第2章 ――記憶、初めての恋1
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「やっぱり女は顔だよ」
「いや、カラダだ」
「尽くしてくれ度じゃねぇの?」
そんな会話が二年二組の教室の端でひそひそと交わされている。
友達の話に、拓斗はややうんざりしたような顔をしつつ参加していた。いや、積極的に参加しているわけではない。なぜだか知らないが、この三人は休み時間さえも惜しんで勉強したい拓斗の席に集まってくるのだ。
(いい加減にしてくれ)
そう思うものの、トラブりたくもないので物申すような真似はしない。黙って聞いているだけだ。
とはいえあまり勉強が好きではない者が多いこの学校では、この三人はまだ勤勉だと言えた。類は友を呼ぶ、そんなところだろう。
「顔と体、両方あったら文句ねぇよな」
「少々イケてなくても、いろいろヤッてくれる女がいいよ」
「うわ、すげぇエロ発言」
(うるさいっての。もういいから勉強させてくれっ)
そう叫びたいのをグッと我慢し、拓斗は友達の視線を追った。
教室の中央の席に座る女子生徒が男子諸君に囲まれてうれしい悲鳴を上げている。
この二年二組の休み時間はいつも騒々しかった。
というのも……
「やぁだぁ、孝志君ったらぁ、おだてたってダメよぉ~」
大きな声で男子生徒をからかうのは、二年連続ミス学園に選ばれた美少女、神野真子だ。男子諸君はみな彼女に取り入ろうと一生懸命だった。
美人で巨乳――これだけで男子諸君はメロメロだ。
また本人も巨乳美人を自覚済みで、過剰な愛敬を振りまいている。さながら人気アイドル気取りだ。
さらに芸能界を目指しているとのことで、モデルのプロダクションに所属していると公言していた。
「もう、意地悪ぅ~」
甘い声と笑い声が響く中、拓斗は小さくため息をつき、神野を眺めた。
(あっちもうるさいんだ)
胸の内で呟く。
「いいよなぁ、神野は。やっぱ美人がいいよなぁ」
「胸もデケェし」
「でも、男は使い捨てみたいだけど」
拓斗はまたしてもため息をついた。
(あんなわかりやすい媚に、なんで夢中になるのか俺にはわからないよ)
拓斗はごく普通の少年で、派手なことを好まない、どちらかと言えばおとなしいタイプだ。女子生徒と気軽に話をすることも
ない。
そんな拓斗はみんなが熱を上げる『美人』にも『バスト』にも興味がなかった。
派手に振る舞い、男子生徒の注目を集めて満足している姿はまったく以てタイプではない。
もちろん、自分が彼女のお眼鏡にかなうなど自惚れてもいない。彼女には硬派で地味な自分より、イケメンで長身のモテモテ男が相応しいだろう、素直にそう思っていた。
またそれ以上に、今は勉強が大事だと思っている。
本命校受験時に母が重篤な状況に陥った。
拓斗は試験を欠席し、滑り止めで受けたこの学校に通うことを決めた。
その後間もなく母は他界した。
後悔はしていない。受験より母のほうが大事だっただけだ。
大学受験を成功させ、目的の大学に入れば、天国の母も喜んでくれるはずだ、そう考えている。
カノジョが欲しいと愚痴る友達を横目に、拓斗は再び胸の内でため息をついた。
(わかるよ、その気持ちは。でも、俺にはそんな余裕ないし。大学に入れても、今度は司法試験合格に向けて猛勉強が待っている。女はまだまだ先だ)
思春期の男の子だ。誰だってカノジョが欲しい。
目の前の勉強をしなければならないと思えば思う程、恋もしたいと考える。だが、弁護士を目指す拓斗には、確かにそんな余裕はなかった。
とはいえでは本当に恋人など欲しくないのか? そう問われると複雑な思いに駆られる。
(カノジョか……)
拓斗は神野から視線を動かし、教室の窓側に移した。無意識の行動だった。その視線が別の少女を捉える。
窓際に座って外を眺めているのは榛原茜。
ごく普通の女子高生だ。
(榛原、また窓の外を見てるなぁ)
茜は間もなく神野に顔を向けた。しばし眺めると、ため息をつき、正面を向いた。
その時、授業が始まるチャイムが鳴った。
その日の授業がすべて終わると拓斗は職員室へ向かった。担任が待っていたとばかりに顔を向ける。
横に立って「どうですか?」といきなり聞いた。
「今の成績なら十分希望の大学に行ける。心配することはない」
「そうですか」
「あえて言うなら、英語だな。もう少しあったら本当に安泰だろう」
「そうですね。わかっています。頑張ります」
「生徒をエコ贔屓するわけじゃないが、島津の場合は他の生徒と事情が違うし、なんでも相談に乗るから遠慮するなよ」
拓斗は心配そうに覗き込む担任に向けて苦笑すると、「大丈夫です」と答えた。
「親父さんから頼まれているから、俺としてもほっとけないし」
「父は心配性なんです。そんなに気にすることはないです」
返事をすると、少しばかり担任と会話を交わし、職員室を出た。
なんだか気が晴れなかった。滑り止めで受けたこの高校に通っているが、悔しさは微塵もない。
学校はどこでも同じだと考えている。ようは自分がいかに勉強するか、だ。
とはいえ、弛んだ教室の空気は勉強する意欲を削ぎ、誘惑に駆られることも多い。確かにこのままでは、目指している学校に行くのは難しいのではないか? という不安と焦燥を覚える。
諸々相談したい父は商社マンでとにかく留守が多かった。
なかなかじっくり顔を合わせて話をする時間が持てなかった。だから父は担任に相談し、代わりに対応してもらえるよう頼んでいたのだ。
(でも、俺だって子どもじゃないんだから、自分のことぐらい自分で決められるよ)
そんなことを考えながら駅に行くと、茜の姿を見つけた。
時計を何度も見ながら、慌てたような顔で電車を待っている。そんな様子が拓斗の興味を引いた。
彼女はどこにでもいるごく普通の女の子だ。取り立てて美人でもなければ、男ウケするような体格でもない。可もなく不可もなく、本当にごく普通だった。
(どこへ行くんだろう)
電車に乗り、茜の様子を観察する。やはり何度も時計を確認している。かなり焦っているのがわかった。やがて電車を降りた。
(アキバ?)
ゲームをしない拓斗には縁のない街だ。
早歩きの茜を追いかけると、彼女はビルの勝手口に消えた。拓斗は一瞬迷ったが、同じようにその扉を開けてさらに追いかけた。
(え?)
茜が消えた扉にはカフェ名とそのカフェを運営する会社名が掲げられていた。
(榛原、バイトしてるんだ)
カフェの名前を確認し、今度は外に出た。そしてまた驚いた。
(メイドカフェ!)
唖然とする。とてもそんな世界に縁があるようなタイプではないと思っていた拓斗にとって、それは衝撃的な出来事だった。
拓斗はしばし悩んだが、やがて意を決して店に向かって歩き出した。
「――し」
茜は「島津君」と言いかけ、口を噤んだ。目を大きく見開き、そのまま硬直している。二人は互いを見つめ合い、固まっていた。
メイドの衣装はかなり派手だった。バストを強調するような制服は、レースとフリルがふんだんについている。ピンクのブラウスもかわいいというより艶っぽい。単純にかわいさだけを狙った店ではないようだ。
拓斗は茜の体型がけっこう男ウケするものだと悟り、ますます言葉を失った。
なんとなく下半身が疼く気がするものの、意識がそちらにいかないよう必死で心がけた。
「ミューちゃん」
他の店員が茜の腕を掴んで囁いた。
「あ、あっ、ご主人様、お帰りなさいませ! ミューがお世話させていただきます。ご主人様、お食事になさいますか? 飲み物になさいますか?」
ニッコリと微笑むが、顔は完全に引き攣っている。
「飲み物……」
「飲み物でございますね。では、こちらからお選びくださいませ、ご主人様」
茜が差しだすメニューを受け取るものの、目と意識は茜に釘づけだ。
茜の唇が声を出さずに「なににするの?」と動いた。拓斗はハッと我に返り、「アイスコーヒーを」と返事をした。
「アイスコーヒーでございますね、ご主人様。かしこまりました。すぐにお持ちいたします。しばらくお待ちくださいませ」
茜はそう言って頭を下げると、逃げるように奥へと消えていった。