第九二話「秘薬づくり」
――伝説の秘薬イリクシアの材料の一つであるキノコを持ち帰ったわたくし達は、秘薬の試作の為の精製に時間がかかるということで薬師のスヴォウさんの家に逗留させて頂いています。
そして、秘薬の精製を始めてからひと月が経過していました。その間わたくし達はといいますと……。
この地方は雪の季節となり、スヴォウさんのお家の周りも雪に覆われていました。わたくしは秘薬作りの為に古文書の解析と精製のお手伝いをしています。助手のハサラさんも製法を学ぶ為に一緒に取り組んでいました。
ハサラさんは家の雑事をしながらだったのですが、わたくしの仲間達が薪割り、水汲み、雪掻きや生活全般を分担していましたので、秘薬作りに集中する事が出来ました。
この日は、わたくしは材料を蒸留している待ちで時間が空いたので、休憩がてら庭に出て身体を動かしていました。するとそこではマーシウさんが斧で薪割りをして、シオリさんが割られた薪を縄で縛って纏めていました。冒険に出られず薪割りをしているお二人を見ていると秘薬作りに付き合わせて申し訳ない気分になってきました。
「マーシウさん、シオリさん……本当に良かったのですか? 皆さん冒険者なのにここでこうしていて……」
マーシウさんは「ふう」とため息をついて手を止めて微笑みました。
「こういうのも嫌いじゃない。冒険者を引退したらこんな生活も悪くないなって思ったよ」
シオリさんはマーシウさんの発言に「フフ」と笑いました。
「そうね――でもまあ、どこかに冒険行こうにもこの雪ではね……」
マーシウさん達から待っている間に、グリフォンや動くキノコの居た所にあった地下迷宮の探索に行かないか? という提案がありましたが、雪の季節に山へ登るのは厳しいとスヴォウさんに言われて断念しました。
そして、ひとり散歩がてら家の正面に回ると、アンさんがハサラさんに弓を教えていました。木に的を取り付けてあり、そこに向けて矢を放っています。
ハサラさんは的には当たっていますが、中央に描かれた円には中々当てられない様です。
「あーもう……もうちょい頑張りなよ~」
傍で見ているファナさんが茶化す様に言っていました。
「なんだよ、じゃあファナやってみてよ」
ハサラさんは不服そうにファナさんに言い返しました。
「……光の矢!」
ファナさんは光の矢で的を破壊しまし、「フフン」と腰に手を当てて自慢げな態度です。
「そんなのズルいだろ?!」
ハサラさんはファナさんに抗議しますが「ファナは魔術師だし~」と言って意地悪そうな笑みを浮かべていました。
「ちょっとファナ、あたしがハサラの練習用に作った的を壊して! ちゃんと修理しなよ?」
「あ、そっか! ごめんアン姐……」
ファナさんは慌てて壊れてばらばらになった的を拾いに行きました。
(ファナさんとハサラさんは年齢が近いのでとても仲良くなりましたね……お二人とも同年代の人と触れ合う機会が少なかったと聞いていますから)
「食事だ」
ディロンさんが家の玄関ドアを開けて短くそう言いました。確かに良い匂いが漂っています。
――こうした日常を送っていたわたくし達でしたが秘薬の試作を始めてひと月半が経過し、いよいよ秘薬の試作品が完成したとスヴォウさんが仰いました。
わたくし達はスヴォウさんの作業室に集まります。スヴォウさんは瓶に入った液体を杓ですくってガラス瓶に移しました。それは茶色く濁った色をしています。
「これが……秘薬? 完成したのですね」
わたくしはガラス瓶の中の液体を見つめます。
「いや、最後の仕上げがある。この液体に治癒魔法を付与する必要があるのだ。シオリ、お前の扱える最も高度な治癒魔法は何だ?」
スヴォウさんの突然の言葉にシオリさんは少し驚きます。
「治癒魔法ですか? 最も高度な――どの系統ですか?」
「治癒系か状態回復系だな」
シオリさんは口元に手を当てて考え込みます。
「大いなる癒しでしょうか?」
と答えました。
「ほう、若いのにやるじゃないか」
大いなる癒しは癒しの上位魔法です。聞いた話では癒しでは治せない骨折や手足の切断、更には毒等の状態異常も回復するという凄い魔法です。
「でも、私の魔力では魔法の効果の全てを発揮出来ないし、万全の状態でも一度唱えるだけでかなり消耗してしまうわ……だから冒険中はほぼ使えないんだけど」
(シオリさんの奥の手ということですね……でも唱えなければいけない状況にならないようにするのが一番ですよね)
「俺も治癒魔術師だが、お前のように才能が無くてな。諦めて薬師をやっているのだよ。俺には大いなる癒しは唱えられんからシオリに唱えて貰おうか――」
「そんな、私も才能は有りませんけど……でも役立てるならやります!」
スヴォウさんはシオリさんに茶色く濁った液体の入ったガラス瓶を渡します。文献によると秘薬イリクシアは透き通った鮮やかな紅玉色だそうです。
シオリさんは右手に長杖を持ち、左手に持ったガラス瓶に長杖の先端をかざしました。そして魔法の詠唱に入ります。
『……大いなる癒し』
すると長杖は緑色の淡い光に包まれ、その光はガラス瓶に移ります。そしてガラス瓶の中の液体が緑色の光を放ちました。
「くっ……もう……」
シオリさんは長杖を下ろします。緑色の光は消え、シオリさんは項垂れてふらつきますがアンさんが支えました。
「シオリ、大丈夫かい?」
「……アン姐、ありがとう。大丈夫よ」
大丈夫とは言うものの、シオリさんは深くため息をついています。スヴォウさんがシオリさんからガラス瓶を受け取り、窓明かりに透かして眺めました。
「なるほど、古文書通り紅玉色に変化した――シオリ、ご苦労だったな」
スヴォウさんはガラス瓶を机に置きます。
『……薬品分析』
(これは薬品等の効果や成分を分析する魔法ですね。かなり専門的で特殊な魔法です)
「体力回復……抗炎症効果……解毒……抗毒……肉体修復……機能改善……凄いなこれは――」
わたくし達がその様子を見守っていると、スヴォウさんは「ふむ」と言ってからガラス瓶の栓を抜き臭いを嗅ぐとゴクリと飲み込みました。
「ええ?!」
わたくしは思わず声を出し、他の仲間達も驚きの声を上げています。
「いきなり飲むのですか?!」
「いくら分析で問題ないと分かっても、人に提供する以上は可能な限り試飲する――作った薬師が試さんでどうする、患者で実験するのか?」」
と仰られ、説得力があるなと思いました。効果を見る為に暫く様子を見ていると――
「なるほど、これは……俺ももう歳だから治癒魔法では治しきれない慢性的な不調があるのだが、身体が楽になり、それらを感じなくなった――まるで若返ったようだぞ」
スヴォウさんは心なしか楽し気な様子でした。
「でも、このガラス瓶に入ったものに大いなる癒しを唱える毎にこんなにシオリさんが消耗されていては……」
スヴォウさんは「うむ」と頷きました。
「大丈夫、頑張るわ」
と、シオリさんは微笑んで言ってくださいますが――ここまで来たら多少時間が掛かっても無理の無いようにと、お願いしました。
――こうしてシオリさんの協力の元、数日かけて瓶の中の秘薬の原液をポーションへと仕上げて行きました。今回で出来た分の原液をポーションに変えたものは、てのひら大のガラス瓶で三〇本程になります。わたくしはそれを旅人の鞄に詰めました。
仲間達は出発の準備をしていて、わたくしはスヴォウさんの作業室で秘薬の費用を精算をしています。
「本当に材料費だけで良いのですか?」
スヴォウさんは秘薬精製の代金を材料費だけ貰うと仰りました。
「うむ。まあ、材料の一部はお前たちが命懸けで採ってきたものもあるしな。製造法が書かれた古文書もお前達が持ってきた。そして翻訳もしてくれたろう? それに仕上げはシオリが居なければ出来なかった訳だから、満額請求は出来んよ」
(確かにそれはそうですけれど……)
「それに、ハサラにもいい経験をさせて貰った――秘薬の精製など中々見ることは出来んだろう。それに、俺や村の者以外の人間と触れ合う機会になった、礼を言う」
スヴォウさんは頭を下げました。わたくしも恐縮して頭を下げます。
「いえ、そんな……突然押し掛けて無理難題を言ったわたくし達をこんなにふた月近くも逗留させて頂いて、なんとお礼を言えばいいのか……本当に有難うございました」
「いや、久々に俺も楽しかった。昔を、ガヒネアや他の奴らと冒険者をしていた時を思い出したよ」
(やはり、ガヒネアさんと共に冒険者をしていらしたのですね)
「ガヒネアさんは冒険者の時の話はして下さらないので、今度はスヴォウさんにそのお話を聞きに来ますね」
わたくしがそういうと、スヴォウさんは苦笑いをして「ガヒネアに宜しく伝えてくれ」と言いました。こうして、わたくし達はスヴォウの家を出発して親友のセソルシアさん――セシィの元へ向かいました。
セシィの住む館へ向かう途中、ファッゾ=ファグを経由して伝書精霊でセシィの護衛であるガーネミナさんへ秘薬が完成したので持っていくという旨のお手紙を出しました。すると翌日には返事が返って来ましたが、それによるとセシィは容態が悪くなり、ひと月程臥せっているとの事でした。
(急がねばなりませんね……)




