第6章 ――記憶、初めての愛2
翌日、拓斗は心弾む気持ちを必死で抑えながら、いつものファミレス、いつもの席で茜を待っていた。
だが、時間がきても茜は姿を現さない。スマートフォンを確認するが、着信もメールもなかった。
(どうしたんだろう?)
三十分程度が過ぎた頃、拓斗は痺れを切らせて茜に電話をかけてみた。
(あれ? 取らない)
しつこく待つと、今度はプチンと切れた。
(え?)
留守電になるわけでもなく、いきなり切れたのだ。
慌ててかけ直すと、今度は電波がつながらないか電源が入っていないかでかからないというアナウンスが流れた。
(どういうことだ? 茜?)
結局その日、茜は姿を現さなかった。
夜になって電話をかけても茜は取らなかった。最初は心配だった気持ちが、次第に苛立ちに変わる。イライラしながら課題をこなした。
さらに翌日、茜が学校を休んだ。
担任に欠席の理由を聞くと体調不良だということだったが、なんとなく納得できない拓斗は見舞いと称して様子を見に行くことにした。
しかしながら出迎えた母親は、会いたくないそうだからと断ってきた。
「一昨日ぐらいから元気がないのよ。せっかくきてくれたのに、ごめんなさいね」
「あの」
「あ、それから、えーっと島津君だったわよね。茜の勉強を見てくれてたんだって?」
「え? あ、はい」
「お料理の専門学校に進むことにしたから、勉強はもういいそうなの」
「…………」
「また学校で本人からきちんと話してお礼を言うと思うけど、ごめんなさいね」
「あ、はい」
茜の母に向けて丁寧に礼をすると、拓斗は駆け出した。
なにかあったことは明白だ。だが、思い当たるものはない。まるで一方的な別れを宣言されたような印象だった。
(そんな――だって! こんなにいきなり、理由も言わずに!)
駅のベンチに座る。
一歩進んだ友達関係になろう――そう言って笑い合った駅のベンチ。拓斗は混乱する気持ちを必死に押し止め、メールを打った。
(せめて理由を聞かせてくれ、茜!)
返事はすぐにきた。慌てて展開すると、ただ一文。
『ごめんね、勉強は必要なくなったから』
(茜……)
一週間が経った。
結局茜は期末テスト全てを欠席してしまった。
あの時の衝撃と失意は次第に薄れ、拓斗は茜の突然の拒絶を考えなくなっていた。
さらに明日から冬休みが始まる。それが終わる頃には、もうなにも感じなくなるだろうと思った。
茜もそれを望んでいるのではないか――漠然とそんなことを考え始めていた。
「ねぇ、島津君、ちょっと話があるんだけど」
予備校に行こうと学校を出た拓斗を、神野が待ち伏せしていた。
「なに?」
「あのさぁ、冬休みの間って、私もけっこう時間ができるの。でね、島津君に家庭教師をしてもらいたいなぁって思って」
「家庭教師?」
「うん。一度は断られたけどさぁ。それって先約があったからでしょ? 今はフリーじゃないの? 私の勉強見てもらえない?」
「…………」
「教えてもらうばかりじゃ悪いから、私も島津君にちゃーんとお礼するし」
「礼? どんな?」
「デートでもいいし、私のことカノジョって紹介してくれてもいいし。勉強の場所はファミレスなんかじゃなくて、私の家でいいわよ」
拓斗はすべてを悟った。
神野に見られていたのだ。そして神野は茜に迫ったのだ。
茜にとって神野はコンプレックスの塊のような女だ。その神野に詰め寄られたらイヤだとは言えないだろう。
どんなに頑張っても、勝てっこないと思っているのだから。
拓斗はギュッと握り拳を作り、怒りをこらえた。
「悪いけど、俺、自分のことで精一杯なんだ。来年から受験に向けて必死で頑張らなきゃいけない。人の面倒を見ている余裕はない。ファミレスってことは、俺が、あ――榛原さんと一緒にいるところを見たってことだよな? あれももうやめた。俺が断ったんだ」
「はっ? なに言ってるの? そんなウソは」
神野の言葉を遮るように、拓斗は、だけど、と大きな声で続けた。
「だけど誤解しないでほしい。たとえこんな状況じゃなかったとしても、俺は神野の勉強を見る気はないし、デートする気も、カノジョって紹介する気もない。俺、神野のこと、好きでもなんでもないから」
「…………」
「むしろ好きなタイプと真逆で、御免被るって感じ」
神野の顔が引き攣り、見る見る怒りに染まっていく。
拓斗はそんな神野の変化を冷たく見ていた。
「つきあっているうちに好きになるって話も、たぶん限界があると思う。そういうのって、なんだかんだ言いながら、やっぱり根底は好きから始まっていると思うんだ。だからつきあうことになっても、俺が神野を好きになることは絶対にない。それだけは断言できる」
「よくそこまでひどいこと言うわね!」
「これぐらいはっきり言わないと、自意識過剰の勘違い女にわからせるって無理だろ!? 受験に必死で女どころじゃない俺なんか無視して、タイプな男とよろしくやりゃいいんだ。なんたって学園のアイドルで、現役のグラビアアイドルなんだから」
「言われなくてもそうするわよ。なによ、ちょっと賢いからってお高くとまって。サイテー! つきあってもいいかなーって思った私がバカだったわ!」
神野は怒鳴るように叫び、身を翻して走り去っていった。
神野の後ろ姿をしばし見送ると、拓斗もまた駆けだした。
その頃、茜はスマートフォンが震えていることに気がついた。
『茜、話がある。大事な話。これから送るメールの住所に今すぐ来てほしい』
(拓斗君、今日は予備校じゃ……)
記されている住所にはマンション名があり、その様子から拓斗の家だと思われた。
予備校を休んでまで呼びだすのだからよほどの内容なのだろう。
茜は少し悩んだが、行くことにした。別れるにしても、やはりこのまま自然消滅するのはイヤだった。
神野になにもせず、無視すればいいと言われたが、一言ぐらいは拓斗に伝えたいことがあったし、なにより謝りたかった。
メールには茜の最寄り駅からの道順が記されていたので迷わず到着することができた。
「拓斗君」
ドアフォンを押し、現れた拓斗を見て茜は息をのんだ。
てっきり怒っていると思っていた拓斗の顔には、穏やかでやさしい笑みが浮かんでいたのだ。
「俺、基本、一人暮らしだから。親父は年末ギリギリに帰ってくる予定」
意味深な言葉がいきなり投げかけられ、茜は思わず顔を真っ赤に染めた。
男が一人でいる家に入っていく意味ぐらいわかる。
しかしながら、そういうことに気を配っていた拓斗がわざわざ言うのだから、そっちの意味を示していることは明らかだ。
茜は激しく打つ心臓の音を聞きながら靴を脱いだ。
「お邪魔しま――」
その瞬間、茜は拓斗の胸の中にいた。
「!」
そして、キス。
「んん」
深くて激しいキスに茜が声を出した。
拓斗の腕がガッチリと茜を捕らえている。
拓斗は茜の口の中に舌を入れ、ますます激しく翻弄した。
「ん……は、ぅ」
やっと離れた二人の顔が互いを見つめ合う。
茜の足が急にガクガクと震え始めた。
「事情はわかった。神野に別れろって言われたんだろ? バカ!」
「…………」
「力一杯フッてきた。俺のカノジョは茜だけだから」
「でも」
「神野もバカ女だけど、茜もバカ女だ。本人である俺の気持ちを無視して、勝手にあいつとくっつくって思うんだから」
「だ、だって……私には、とてもじゃないけど」
「茜が神野にコンプレックスを持っていることはよく知ってる。だけどそれとこれとは話が違う。俺の気持ちを無視するのは間違ってるだろ? そういうことは俺に聞いてからにしろよ。俺の好きなのは茜だけだ。茜がつきあいたくないって言うなら、それは仕方がないけど、どうしてつきあいたくなくなったのか納得できる説明をしてからにしてくれ。じゃないと、別れない! 絶対別れない! 茜、俺、本当の意味でお前が欲しい」
「…………」
「だから家に呼んだ。親父は年末にならないと帰ってこない。今、俺に全部くれ。じゃないと落ち着かなくて、なにもかも手につかないんだ。こんなの、もうイヤだ。茜、好きだから」
茜の目から涙が溢れて流れ落ちた。
「好きだから」
「拓斗君」
「好きだから」
茜の目から大粒の涙がぽろりと落ちる。そしてギュッと抱きついてきた。
拓斗はそれをしっかり受け止めて支えた。
もう一度キスをし、心で気持ちを感じあおうとした。
「拓斗君」
拓斗は茜の手を握り、部屋に案内した。
「私でいいの?」
「茜だからいいんだ。神野の件でそれがわかった。茜だからいい。茜は?」
「拓斗君だから好き」
チュッとキスをする。拓斗は茜を自室に導き、コートを脱がせ、ゆっくりベッドに寝かせて首筋に唇を添わせた。
「あ」
「…………」
「恥ずかしい」
「俺も恥ずかしい。それに俺、経験ないから、その、ヘタだと思うし」
「私も初めてだよ!」
「うん」
見つめ合う視線が甘くて、熱くて、溶けそうだった。
「好きだから」
「うん、私も好きだから」
呪文のように何度も呟きつつ、二人は互いの服を脱がせ合い、時間をかけて互いを求めた。そしてゆっくりと男と女の愛の形を知った。
熱く熱く、どこまでも熱く、互いを焼き尽くしてしまいそうなほど激しい想いと刺激。
二人を結びつける行為。
未熟な二人の愛はまだまだ始まったばかりだが、それでも言葉では言い表せない幸せを感じていた。
その幸せが愛だと気づいていた。