーキスとの婚約はなんとしてでも回避しないといけないわね。
幸い、まだ候補者にも決まっていないし。
……問題は小説の強制力か。
異世界転生した人間が小説やゲームの強制力に怯え、ストーリー通りに進もうとする運命に抗うというのはお約束の展開である。
どんなに頑張っても悪役令嬢のさだめから逃れられない女の子の話を、前世で何作か読んだ気もする。
だからといって手をこまねいている場合でもないので、まずは王子妃に選ばれない未来を切り開いていくのが肝要だろう。
「エラリアお嬢様? どうかされましたか? あ、もしお嬢様が王家に嫁ぐことになっても、これはあくまで小説のお話ですから心配はいりませんって。もしお嬢様をひどい目にあわせる王子がいたら、私と旦那様でコテンパンにしてやりますから!」
「ふふふ。ありがとう。頼りにしているわ」
そんなことは不可能だとわかっていたが、侍女の優しい気持ちが嬉しくてエラリアは笑顔で答えた。
内心では密かに今後の身の振り方について模索し始めながら……。
◆◆◆
エラリアが前世の記憶を取り戻して三日。
早くも気分は崖っぷちだった。
強制力から抜け出そうとする異世界主人公がよく使う手段――例えば身体を鍛える、商品を生み出してお金を貯める、町で生きていける基礎と人脈を作る、修道院へ入る等の作戦を練ってはみたものの……。
とりあえず何か行動を起こさなければと焦った結果、エラリアは自分の無力さを噛みしめただけだった。
考えてみれば、私ってまだ十歳なのよね。
公爵令嬢という立場でフラフラ出歩けるわけもないし、毎日勉強が忙しいし、何より常に誰かが近くに居るこの状況!
こんな状態で何をどうしろと!?
三日で早くもエラリアは諦めモードに陥っていた。
そもそもバイタリティーが人並み外れてあるわけでもなく、切れ切れに覚えている前世でも流されるままに生きていたような気がする。
心がやさぐれ始めたエラリアは、『最悪幽閉されたって衣食住は保証されてるし?』『命までは取られないし?』などと、このままストーリーを受け入れそうな心境にまで陥っていたのだが。
「エラリア、今日はお父様とお城に行こう。楽しみだろう? ほら、着替えておいで」
「え、お城に? なんで突然……」
「まあまあ、いいじゃないか。お父様がお城を案内してあげよう。立派で驚くぞ?」
「行きたくありません」という言葉は機嫌よく部屋を出ていく父の耳には聞こえておらず、エラリアは興奮気味の侍女たちにピンク色の可愛らしいワンピースを着せられてしまった。
まずいわ。
これってきっとオーキスとの顔合わせってやつよね?
着々と小説通りに進んじゃってるじゃないの!
なんとか会わずに済ませられないかしら。
……なんて考えている内に、エラリアは城に到着していた。
いよいよ困り果てながら、ふかふかの赤い絨毯が敷かれた長い廊下を父と並んで歩いていると、向こうから金髪の少年がやってくるのが見えた。
ん……金髪?
待って、金髪って確か王族の証よね?
……まさかあれって、第三王子のオーキス!?
「おおっ、これはこれはオー……」
「お父様! わたくしお腹が痛いので少々失礼いたしますわ!!」
気付けば父の挨拶を遮り、エラリアはダッシュでその場を逃げ出していた。
不敬だとか、令嬢が腹痛なんて……などと言っている場合ではない。
いざオーキスを目の前にしたら、たちまち嫌悪感に襲われ、サレ妻の人生など到底受け入れられるものではないと悟ってしまったのである。
彼と顔を合わせたら、王子妃の未来が確定してしまうかもしれない。
焦ったエラリアは、小さい体で何かに追われるようにひたすら走った。
地図もわからない広い城内を闇雲に走ると、やがて人気のない庭に出ていた。
「ここってどこかしら。ま、どこでもいいか」
身を隠すように目に付いたベンチと生垣の間に身体を滑り込ませようとして……エラリアは気付いた。
なんと先客がいるではないか。
「ご、ごめんなさい。誰かがいるとは思わなくて」
「いや、普通は思わないから当然だよ。こちらこそ驚かせてごめん」
エラリアより少し年上だろうか、焦げ茶色の髪をした少年がゆっくり立ち上がる。
ところどころ葉っぱをくっ付けてはいるが、仕立ての良さそうな服を着ているところを見ると、身分の高い令息かもしれない。
「なんでこんなところにいるの?」
「君こそ。見ない顔だけどどうしたの?」
エラリアの質問は、反対に訊き返されてしまった。
しかし、少年の害の無さそうな綺麗な顔に警戒感を解いたエラリアは、庭にやってくることになった原因を正直に話すことにした。
「……ふうん。つまり第三王子に会いたくなくて逃げてきたわけか。でもそれって、本当に第三王子だった?」
「え? だって金髪で、お父様が『オー』まで名前を呼びかけてたのよ? オーキス様に決まっているじゃない」
「あははっ、なるほどね。で、君はなんで王子に会いたくないの?」
「それは……婚約者になりたくないから……」
ぼそっと小さな声で答えたエラリアに、少年は驚いた顔を見せる。
「王子の婚約者になりたくないの?」
「それはなりたくないわよ!」
「どうして?」
「どうしてって……。自分の人生なんだから、誰かに未来を決められたくなんてないわ。私は自分の意志で生きたいの」
浮気されて幽閉されたくないから――などと言えるはずもなく、エラリアはとっさに十歳とは思えない大人びた返事をしていた。
強制力に抵抗していることは事実なので、あながち嘘でもないだろう。
少年は呆気にとられたのかしばらく無言だったが、やがて「そうか……」と呟くのと同時に破顔した。
何かが吹っ切れたかのように明るく笑う様子に、今度はエラリアがポカンとしてしまう。
自分の言葉の何が彼に刺さったのかはわからないが、少年の心からの笑顔を見ていると、不思議と十歳のエラリアの胸がどきどきと高鳴るのを感じた。
「君、名前は?」
「エラリアよ。あなたは?」
「僕はオー……、そう、オーガストっていうんだ」
「オーガスト。素敵な名前ね」
「ありがとう。ねえ、エラリア。もしまた王子から逃げてくることがあったら、この庭に来るといいよ。ここは人がめったに来ない穴場なんだ」
「そうなの? じゃあ、もしまた困ったことがあったら来ることにするわ」
エラリアが微笑むと、オーガストも笑顔で頷いた。
しばらくの間、二人は静かな庭園の片隅で身を寄せ合いながら会話を楽しんだのだった。
一方、エラリアに逃げられてしまった父は、第二王子に頭を下げていた。
「オーバル殿下、娘が申し訳ありません」
「公爵、頭を上げてくれ。弟も魔道具で髪色を変えて逃走中なのだから、お互い様だ」
父とオーバルが深い溜め息を吐く中、エラリアだけが重大な勘違いに気付いていなかった。
◆◆◆
「馬鹿者! せっかくオーキス殿下に会わせてやろうとしたのに……。どこに行っておったのだ!」
「まあまあ、エラリアも緊張で体調を崩してしまったのでしょう。そんなに怒らないであげて?」
城から戻ってきたエラリアは、眉毛を釣り上げ、鼻息の荒い父から盛大に怒られていた。
令嬢のお手本のようだと言われるエラリアが、こんなに叱責されたのは生まれて初めてのことだ。
母がおっとりと止めに入ってくれるが、父の怒りが収まることはなく、ガミガミと叱責は続く。
というか、誰も会わせてなんてお願いしてないじゃない。
むしろ会いたくないのだから余計な事をしないで欲しいわ。
むしろ被害者はこちらだと言わんばかりに、エラリアが謝罪もせずにツーンとそっぽを向いていると、いつもと様子の違う娘に父が動揺し始めた。
「エラリア? どうしたんだ? もしかしてまだ腹が痛いのか? それとも、そんなに城に行きたくなかったのか?」
「お腹は仮病です。お城なんて行きたくないし、オーキス様ともお会いしたくないです」
「なんだと?」
娘の初めての反抗的な口調に、二の句が継げなくなった父は口をパクパクさせている。
従順だった娘の変わりようにしばらくショックを受けていたようだったが、やがて冷静さを取り戻したのか噛みしめるように言った。
「そうか。エラリアは王子妃になりたくなかったのだな。私は思い違いをしていたようだ……」
おっ、これはいい傾向では?
こんなに理解のある父親なら、最初からオーキスとの結婚は嫌って言っておけば良かったわね。
「お父様! ご理解いただけてうれし……」
「でも今日、正式に第三王子の婚約者候補に決定した」
…………は?
なんですと?
エラリアの言葉を、父が容赦なくぶった切ってきた。
喜びで父に抱き着こうとしていたエラリアの腕が、所在なさげにゆっくりと下ろされる。
え、なんで?
私、ちゃんと逃げたわよね?
あんな目の前であからさまに失礼な逃げ方をしたのに、王族って案外おおらかなのねぇ……って、そうじゃなくて!
「どうしてですか? お会いしてもいないのに……」
「ん? 貴族の結婚なんてそんなものだろう。家同士の契約のようなものだしな。まあ、さすがに今回は王族との結婚だから、これから候補者を色々吟味するのだろうが」
なるほど、つまり家柄的に候補には入ってしまったけれど、これからも逃げ続けていれば婚約者候補から脱落できる希望はあるってことかしら?
それなら、まだこれは小説の強制力ではない……と言うことよね?
――誰か強制力じゃないと言って!!
不安は残るが、まだ望みはあると信じたエラリアはとりあえず納得したふりをする。
結婚する年齢までまだ時間はあるのだから、これから挽回は可能なはずだ。
「わかりました。ちなみに候補者って何人くらいいらっしゃるのですか?」
「おおっ、わかってくれたか! 正確な数はまだ発表されていないが、毎回初めは十名くらいを候補に選んでおいて、徐々に絞っていく方法だな」
「十名……」
神妙に相槌を打ってみせたが、エラリアの心中は喜びでお祭り騒ぎだった。
え、そんなにいるものなの?
だったら余裕で落とされる自信があるわ!
次も顔を合わせなければ、最初に脱落出来そうじゃない。
チョロいぜ!と思いながら内心ムフムフ笑っていたら、父が早速お茶会の予定を話し出した。
「それでだ、五日後に最初の茶会が開かれる。オーキス殿下と候補者の令嬢全員での茶会だ。エラリアは行儀も作法も問題ないが……今度は逃げるなよ?」
「もちろんですわ、お父様。お城でのお茶会なんて楽しみですわ~。オホホ」
我ながら嘘っぽい演技にも関わらず、父は満足したように頷くと自室へ戻って行った。
母は娘の思惑に気付いているのか、困ったように微笑みながらもその後を追った。
そして五日後――。
城に着き、侍女と別れ、お茶会の部屋までやってきたエラリアは周囲をそっと観察した。
席が十三……。
一つがオーキスだから、候補者は十二名ってことね。
やった、予想より人数が多い分、選ばれる可能性がより低くなったわ!
入室は身分が低い者からなので、公爵令嬢のエラリアは一番最後だった。
まだ子供と言えど、爵位の重要さをすでに教えられている他の令嬢らは、すぐさま朗らかにエラリアに挨拶をしてくれる。
もちろん中には本気で王子妃の座を狙っているのか、表情は穏やかなのに厳しい視線を向けてくる令嬢もいるのだが。
その時、城の使用人が慌てたように部屋に現れ、恐縮したように告げた。
「申し上げます。諸事情によりオーキス殿下が遅れる為、皆様には先に茶会を始めていただきたいとのことです」
汗を拭き拭き、使用人は申し訳無さそうに頭を下げているが、エラリアは口笛でも吹きたい気分だった。
ラッキー!!
適当にお茶をいただいたら、オーキスが現れる前に逃げちゃえ。
「かしこまりましたわ。皆様、殿下がいらっしゃるまで我々でおしゃべりを楽しみましょう」
「そうですわね」
「ええ。そういたしましょう」
エラリアの呼びかけにすぐに令嬢たちが応じ、和やかにお茶会が始まった。
香り高い紅茶を褒め、お隣の令嬢と会話を楽しむ素振りを見せていたエラリアは――。
頃合いを見て、今日も脱走したのだった。
「あら? またお会いしたわね」
「やっぱり来たんだね。待っていた甲斐があったな」
前回逃げ込んだ庭園まで物陰に隠れながらコソコソと向かうと、そこにはまたオーガストが居た。
今回はベンチに座っているが、まるでエラリアが来ることを予想していたかのようだ。
「座りなよ」
「ありがとう」
紳士的にハンカチを広げてくれたオーガストにお礼を言うと、並んでベンチに腰掛ける。
「ねえ、もしかして私が来ることがわかっていたの?」
「うーん、来るといいなとは思っていたよ」
「それって、私に会いたかったっていうこと?」
「そうだね。またエラリアに会えたらいいなと思っていたよ」
素直に答えるオーガストに、エラリアはじわじわと喜びが広がっていくのを感じた。
こんな気持ちは初めてで、心なしか頬が熱くなっている気がする。
「私もまた会えて嬉しいわ」
エラリアがはにかみながら告げると、オーガストも照れたように笑った。
こうして、エラリアは婚約者候補の集まりのたびにこっそり庭園へと駆け込み、なぜかいつもタイミングよく現れるオーガストと交流を深めていったのだった。
◆◆◆
エラリアは十四歳になった。
王家による第三王子の婚約者候補選抜は今もなお続いており、エラリアはまだ候補に残っていた。
「はぁぁ!? なんでまだ私が残っているのですか!」
「光栄なことではないか。それだけお前に見どころがあるということだろう?」
「そんなはずないですわ! 毎回抜け出して、オーキス殿下とは碌にお話ししたことすらな……」
「なんだと? 抜け出して?」
「あわわわ……いえいえ、なんでもないですわ。えーと、つい殿下の前だと緊張してしまって、王子を取り巻く令嬢の輪から抜け出してしまったり、積極的に話しかけられないことも多く……」
「なんだ、そういうことか! いや、そういう慎み深さが評価されているのかもしれんな」
そんなわけないでしょうが!
遠目に王子の金髪を眺めた後は、いつも抜け出してほとんどの時間を庭園で過ごしているというのに。
まともに目を見て話したことすらないわよ。
エラリアは、父から今回も王子の婚約者候補に残留してしまったと聞かされたところだ。
いよいよ候補の残りも、エラリア含めて五名となってしまった。
普通の令嬢なら喜んで小躍りするところだが、落とされることをひたすら望んでいるエラリアにとっては、迷惑この上ない仕打ちである。
しぶとく残されていることを知ったエラリアは、ショックを通り越してだんだん腹が立ってきた。
こんなの、おかしくない?
意味がわからないわ!
十二名もいたのが、この四年のうちに五名まで減らされたっていうのに、なんで私がまだ残っているのよ?
残っている令嬢の数が少なくなったせいで、目立たないように抜け出すのも困難なのに……。
徐々にこぢんまりとしていくお茶会で、エラリアはなんとかオーキス王子との接触をあの手この手で躱していた。
奇跡的にオーキスが遅れたり、不参加だったり、途中退出したりと、参加する時間が短いおかげでなんとかエラリアは深く関わらずに済んできたのである。
もちろんこれは父には内緒だが。
オーキスが姿を見せると、他の令嬢に囲まれている間にそっと抜け出すのがいつもの手で、いまだに王子の顔すらまともに把握できてはいない。
とにかく印象に残りたくないので、会場では俯いて気配を消すことに必死だった。
あぁ……いい加減、候補から落としてほしいものだわ。
こんなに好かれる要素がないのに落とされないなんて、考えたくはないけどやっぱり強制力のせいなのかしら?
……あ、小説でオーキスと恋に落ちる令嬢!
あの子と今から出会って恋愛をしてくれれば、私はサレ妻にならなくて済むのに。
ヒロインの名前って何だっけ?
えーと、シャローンじゃなくて……シャーロット!
しかし、シャーロットという名前の令嬢は候補者の中にはおらず、知り合いに思い当たる娘もいなかった。
「もう! どこにいるのよ、シャーロット!!」
思わず叫んでしまったエラリアだったが、彼女がイライラしている理由は単に強制力だけが原因というわけでもなかった。
今のエラリアには、サレ妻の回避と同じくらいに第三王子の婚約者候補から外れたい理由が出来てしまったのである。
それはもちろん、オーガストの存在に他ならない。
オーガストって、不思議な人よね。
タイミング良くあの庭園に現れては、いつも私を楽しませてくれて。
私の婚約者がオーガストだったら良かったのに……。
エラリアは、いつも城の庭園で顔を合わせるオーガストに惹かれていたが、まさか王子の婚約者候補の自分が他の令息と親しくなることなど許されるはずもない。
とにかく、エラリアにとって今はオーキスとの婚約、結婚という未来を潰すことが何よりも最優先だった。
オーキスとの結婚さえなくなれば、好きな人と結ばれることだって可能になるのだから――。
「エラリア、こっちこっち!」
「オーガスト! 今日も来ていたのね」
この日もまた、二人は庭園で落ち合っていた。
毎回偶然会えるなんてどう考えても不自然なのにも関わらず、エラリアはオーガストが王宮で働く貴族の息子なのだと勝手に納得していた。
下手に詮索をして会えなくなることを恐れて、エラリアは家族や家についての話題を極力避けていたのである。
オーガストも同様なのか、不思議と会話は個人の趣味や嗜好、最近の流行りについてが多く、二人は一定の距離感を保っていた。
……のだが、なぜか今日は少し様子が違っていた。
「あのさ、エラリアが前に髪飾りを落としたって言っていただろう? これ、良かったらもらってくれないかな?」
「え、私に?」
差し出されたのは青い薔薇をモチーフにした、中心にブルーサファイアが輝く、レースとリボンで可愛く飾られた髪飾りだった。
「素敵! でもこんな高価なものをもらえないわ」
「エラリアに受け取って欲しいんだ。……贈り物なんて初めてで、よくわからなかったから気に入らないかもしれないけど」
「初めて? これ、オーガストが選んでくれたの?」
「ああ。エラリアに似合うと思って」
そこでエラリアは気付いてしまった。
髪飾りのブルーサファイアが、オーガストの瞳と同じ色をしていることを。
「このブルーサファイア、あなたの瞳と同じ色ね。とても美しいわ。ありがとう!」
男性からの贈り物なんて初めて!
しかも、瞳と同じ色の贈り物なんて、少しは私に興味を持ってくれているのかしら?
嬉しすぎて顔がにやけてしまうじゃない。
これ以上好きにならないようにと心にブレーキをかけてきたエラリアだったが、この時にもう手遅れだと自覚したのだった。
◆◆◆
次のお茶会に、エラリアは早速青い薔薇の髪飾りを着けていった。
王子の婚約者候補として呼ばれているのに、別の男性から貰った物を身に着けるのは背徳的でドキドキしてしまう。
しかも、珍しく最初からお茶会に参加しているオーキスからの視線をなぜか感じるのだ。
さっきから何なのかしら?
まさか、この髪飾りが男性からプレゼントされたものだと気付いたとか?
居心地の悪いエラリアは、マナー違反だとはわかっていたが途中で部屋から退出してしまった。
「まあ、これでいよいよ候補もクビでしょ。こんな無礼な令嬢なんてお断りでしょうし。最初からこうすれば良かったわ」
せいせいした気分で庭園に向かうと、そこには人の気配は無く、今日も手入れの行き届いた花々がエラリアを待っていた。
しばらく花を愛でていると、慌てたような足音と共にオーガストがやってきた。
「エラリア!」
「オーガスト。まあ、そんなに息を切らして」
「君が髪飾りを着けてくれているのが嬉しくて急いで来たんだ。良く似合っているよ。とても綺麗だ」
どこから見ていて駆け付けたのか、オーガストの息は上がっていた。
なんだか服装も、慌てて着替えたのか、それとも走ってきたからなのか、よれてしまっている。
「ありがとう。でもそんなに慌てて来なくても大丈夫よ。まあ、早く会えた方が嬉しいけれど」
「僕も早く会いたかったんだ!」
二人の間には明らかに以前とは違う空気が流れていて、エラリアはそれを嬉しく思うのと同時に恥ずかしく、なんだかもじもじしてしまう。
オーガストも同じく照れたようにそっぽを向いて、頬をポリポリと掻いていた。
しばらくの間、初々しい二人のやり取りは続き、すっかり気持ちがピンク色のエラリアだったが――。
問題は翌日に起きた。
父から第三王子の婚約者最終候補二名に残ったと聞かされたエラリアは思わず叫んだ。
「強制力がエグすぎるんですけどーー!!」
最終候補まで残ってしまったエラリアは、いよいよ小説の強制力という、見えない恐ろしい力を目の当たりにしてその影響力に慄いていた。
今まで王子に対してかなり傍若無人な態度をとり、候補から落とされるように仕向け続けた結果がこれである。
エラリアはベッドの中で震えるしかなかった。
なんで?
やっぱり小説の強制力には抗えないように出来ているの?
でも、オーキスと結婚したら、オーガストを想う私のこの気持ちはどうしたらいいの?
もはや「サレ妻」になりたくないという気持ちよりも、オーガストと結ばれないという事実が辛くて堪らない。
頭に浮かぶのは、この四年の間に少年から青年へと変化していったオーガストのことばかりだった。
かつてそんなに変わらなかった二人の身長差は、気付けば二十センチほどになり、オーガストの体つきもいつの間にかがっしりと逞しくなっていた。
焦げ茶色の髪はもちろんそのままだが、顔は成長と共にどんどん凛々しくなり、ブルーサファイアの瞳と形の良い鼻梁が目を惹く立派な令息に成長した。
もしオーガストが令嬢の集団の中に現れたら、絶対もみくちゃにされるほどの大人気に決まっているわ。
だって、性格までいいんだもの。
王子のオーキスなんてライバルにもならないわね。
いまだにオーキスを間近で見たことのないエラリアは、その顔すらきちんと判別出来ず、金髪しか印象に残っていない為、容姿で比べることは不可能だ。
まともに話したことがないのだから王子の性格だって知る由もないのだが、将来浮気をするという点だけでもエラリアにとっては嫌悪の対象でしかなく、心を占めるのはオーガストただ一人だった。
オーキスと違って、オーガストは真面目で性格も穏やかだし、はにかむと可愛いのよ。
オーガストだったらきっと、たった一人の女性を生涯大切にするのでしょうね。
……どうしてそれが私じゃないのかしら?
オーガストから貰った髪飾りを胸に抱きしめながら、その日エラリアは朝まで泣いたのだった。
◆◆◆
翌日、一晩泣いてすっきりしたエラリアは、もう一度だけ頑張ってみることにした。
強制力は恐ろしいが、告白もしない内にオーガストを諦めることなど出来ないと気付いたからだ。
エラリアは、勝負に出ることにした。
最終選考はいよいよオーキスとの一対一での対面となり、一人ずつ執務室で行われるらしい。
個人面談みたいなものだろう。
その場で、エラリアはオーキスに王子妃候補から降ろして欲しいと直談判するつもりだった。
他に好きな人がいると伝えれば、妻にすることに多少は躊躇してもらえるのではないかと考えたのだ。
最悪、それでも妻に決まってしまい、夫婦仲が最初から険悪になってオーキスの浮気を早めることになったとしても、女は度胸とエラリアは開き直った。
いつでも来い!とドンと構えたエラリア。
しかし、もう一人の候補者の都合もあり、しばらく選考会が行われないまま時は流れたのだった。
◆◆◆
ヤキモキしたまま、エラリアは十五歳を迎えた。
そして、最終選考の予定も突如舞い込んできた。
いよいよね。
時間があったおかげで、シミュレーションはバッチリよ!
先手必勝、最初が肝心ね!!
選考当日、お気に入りの勝負ドレスにオーガストから贈られた髪飾りを着け、エラリアは意気揚々と城へ乗り込んだ。
もう後がないのだ。
ここで強制力を断ち切り、オーガストとの未来を掴み取ってみせる!
ガンガンガン!
オーキスの執務室の扉を威勢よく叩き、入室の許可と共に部屋に乗り込んだエラリアは、視界に金色の髪が映った途端に思いっきり頭を下げた。
「ごめんなさい! 好きな人がいるので、オーキス殿下とは結婚出来ません。王子妃候補を降ろさせてください!!」
「エラリア……やっぱり駄目か。君は自分の意志で生きたいって言っていたからな。でも好きな人がいたなんて、悔しいな……」
罰を受けることも覚悟し、どんな誹りを受けるかと身構えていたエラリアの耳に入ってきたのは、とても聞き覚えのある声だった。
あら?
オーガストのことを考え過ぎて、全てが彼の声に聞こえる病にでもかかっているのかしら?
それに、自分の意志で生きたいって、私が昔オーガストに言った言葉じゃない?
そろそろと顔を上げると、第三王子と初めて目が合った――と思ったが、なぜかオーキスはオーガストの顔をしている。
「あれ? なんでオーガストがここにいるの? でも髪が金髪……え、まさか」
「ごめん、黙ってて。僕は……」
「オーガストってもしかして、第四王子なの!?」
「「ぶはっ」」
閃いたとばかりにポンと手を叩いたエラリアを見て、オーガストと壁際に控えている侍女らしき女性が同時に吹き出した。
オーガストなんて、大笑いし過ぎてヒーヒー言っている。
「ちょっと、そんなに笑わなくてもいいじゃない」
「ご、ごめん。だって、そんな勘違いをするとは思わなくて」
「どこが違うのよ」
「全部違うよ。だって、僕は第三王子のオーキスだから。名前を偽っていてごめん」
…………えええええっ!!
オーガストがオーキスですって!?
「嘘! オーガストは髪が焦げ茶色だったもの」
「あれは魔道具で変えていただけで、これが地毛なんだ」
「私がお茶会を抜け出すといつも庭園にいたじゃない」
「ああ、それはエラリアに会いたくて僕も茶会から逃げていたからね。着替えて、髪色を変えて登場するのは大変だったんだから」
「……なるほど、だから衣服が乱れていたり、息が切れていたのね」
って、辻褄が合ったからといって、納得出来るものでもない。
これではエラリアはずっと騙されてきたということではないか。
「なんで騙していたの? 王子様のおふざけなら怒るわよ?」
「ち、違うよ! 出会った時は、僕も急に婚約者候補を決める為の顔合わせだって言われて、嫌で髪色を変えて逃げてしまったんだ。そうしたら庭園に君が現れて……。自分の意見をきちんと言える姿が眩しくて、また会いたいと思ったんだ。それからは庭園で会うたびにエラリアに惹かれていって……」
「そうなの? 言ってくれたら良かったのに」
「言えないよ! 正体がばれてしまったら、王子に会いたくないエラリアはもう来てくれなくなると思ったし」
確かに、エラリアもオーガストに会えなくなるのを恐れて、話せないことが多かったのだからお互い様だ。
「言えなくさせたのは私だったのね。ごめんなさい」
「それはいいんだ。でも……エラリアには好きな相手がいたんだね」
肩を落とすオーガストに、嬉しさから思わずエラリアの笑みが零れた。
早く訂正をして、彼の輝く笑顔が見たいと思ってしまう。
「そんなの……私の好きな人はオーガストに決まっているじゃない。あ、実際はオーキス殿下だったけど」
「エラリア! じゃあ、第三王子の僕とでも結婚してくれる? 僕はエラリアじゃないと嫌なんだ」
「オーキス殿下……!」
「エラリア……!」
と、二人の気分が盛り上がったところで、エラリアは重要なことを思い出してしまった。
もちろん、オーキスが結婚後に浮気をすることである。
「あ、やっぱり駄目よ。あなたは将来、浮気をするもの」
「は? 僕が浮気? するわけがないよ!」
「いえ、するのよ。シャーロットが現れた途端に私を捨てるんだから!!」
エラリアが浮気相手の名前を持ち出し、ビシッと宣言すると、なぜか壁の方から声が聞こえた。
「え? 私!?」
見ると、侍女のお仕着せ姿の可愛らしい女の子が、アワアワと動揺している。
「あ、申し訳ございません。つい私と名前が一緒だったので……」
「あなた、シャーロットって言うの?」
見つけた!
まさか、こんな身近に居たとはね。
言わんこっちゃ無いと、エラリアがオーキスを睨み付けたが、彼はキョトンと首を傾げている。
「彼女は確かにシャーロットと言う名前だけど、兄上の婚約者だよ?」
「え? 兄上?」
聞けば、シャーロットは第二王子オーバルの婚約者に内々に決まっているらしい。
元々行儀見習いで城に上がった伯爵令嬢だったが、いつもお茶会で姿をくらますオーキスを探し回る役目をオーバルに労われているうちに恋が芽生えたとか。
なんだ、それは。
それでは私たちが彼らの恋のキューピッドではないか。
エラリアは力が抜けそうになったが、気付けば目の前に真摯な瞳で見つめるオーキスが立っていた。
「エラリア、僕は君だけをずっと愛し続けると誓うよ。いつも笑顔でいて欲しいし、僕もエラリアの前だけでは自分らしくいられるんだ」
「オーキス……私もあなたが大好きよ」
「エラリア! 君を諦めなくて良かった。王子の僕を避けているのはわかっていたけど、どうしても妃になって欲しくて候補から落とせずにいたんだ」
ん?
っていうことは、つまり……。
強制力じゃなかったんかーい!
私の苦労って……。
エラリアは心の中で突っ込んでいたが、王子妃候補にずっと残されていたことこそが、彼の愛情の証だったらしい。
なんだかホッとしたのと馬鹿馬鹿しく思えてきたのとで、今度こそ力の抜けたエラリアをオーキスが優しく抱き留めてくれる。
「兄上が結婚した後になるけど、エラリアと結婚出来る日が待ち遠しいよ。これからは婚約者として何でも話して欲しい」
「そうね。私も話したいことがたくさんあるわ。ところでオーキスって歳はいくつなの? 誕生日は?」
「え、そこから!?」
耳元でクスクス笑うオーキスの声がくすぐったくも心地良い。
視界に入る金色の髪にももう抵抗感は感じなかった。
これからはもっと会話をして、たくさんの事を共有して、オーキスに寄り添って生きていこう。
きっと夫婦ってそういうものだから。
そして、それが浮気を防ぐことにも繋がる……かも?
『強制力なんて怖くない!』
エラリアはオーキスの温かい腕の中で、幸せに包まれながらそう思ったのだった。
お読みいただき、ありがとうございました!
第一王子の名前、オーメンしか思いつかないので省略(笑)