初めての料理とお出迎え
前回から更新の間が空いてしまい申し訳ありません
キースが出ていってから数時間後。昼は過ぎ、もうすぐ夕方になるかという時間帯。
ガチャッとダイニングの扉が開き、人が入ってきた気配がした。
「あ、おかえりなさい。きーくん」
振り返るか振り返らないか悩んだけど、初めのうちは反応を確認した方がいいかと思って扉の方を向いた。その先にいたキースは扉を開けた動きのまま停止していて、私と目が合うとゆっくりと目を細める。
「……うん。ただいま、ママ」
よーし。大丈夫だ。まだママ認定されてる。まだ生きられるようねそうよねその懐に伸ばした左手が何を掴もうとしたのかは聞かないでおくわねこれから家に帰ったら手洗いうがいと手荷物全部玄関に置くことを徹底させようね。
「ごめんなさいね。ママ、お買い物忘れちゃってたみたいで」
「いいんだよぉ。それ、おやつ? 作ってくれたの?」
「ぇ、ええ。簡単なものだけど、たくさん作ったから。手をちゃんと洗ってから、お食べ」
「やった。ありがとう。ママ!」
屋敷の中をあらかた見終わった私は、キースの好感度を上げるために家事をしとこうと考えた。でも、掃除はトラップが怖すぎて動き回れないし、洗濯ものに血とかあったら嫌じゃない? だから、料理をしようと思ったのだ。私は由緒正しき貴族の娘だが、料理ができる。出来る、の前に(令嬢にしては)という注意書きがつくかもしれないが、できるったらできるのだ。
学校にも行かず、他の家との交流もほとんどなかった私に習い事の合間、侍女のベティが気分転換にと教えてくれたのだ。あんまり複雑なものは無理だし、切るのも焼くのもほとんど彼女に任せっきりだったが、やってくれる彼女の姿をじっと見てたので大丈夫なはず。
あぁ。ベティ、無事かしら。彼女の損失は私の世界の損失でもある。キースが父と哀れな執事以外も手にかけているかどうか、早急に知りたい。でも、まだ親愛も何もない状態でキースに仕事のことを深く聞くのは、私の死期を早めるようでこわい。とても良くしてくれたのに、こんな主人でごめんなさい、ベティ。誰だって自分が可愛いものなのよ。だから貴女も、私のことは……ちょっとでも気にしてくれてると嬉しいけれど……気にせず、生きててほしい。
少し沈んだ気持ちで探したからだろうか。キッチンにも貯蔵庫にも食材が何も見つからない。え、そんな心理状況に応じて物理的にも目が曇ることある? ……本当に何もない。驚きながら探した冷蔵庫の中には粉となにかの肉の切れ端?のようなものだけ。これ人の……とかじゃないでしょうね。あ、卵と牛乳もあったけど、ちょっとこれ量多すぎない? 段一つ埋まってるじゃないの。
調理器具は一通り揃っていそうだが、どこを開けても野菜も肉も穀物も見つからない。暗殺者って食べなくてもいい訓練とか受けてるの? それにしたって安息地なはずの家でも食べないなんて過酷すぎない? 私は何の訓練も受けてないから3食しっかり食べたい派なんだけどな……。
食育。
そう、食育が大事そうだ。ご飯はちゃんと食べること。食べることのありがたみを感じること。それこそがそのご飯を用意してくれた人への感謝につながり、料理をするママ、つまり私の生存率も上がることだろう。具体的に食育って何なんなのよ、と思うところもあるが、とりあえず乳母もベティにも「残さず食べなさい」「食べられることへの感謝とそれに関わる人の存在を感じるように」と耳にタコができるくらい言われてきたから、なんかそんな感じのことを教えていけばいいのだろう。
勝手に外に出たことがバレるのはまずい。材料も知識も技術も何もない今でも、出来るものを作ろう。そのうち外で買い物しても良いくらい信頼関係を築けることが目標ね。
とりあえず見つけた粉と大量の卵、牛乳、あと塩とこれもまた沢山あった砂糖を取り出す。バターなど油脂が見つからなかったので、作らなくちゃいけなそう。幸い牛乳はたくさんある。瓶の上側にクリーム状で固まっているところがあるし、この牛乳でもうまく出来るだろう。なるべく薄めで、手に持てるくらいの大きさの瓶を探す。しっかり蓋ができるものね。ひとまず今日の分があれば良いので、そこまで大量には作らなくてもよさそう。2つ見つけたので、これでいく。
瓶に牛乳を注ぐ。スプーンでクリームを掬って入れ、量は少し隙間が出来るくらいまで。だいたい4分の3くらい入れられたら、しっかりと蓋を閉めて、瓶をザラザラしたタオルで包んだ。さぁ、これから私の戦いが始まるのだ。少し重くなった瓶を両手で持ち上げる。私は私の力を信じていないので、左右ではなく上下でがっしりと瓶を掴んだ。
いざ! れっつしぇいきんぐ!
とにかく瓶を上下に振る! 振る! 振り上げて降ろす!
ばちゅんばちゅんと手のひらの下で液体が壁にぶつかる振動を感じながら、すぐに手が疲れて上下ではなく横に瓶を持ってしまった。まぁ、力を入れてすっ飛んでいかなければ良いのだ。ぎゅっと肩に力を入れて、ぶおんぶおんと頭の上から足の方に振り下ろす。自分がバカになったように思えてきた。いかん。冷静になってはダメだ。ほんとマジで今キースが帰ってきたら殺される前に恥ずか死しそう。
無心でやると気が遠くなりそうだから、心の中で回数を数えた。20回振ったらちょっと休むのだ。早く終わらせたくてだんだん動きが雑になり始め、今は片手で肘を機転に細かく振っている。
あれ? よく考えたらあんなに大きく振る必要はなかったのでは? 無駄な体力を消耗していたことに絶望しかけたが、とにかくバターを作るのが先だ。羞恥心と自分ばかーーー!!! という気持ちを瓶にぶつけ、とにかく腕を振った。
………………………………。
無意味に壁の角を見ていると、手のひらに当たる振動が液体から個体になる感覚がしてきた。……これ、どこまで固めれば良いんだろう。家ではパンに塗られた状態でしか出てこなかったけれど、ベティはバター入れからナイフで掬って取り出していた。ナイフで押しても潰れないくらいの固さってことかしら。
ぱちゅぱちゅがどんどんになって、蓋越しに感じる固形の大きさが瓶の口いっぱいになるまで振りきった。だいたい200を数えたくらいでもう手を動かせなくなって、瓶を机に置き手を開放する。
巻いていたタオルと蓋を外し、瓶をちょっと傾ける。するとズルズルと白い塊がずり落ちてきた。指でちょいと掬い、舐める。うん。だいぶ固まっているわね。乳製品の味もする。もう面倒だしこれで行こうかな。
これから朝ごはん兼昼食兼おやつとして作るのは、簡単なパンケーキだ。たくさんあった粉っぽいのは多分小麦だろうということで、これにした。他のレシピを知らないというのも、ある。ベティの十八番はパンケーキだったのよ。
フライパンに作りたてのバターを入れて熱しつつ、ボウルに小麦粉(仮)と砂糖を入れて混ぜる。量とかは知らん! 大体2:1になるように、足りなかったらまた焼けば良いでしょう。そこにさらに水を加えて、全体的にトロッとなるようにした。多分こんな感じだった気がするのよね。ここらへんでフライパンからバターの焦げる良い香りがしてきたので、慌てて火を弱めた。バターの香りはたくさんした方が食欲がそそると思うので、とりあえずスプーン3回くらい入れたけど大丈夫かしら。うちのフライパンよりは粗悪品だろうし、コゲを洗うとかも嫌なので、焦げないように頑張りたいところだ。
溶けたバターがちゃぽちゃぽしてたので、意を決して小麦砂糖液を注ぐ。じゅわ〜と広がっていって、油がピチャッと跳ねたからびっくりした。フライパンよりも二回りくらい小さな円状に広がったら、注ぐのをやめて距離をおく。火傷とかしたくない。怖い。跳ねる油が落ち着いた頃、恐る恐る覗いて、大きめのスプーンで周りをつつく。だいぶ固まっているみたいね。カシュカシュと中心に向けて少し引っ掻き、周りがフライパンから浮いたらその隙間にスプーンを差し込んでひっくり返した。そう、この家フライ返しがなかったのである。小麦と砂糖を混ぜるのも大きめのスプーンで頑張った。えらくない? すこしグラついたけど、無事に着地できてよかったわ。
バターのおかげか、焦げもなく薄い黄色の生地がふっくらの焼けていた。もうちょっとやってもよかったのかしら。次は先ほどよりもじっくりめに焼き、なんなら端っこだけぺろんとめくって確認しながら焼き、なんとか一枚が完成した。慎重にスプーンで掬って皿に乗せる。そしてスプーンで4分の1ほど切り取り、スプーンで口まで運んで、パクッと食べた。
……うん。まぁこんな感じよね。素朴な庶民のパンケーキって感じ? でもバターの風味が強くて、満足感はある。甘味は思ったほどなかった。薄い砂糖なのかしら? もうちょっと入れようかな。トッピングが欲しいけれどアイスクリームもフルーツも生クリームもない。あ、カラメルソースを作ろうかしら。砂糖はたくさんあるんだし。よーし、次も頑張るぞ。
こうして苦労しながら試行錯誤して出来上がった大量のパンケーキが、キースの身体の中に収められていく。ちょっと、私の努力の結晶なんだからもっとありがたがって慎重に食べなさいな、と言いたいが言えない。こわいから。そもそもひとんちの食料勝手に使うなとか言われたら何も言い返せないから。
あ、ちなみに私は作りながら食べてました。立ったまま食べるとか新鮮だった。食べるために椅子に座るのがめんどくさいとか、前の私なら想像もしなかっただろう。皿によそるのも面倒だったが、熱されたフライパンに手を近づけるのは怖かったのでちゃんと皿に移動させて食べました。出来立てはそこそこ美味しい。
キースの食べる分に合わせてカラメルソースを追加しようかな。と思いよいしょと立ち上がる。明日の分にも残そうと思っていたのに、もうなくなってしまいそうだ。後でご飯について確認しないと。3食作れとか言われたらどうしましょう。レシピ本とか買ってもらおうかな。こっそりコックとか雇えないかしら。
私が台所に向かって作業をする間、キースがどんな顔をして見つめていたかなんて、私はちっとも気にしていなかった。
でもせっかく作った初めてのパンケーキ。感想を聞こうと、追加したパンケーキとソースをよそりながら「美味しい?」と聞いてみた。素直でかわいい私の息子(偽)は、満面の笑顔を浮かべて「とってもおいしよ、ママ!」と答える。
ちょっとうれしい。
料理に目覚めそうだわ。