第6章 ――記憶、初めての愛1
また一歩、二人の関係が進展した。
キスは甘酸っぱく、二人の心を強く結びつけた。お互いにお互いを『特別な存在』と感じ、拓斗は茜を、茜は拓斗を『自分のもの』と思うようになった。
二人は名実共に、恋人同士になったのだ。
「学校でも拓斗君って呼びそうになるの」
うれしそうに話す茜の笑顔が愛しい。
そう思えば思うほど、もっと触れたい、もっと感じたいと願ってしまう。
拓斗はなんとも言えない衝動を感じて戸惑っていた。
「拓斗君?」
「あ、イヤ、なんでもない」
そして同時に『女は手がかかる』とも思う。『なんでもない』と答えると、途端に茜の顔が曇るからだ。瞳が不安の色に染まる。
しかしながら、その『手がかかる』ことを拓斗は良いことだと思った。想ってくれているからこその不安だから、と。
「じゃあ、答える。今までは一歩だけ進んだ友達だったからそれほど気にならなかったけど、今は誰かに取られたらどうしようって思うんだ。こんな気持ちも初めてだから、すごく戸惑ってる」
ウソだ。
この言葉自体は本当だが、衝動を感じて戸惑っている理由ではない。
体が、特に下半身が疼いているのだから、求めているのは茜の体だということぐらいわかっている。
戸惑っているのは、女の体を求める自分自身だ。
(どうしよう。なんか、その……)
つきあい始めてまだ間がない。それに十七歳だ。そっちの知識が乏しい拓斗は、もし妊娠させてしまったら――などと思ってしまう。
それでも十七歳の男の体は純粋に女の体を求めた。
(いや、心が伴ってないとダメだ。それにお互いが求めないと。俺の一方的な欲求だけで抱くのはイヤだ。俺はそんな軽い男じゃないから!)
「拓斗君?」
「茜は進学するの? 就職?」
いきなり話を振られ、茜は驚いて目をパチパチさせた。
「え? あぁ、進路ね。専門学校に行こうかと思っていたんだけど、最近ちょっと気が変わってきて、思案中」
「どこの専門学校?」
「私ね、お料理好きだから、お料理関係の専門学校に行こうかと考えていたの。フレンチかパティシエか。でもね、普通の大学に進むのもいいかなぁって思い始めて」
「えっ! そうだったの? 料理得意だったんだ!?」
「その驚き方、心外」
ムッとした顔がかわいい。だがそれは言わず、笑ってやり過ごした。
「拓斗君に勉強教えてもらうようになって、なんかね、うまく言えないんだけど、勉強の進め方っていうのかな、コツがわかってきた気がして、このまま頑張ったら、まぁまぁの大学に行けそうな気がするのよ。両親も賛成してくれてるし」
「そーなんだ! うん、それもいいと思うよ。茜も予備校に通ったら?」
「そうね。拓斗君と同じコースは無理だけど、一緒に通えたらうれしいから考えてみようかな。三年になったらクラス替えもあるし、離れる確率って高いもんね」
確かにそうだった。学年が変わればクラス替えが行われる。この学校の進学率は高くないが、三年から一応のこと一クラスだけ進学コースが設けられるのだ。
拓斗は間違いなくこの進学コースだろう。同じクラスになれないことは明らかだった。
「茜も目指せばいいじゃないか。進学クラスに入れるかもよ?」
「絶対ムリ! でもね、専門学校も捨てがたいの。だから思案中。申請は年が明けてからだから、まだ時間もあるし、よく考える」
「そうだね。焦ることじゃないし」
「うん」
見つめ合い、微笑みあう。
お互いの想いを感じながら、二人だけの時間を満喫していた。
拓斗と茜が初めてのキスを交わしてから二ヶ月ぐらいが経ったが、茜は未だ進路を決めかねていた。
カレンダーはようやく十二月に入り、今年も後わずか。
年が明ければ担任に一回目の進路希望を伝えなければならない。さらに進学するなら予備校に行くことも考えたい。茜は週二回、拓斗に勉強を教えてもらいながら思案していた。
今日も、いつものファミレスで二時間ばかりの勉強タイムを過ごした。
拓斗に褒めてほしいばかりにしっかり勉強している甲斐もあり、茜は勉強に対して面白いと思うようになっていた。
「茜、送らなくて大丈夫?」
「大丈夫よ。じゃ、また明日ね」
ニッコリと笑う茜に照れつつ、うん、と頷く。
「また明日」
そう答えた拓斗に、突然茜が体を寄せ、耳元で囁いた。
「…………」
茜は顔を真っ赤にして満面の笑みを浮かべると、手を振って帰っていった。
――拓斗君、好き。
(俺もって、言いそびれた! 次は俺が先に言うから!)
そんな幸せなそうな二人に気づき、見ている者がいる。
ファミレスで二人が勉強している姿を見つけ、出てくるまで眺めていたなど知る由もない。
トラブルが二人に起きたのは、それから間もなくだった。
今日は拓斗が予備校の日だ。
茜は早々と学校を後にし、本屋に向かっていた。とにかく料理の本を見るのが好きだった。分厚い専門書は高くてなかなか手が出ない。だからこそ本屋に通い、レシピを読んで覚えることにしていた。
「榛原さん」
いきなり声をかけられて振り返る。
「……え」
意外な人物が立っていた。
「あ、神野さん……なに?」
学園のアイドルであり、グラビアアイドルとして最近少しずつ認知され始めている美人。なんとなく、しかし確実に恐怖感が湧いてくる。
男子生徒達にちやほやされている様子が羨ましくて、妬いた末にメイドカフェでアルバイトを始めた過去がある。
神野本人はそんなことなど知るはずもないが、一方的に羨んで妬いた茜には苦手意識が強かった。
さらに拓斗に向かって家庭教師をしてほしいと頼んでいた姿も見た。茜の顔は強張っていた。
「ちょっと話があるの。いいかな?」
「あ、うん」
誘われてついていくと、神野は高そうなカフェに入ろうとした。
「あの、神野さん、私、あんまりお小遣いないの。お店なら、もっと安いところが」
「私がご馳走するからいいわよ」
「でも」
「うるさいトコ、嫌いだから、私」
神野がそのまま店に入っていく。茜は仕方なく後に続いた。
テーブルに案内されて座り、ドリンクをオーダーする。そのドリンクが運ばれてくると、神野は鞄からパンフレットのようなものを取りだして茜に見せた。
「私が所属してるプロダクションのモデル募集のパンフ。榛原さん、応募してみない?」
「え!?」
「大丈夫。欲しいのはグラビアアイドルだけじゃないから。いろんなジャンルでいろんなタイプのモデルが欲しいのよ。紹介だと一次審査パスだから受かりやすいわ」
「……でも」
神野は意味ありげな妖しい笑みを浮かべた。
「榛原さんなら二次も受かるわ。よほどブッ細工じゃない限り大丈夫だし。それに庶民的なタイプのタレントもいるのよ」
「…………」
「最終的に受かるか落ちるかは本人次第だから。でさぁ、こんな話を榛原さんにフルのにはわけがあるの」
「わけ?」
神野が、うん、と頷く。
「この前、駅前のファミレスで島津君と勉強してるの見かけたんだけど」
茜がハッと息をのんだ。同時に神野がますます妖しげに笑った。
「榛原さんってさぁ、もしかして島津君とつきあってる?」
「…………」
「ねぇ」
茜の心臓がドキドキと早鐘を打つ。
神野に見られていたこと、自分達の関係がバレかけていること、そして。
(神野さんは、拓斗君のこと、もしかして、もしかして、好きなの!?)
それは茜にとって、最大の不安事項だった。
「あの」
「勉強、教えてもらってるって感じだった。私さ、断られたの、島津君に。それって榛原さんの勉強見てるから?」
「…………」
「あんなふうにフラれたの、初めて」
茜は膝の上で握っている手に力を込めた。
「私の周りにいる男の子ってさ、顔が目的だったり、体目当てだったりするのよね。人気者オトして良い顔したいとか。サイテーなのが多いの。島津君って、そーいうの気にしないみたいね」
「…………」
「いいなぁって思うのよ、そーいう人」
「あ、あの」
「つきあってるんだったらさぁ、横取りって申し訳ないと思うけど、そーじゃないなら悪いなぁとか思う必要ないでしょ?」
茜は息をのみつつ凍りついた。
神野が拓斗を横取りできる前提で話をしていることに非常な驚きを感じた。そして、いかに見下されているのかも。
膝の上で握られている手にますます力がこもった。
「榛原さんはなにもしなくていいわよ。別れるとか、好きじゃなくなったとか、そーいうことって言うのも面倒だもんね。黙ってムシしたらいいことだから。あ、それでこっちがモデルスクールの入学届。この名刺は社長のだけど、最初は代表にかけてね。大丈夫、すぐにつないでもらえるように言っておくから」
「……あの」
「つきあってみてつまんないオトコだったらまた報告する。その時は家庭教師、再開してもいいんじゃない?」
クスクス笑う神野の顔を茜は呆然と見つめた。
自ら動く必要などないほどモテる神野が、拓斗に言い寄ろうとしている。そのことに茜は言葉を失い、泣きそうになった。
とても太刀打ちできる相手じゃない、と。
「オーディションは随時してるからさ。榛原さん、頑張ってね」
「…………」
神野は精算書を持ってさっさとカフェを出ていってしまった。
対して茜は金縛りにあったように固まり、その場から動けなかった。