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第7章 愛は求めあう2

 翌日、仕事が終わった茜は名刺の住所を頼りに拓斗を訪ねた。


(うわ、すごい)


 ガラス張りの高層ビル。その高層階に『和泉法律事務所』が入っていて、エレベーターを降りると広いエントランスの奥に据えられている受付に向かった。


「あの、島津先生をお願いしたいのですが。藤、いえ、榛原茜と申します」

「あいにく島津は不在ですが」


 受付の女性スタッフは手元を見ることもなくすぐさま答えた。


「そうなんですか……」


 一瞬、茜の脳裏に不純な憶測が浮かんだ。


 若くて独身のエリート弁護士。イケメンと騒ぐほどではないにしろ、悪くはない容姿にほどほどの身長。きっとモテるはずだ。この女性も? と考えた時、女性スタッフはうっすら微笑んで続けた。


「お約束をいただいておりましたでしょうか?」

「あ、いえ、予約は……すみません、私、知り合いで、近くに来たから」


「ご予約なしのお客様による名指しの面会はお断りしているのです。飛び込みのお客様には、その日の担当者がお話を伺います」

「島津先生に用事があっただけなのでけっこうです」


「申し訳ありません。相談以外の目的でスタッフへの面会を求められる方がいらっしゃるのでこのようなシステムになっております。特に島津はそういったお客様が多いもので。まずはご予約をいただきたく存じます」


 女性スタッフの微笑みは変わらずそのままだ。茜は羞恥で体が熱くなるのを感じた。


「島津先生は私のことはご存知なので、訪ねてきたとお伝えください。それでわかると思います」

「かしこまりました」


 携帯番号を言おうかと迷った。だがここでそれを口にすると嘘をついているように思われそうで踏みとどまった。


 もし拓斗が気にしてくれるなら、カフェに来てくれるはずだ。さらに受付スタッフの言葉にも引っかかった。


『そういったお客様』とはどういう意味だ? エリート弁護士に突撃アタックでもしようと目論んでいるとでも思っているのか。


 怒りが湧いてくるのを感じながら、無理やり顔を微笑ませて頭を下げると、急いで身を翻し、エレベーターのボタンを押した。


(早く来て!)


 受付スタッフに見られているような気がして仕方がない。もちろん、その目には嘲笑が含まれているはずだ。


(早く!)


 ライトが上昇を示す。間もなく到着だ。ようやくライトがこの階で止まった。


「あ」


 それはどちらの声だったのか。開いたエレベーターの奥にいたのは拓斗だった。


 拓斗はエレベーターから降りると、茜の前に立った。


「どうしたの? なにかあった?」

「あ、あの、えっと」

「戸田さん、これからのスケジュールは?」


 隣に立つ戸田に話しかける。スーツ姿の戸田は明快に答えた。


「六時半から所長との打合せが一本入っているだけです」

「わかりました。先に行ってください」


 戸田が礼儀正しく黙礼するのを確認し、拓斗は茜に向き直った。


「たぶん一時間ぐらいで終わると思う。それまで待てる?」

「……うん」

「だったら、この前のファミ……いや、この先にグランバリューホテルがあるから、そこのロビーにあるカフェで待っていてくれない? コーヒーはお代わり自由だから時間を潰せると思う」

「あ、でも、忙しいんじゃ」

「俺も茜に話があるんだ。それもビジネスに関係した大事な話。だからビジネスライクでいきたい。じゃ、一時間後」


 拓斗は軽く手を上げ、奥へと歩いていった。茜はそれを呆然と見送った。


 受付スタッフが立ち上がって拓斗に頭を下げているが、終わると憮然とした顔を茜に向けてくる。茜はそれを他人事のように眺めていた。


 きっかり一時間後、グランバリューホテルのロビーに拓斗が現れた。


「待たせてごめんね」

「うぅん」


 茜の顔が冴えない。拓斗はウエイトレスにコーヒーを注文すると、もう一度待たせたことを謝った。


「島津君のせいじゃないわ」


 そう言って受付でのやり取りを述べる。すると拓斗は爆笑した。


「それは勘ぐりすぎだよ。職業柄、逆恨みされること多し、でね。危険回避のために『アポは絶対必要』ってシステムになってるんだけど、実際はいないことが多いから予約してくれないと会えないんだ。それに本当に相談したいことがある人は誰でもいいわけだし、指名したかったら必ず礼儀重視で電話を入れてくる。もしくは紹介とかさ。だから名指しは受付も警戒するんだ」


「……なるほど」


 それでも茜は納得できなかった。拓斗の話はそうかもしれない。そのことは理解できる。だがあのスタッフの顔に浮かんでいた感情は違うと思った。


 とはいえ、そんなことはどうでもいい。大事なことは今後の生活のことだ。


「あのね、実は正式に相談したいことがあるの」

「離婚問題だろ?」

「え? あ、うん」

「もう調査を開始している」


 一瞬、なんのことかわからずにポカンとなった茜だったが、意味を理解し、頓狂な声を上げた。


「一か月間、藤本健史の素行を調査する。だから茜、一か月、我慢するんだ」

「…………」

「浮気の証拠が掴めたら慰謝料付で別れさせてやる。もし証拠が掴めなかったら、その時は協議離婚で話をつける。俺に任せてほしい」

「島津君……」


 余裕の笑みに、茜は体中の力が抜けていくのを感じた。


 一か月が経った。


 その間、茜は毎週土曜日、拓斗と会っていた。本当は毎週会う必要などなかったが、どちらともなく互いにそれを求め、約束を交わした。


 ファミレスの片隅での逢瀬は高校時代を思いださせてくれて、なんとも甘酸っぱい思いを抱かせた。

 特に茜は夫の浮気の疑惑という、本来なら傷つく問題に直面しているはずなのに、心は真逆で土曜日が待ち遠しくて仕方がなかった。


 今日は調査の結果を知らせるとメールがあった。いつものファミレス、いつもの席。


 茜は拓斗が来るのを待っていた。


「あ、島津君」

「待った?」

「うぅん。うれしくて、早く来ちゃっただけ」

「そう、じゃ、さっそく始めよう」


 差し出されたA4の茶封筒。茜は中身をテーブルに広げた。


 女連れの夫が幾枚もの写真にバッチリ写っている。しかも対象の女は二人いた。


 言い逃れのできない証拠品が、茜に現実を示し、彼女に改めて決意を固めさせた。


「どんな状況になろうと茜の勝ちだ。しかも、浮気相手は一人じゃないから、言い逃れの余地はない。裁判になったら俺がつくから安心してくれていいよ。でも、ならないと思う。この証拠を前に裁判をするバカはいないよ。それに相手に弁護士がつくかどうか疑問だ。この状況で島津と戦うのはバカらしいって、誰も引き受けないんじゃないかな」


 茜が小首をかしげる。


「どういう意味?」

「三年目の駆け出し弁護士、若造だけど、これでも無敗だ。大丈夫だよ」


 穏やかな微笑みには自信が滲みでている。茜は心の底から安堵できた。


「うん、ありがとう」


「離婚の際は立ちあおうと思ってる。ゴネたら俺が諌めるよ。こっちの準備は整ってるから、いつ旦那さんに切り出してもOKだ。だけど言うのはあくまで離婚の提案だけにして、浮気をしていることは追及しないように。浮気してるんじゃないのか? くらいはいいけど、証拠を握っているとかはナシだ。相手に考える時間を与えてしまうからね。わかった?」


「わかった。絶対言わない」

「それで報酬の件だけど」

「うん。それが気になってるの。慰謝料を取れたらそこから回すから心配はしてないけど、でもどれぐらいかかるのか、ぜんぜん知識がないから」


 緊張気味に答える茜を前に、拓斗も背筋を伸ばした。


「無事に離婚できたら、俺と一緒に映画に行ってほしい」

「……は? 映画?」

「そ。3D映画」


 茜は目を見張った。



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