ここがアイツのハウスね……!!
怖がっていても何も始まらない。
私は部屋をぐるりと見まわし、また扉周辺にも緑の印がないことを確認すると、そっとドアを開けて廊下に顔を出した。右を見て、左を見て、下を見て、上を見る……。
うん。なんの変哲もない。大丈夫そう。ここは廊下の端にある部屋らしく、右は絵画の飾られただけの突き当たりだった。ドアを開けた向こう側は窓が横並びに連なった壁で、外は森のようだ。わさわさと揺れる木しか見えない。
左にはまた部屋が一つあり、その先は右に曲がるようだ。白い壁に、茶色いドア。天井には花弁のような造形のガラスに囲われた豆電球が一つ。廊下にカーペットはなく、板張りで、腐ったりはしていないみたい。私はそっと窓に近づいた。
窓にも大きな汚れはないが、サッシのところには砂埃が詰まっていて、よく見ると雨垂れの跡も残っている。一通り掃除はしてるけど、細かいところまでは手が回らないってところかしら? 掃除婦とかはいなそうね。
窓の外を見る。深い緑の葉が茂る木に遮られて見えにくいが、向こう側も同じような造りになっているみたい。視線を左にずらすと白い外壁が見えるので、どうやらこの屋敷はコの字になっていて、私の部屋はその一方の突き当たりにあるようだ。
私は一旦部屋に戻ってスリッパを探し出し、あとは書くものと、少し悩んで枕を手にする。防御力にかなり不安が残るがそこまで冒険するつもりもないし、こう……軌道を逸らす的なことさえ出来れば……。訓練などしたこともない令嬢ごときが上手く動けるとも思わないませんですがね。気持ちよ気持ち。
少し大きめのスリッパで、ペタペタと音を立てて歩く。隣の部屋のドアには印はなさそう。ゆっくりと開けて薄目で見てみると、私の部屋と同じような形をしているようだ。違う部分といえば、家具がないこと。クローゼットの位置は同じでも、ベッドや机、棚はない。あの部屋、ほんとに急遽取り繕いましたってものなのかな。
特に面白そうなものは見当たらなかったので、この部屋の探索はスルー。突き当たりまで行って、右を向くと、今度は右手に部屋が並び、左手に階段が見えた。階段側は木彫りの装飾が美しい柵のようになっていて、広さのあるゆったりとした階段が一度踊り場を経て一階に繋がっている。下の様子を覗くと、電気はついていないが、赤いカーペットらしきものが敷かれている。一階には生活感があるみたい。
右手側にはドアが二つあるから、こちらも部屋かな。開けてみようかと思ったが、どちらもドアノブを回そうとするとガチッと音がして回転が止まった。鍵がかけられている。ふむ。怖いからこれも放置で。
この面はそこそこ長く、ドアはその左右端近くに位置している。この扉の奥の部屋はとても広い一部屋なのか、ふた部屋に分かれているのか。そこまで興味もないが、後で聞いてみなければ。そうして私はまたペタペタと歩き、突き当たりまで来てぐるりと右を向く。私の部屋から反対側に見えた棟だ。
この廊下は、向こうとは線対称になっている。右側に大きな窓が並び、外の木が見える。私の部屋も覗けるかもしれない。左側には白い壁。突き当たりの奥には絵画が一枚飾られている。よく覚えていないけれどこれも同じ絵なのかしら。部屋に戻る時に確認してみよう。どこかの風景……?のようで、あまり色数がなく、記憶に残りにくい絵だ。
さて、じゃあこっちも探索、と一歩を踏み出そうとして、ふと嫌な予感がし、あげた足を心待ち後ろに戻す。
そういえばと思い出して、ポケットからメモを取り出した。小さな紙片には、この家の間取り図が描かれている。空白部分を上にしたコの字が上下に二つ。下側が2階みたいだ。そしてそのコの左の辺には、緑の色でバツが描かれていた。メモから顔をあげ、そうっと辺りを見回す。板目の継ぎ目から壁紙の凹凸まで細かく見ていると、ちょうど壁紙の角となる部分がキラリと光って、そのそばに緑色で☆が描いてあった。ハッと気付いてその対角線の先を見ると、壁に何かが何度か刺さったような穴の跡があった。
ゾッと背筋が冷える。恐る恐るしゃがみ込んで、先程一歩を踏み出そうとした床板を覗いた。角度を変えながら見ると、板の継ぎ目が不自然に凹んで、鈍い光を反射していることが分かった。ゾゾゾッと背中が寒帯に。もしあのまま床板に足をつけていたら、トラップが発動して下から襲いくる刃に腿から切断されていただろう。真っ赤な未来を想像してしまって、ギャーーーッッとなった。
もうこわい。おうちかえりたい。
ウッウッと半泣きになりながら、2階の探索を終了する。家は安らぎの場所じゃないのか。実家もそこまで気を抜ける場所ではなかったけれど、自分の部屋なら好きに転がれたし廊下を歩いていて命の危険は感じなかった。それがダメだったのかなぁ。父はそんな家の中で殺されていたし。世間様は冷たいと聞くけれど、そんな、死と隣り合わせな生活が日常だったのか。そりゃ、ぬくぬく暮らしてる領主一家も憎くなるもんですわ。
広い階段を、手すりに縋りながら降りる。手のひらが粉っぽいがそんなこと気にしてられない。それにしても広い階段ね。大人が3人横に並んで降りても余裕がありそう。階段の正面には、聖女と神の姿が描かれた大きなステンドグラスが嵌め込まれている。おそらく聖書の一節のシーンだろう。命を扱う職業だし、実は信心深いとか? 暗殺者という情報しかないが、家主の彼に対するイメージとこの屋敷の雰囲気はどうも合わずチグハグに思えた。
慎重に降りながら、メモを開く。先ほどのような失態はもう犯さない。あらかじめ危険地帯は頭に入れないと。2階で注意されているのはあの棟だけのようだ。一階は……ふむふむ。玄関ホールと応対室が繋がってて、ここがダイニングとキッチン。お手洗いとお風呂で……。あ、緑の印。基本的に私が使っていた部屋の下あたりがキッチン兼ダイニングみたいだ。そして立ち入れなかった部屋の下はホールのような大きさだが、ぺけで描かれている。その隣の洋室も同様。つまり、私が立ち入れるのはこの屋敷の左側だけということになる。へぇーーん。
まぁ、生活に必要な水回りは使えそうだし、清潔そうなプライベート空間も確保されている。十分でしょう。えぇ、実家の半分もない可動スペースだが、元よりご令嬢はあんまり動き回らないとされている。ママ役をするとしても狭い方がボロが出にくい。はず。
最後の一段を踏んだ跡、左側は見もせずに右側だけ見る。なんかもう目線だけで反応するトラップとかもありそうで。
赤いカーペットは音を吸収する。知らない家をうろちょろすると、自分が盗賊になったみたいだ。地図を見て、こっちかな〜というドアを開ける。お、ビンゴ。キッチンだ。
流し台の前にある窓から陽光がよく入る、いいキッチンだ。器具も一揃い揃ってて、竈の煤もよく払ってある。ちゃんと使われているようだ。ふむ……。すぐ帰ると言ってたし、そろそろ彼も帰ってくるだろう。その前に一発仕掛けときたい。ママといったら、おいしいおやつ。今何時かわからないけど、動いてきた後に軽いものでもお腹に入れたら心も穏やかになるはず。私の死も遠くなるはず。
さーて、どうしようかな。……やった! 冷蔵庫がある。魔法がまだ主力ではあるけれど、最近開発された電気によって動く、数々の道具の発展は目まぐるしい。権力者の家に生まれ育ったからこそ私にとっては見慣れたものだが、庶民の家に出回るのはまだ早いんじゃないかな。よっぽど稼いでるとみた。
私は意気揚々と冷蔵庫を開け、中のものを見て目を見開いた。
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