第八六話「狐狼の襲撃」
――万病の霊薬イリクシアの材料のひとつであるキノコを求めてわたくし達は山を登る事になりました。往復で丸一日かかるという事で日が昇ってすぐに出発します。早朝に出発したわたくし達はハサラさんの案内で森を進んでゆきました。雪が降る地域でしかも日があまり当たらない森の中ですので寒くて吐く息が白いです。
森の中の道はやがて傾斜がきつくなって来ました。ハサラさんは「この辺りから少し急勾配になります」と言っていました。その通り、つづら折りの勾配が続きます。周囲の木も太いものから徐々に細い木に変化していきます。
そこを登りきると高い木が殆どなく腰や胸辺りまでの高さの低木が茂る尾根道の様な場所にでました。ここからは暫くなだらかな道が続くそうです。
天候は幸い晴れていて、森の中程の寒さは感じませんでした。何事もなく尾根道を進んでいた時でした。低木が切れて長い下草に覆われた場所に差し掛かると、少し前を歩いていたアンさんが一緒に歩いていたハサラさんを止めます。わたくし達もその様子を見て立ち止まりました。
「今、一瞬獣の匂いが……」
アンさんはそう言うと短弓を構えます。ディロンさんは儀礼用短剣をかざして精霊魔法、精霊探知を唱えました。
「人ではない……獣か? 複数……増えてくると風の精霊が言っている」
ディロンさんが言った直後、獣の遠吠えが響きました。その瞬間、草むらから獣が三匹跳躍して襲い掛かってきました。ハサラさんは「狐狼?!」と叫んでしゃがみます。跳躍してくる狐狼をアンさんは短弓の速射で迎え撃ちます。
矢は一匹の脚の付根辺りに命中し、もう一匹は背中を掠め、もう一匹は眼に命中して地面に落下してそのまま動かなくなりました。
脚の付根辺りを射られた狐狼は短い鳴き声を上げて地面に転がり、立ち止まりました。背中を掠めた一匹はわたくし達から手前に着地して睨むように唸りながら距離を測っている様子です。
「レティ嬢、恐らくまだ潜んでいる……魔剣を」
ディロンさんがわたくしに警戒を促しました。
(そうです、魔剣を準備しなければ……)
『牢よ開け』
首領の剣を抜いて魔剣四〇人の盗賊を呼び出す合言葉を呟くと、宙に魔法陣が浮かび、異なった形状の短剣を三本呼び出しました。
その直後に周囲から複数の遠吠えが響き渡ります。すると次々に狐狼が四方八方から跳躍して襲い掛かってきました。仲間達は外向きに円陣を組みます。そしてわたくしは四〇人の盗賊で、アンさんは矢で、ファナさんは光の矢で、ディロンさんは鬼火で、それぞれ迎え撃ちます。撃ち漏らした狐狼が飛び掛かってきますが、マーシウさんが盾で叩きつけるように防御して、シオリさんが障壁の魔法で弾き飛ばします。
やがて狐狼達の攻撃は止みました。
「どうやら去っていった様だ……」
ディロンさんが再び精霊探知を唱えたようでした。仲間達は誰も怪我はしていないようで、わたくしはとりあえずホッとため息をつき、魔剣の召喚を解除しました。
皆さん集結して怪我の有無や装備を確かめます。アンさんは死んだ狐狼の死体を観察しながら使えそうな矢を回収していました。
「足跡はあっちに続いているね」
アンさんが指差した方向をハラサさんが見て「ああ……」とため息をつきました。
「僕らが進む方向ですよ……」
どうするか仲間達と話しているとハラサさんが「そろそろ雪の季節になるからそうなるとしばらくは山が雪に覆われて危険になります」と言っていますので、引き返さずに警戒しつつ進むことになりました。
実は、セソルシアさん……セシィの病気は病状が悪化する間隔が徐々に短くなり、体力も落ちているとガーネミナさんからイェンキャストに居るときに何度かお手紙を頂いていました。治癒魔法やポーションなどの対症療法の効果も薄くなってきていると。
(秘薬が作れたとしてもセシィに何かあってからでは意味がありませんしね……)
暫く進んでゆくと樹木も無くなり、岩場に差し掛かりました。わたくし達の背丈以上の岩が幾つもあり、岩の迷路にも見えます。幸い細い道のようなものが見えますので、ハラサさんはそれを通って行くのだと教えてくれました。
「この岩場の先に洞穴があります。ここは雪が降ると、この道が見えなくなって雪で景色も変わってしまうので通り抜けるのは難しくなります」
ハラサさんはそう説明してくれました。
「でも、この岩に登ればある程度見渡せるんじゃないの?」
アンさんがそう言って岩によじ登ろうとしましたが、足をかけた岩はボロリと崩れました。
「この岩はあまり丈夫では無いので気をつけてください。それに雪が積もってしまうと山には他の危険も多いのでやはり雪が積もったらここに来るのは危険です」
そんな話をしていると、かなり辺りが冷え込んできている様に感じました。いつの間にか空も雲に覆われています。
「ちょいと天気が良くないね」
アンさんは空を見て言いました。
「よし、少し急ごうか」
マーシウさんも空を見て仲間達にそう伝えます。そして、わたくし達が歩くペースを上げ歩いていると獣の遠吠えが響き渡ります。
「また狐狼?!」
アンさんは素早く短弓を構え、矢を番えながら周囲を警戒します。
ハラサさんは「もう少し進めば岩場が切れます」と言いました。
「入り組んだ岩場で四方八方から来られたら厄介だ、抜けよう!」
マーシウさんが先導しようと前にでます。
「後ろから来たよ!」
ファナさんが後ろを指差すと、後方に狐狼が数匹姿を現していました。アンさんが後方目掛けて矢を射掛けます。狐狼達は矢を避ける様に岩に身を隠しました。
「よし、走るよ!」
アンさんの声が合図になり、わたくし達は走り出しました。しかし、行く手に度々狐狼が現れるのでアンさんが矢を射掛けて牽制しつつハラサさんの案内で岩場を抜けて行きます。
「行く先々に狐狼がいて、囲まれているようですけど――」
ハラサさんが疑問を口にしたその時、岩場が切れて少し広い空間があり、周囲が七、八メートル程の崖に囲まれている場所に出ました。
「行き止まり? おい道がないぞ?!」
マーシウさんが崖を見て振り返ります。すると周囲から沢山の遠吠えが響き渡ります。しかも一匹二匹ではありません――
「す、すみません……狐狼を避けていたらこんな場所に」
ハサラさんは涙目で謝罪しています。
「君のせいじゃないさ、狐狼を避けて道を探してくれたんだろう?」
マーシウさんは慰めの言葉をかけます。しかしすぐに表情は険しくなり、周囲を警戒しています。
「まさか狐狼ら、狙ってあたしらを追い込んだ?」
アンさんは苦虫を嚙み潰したような表情で短弓を構えながら周囲を警戒しています。
「獣臭……来るぞ!」
ディロンさんが警戒を促したその時、狐狼達が岩場の陰から続々と現れました。わたくし達はじりじりと崖を背にするように移動します。そうしている間にも狐狼は増え、ざっと見ただけで二〇匹以上居そうです。
「こりゃあ……デカいの一体とどっちが楽かね?」
アンさんは口元はニヤリと笑っていますが目が笑っていません。すると、狐狼達は一斉に遠吠えを始めました。わたくしはその隙に四〇人の盗賊を召喚します。
(ここは短剣を五本……ここはとにかく数ですね)
わたくしの周囲に光る魔法陣が浮かび上がり、五本の異なった形の短剣が召喚されました。
――しかし、その時でした。狐狼達の遠吠えより大きな獣の声が響きました。似ていますが大きく太い声で崖の上から聞こえました。上を見上げたわたくし達の目に映ったのは、崖の上から大きく黒い影が飛び降りる姿でした。
それはわたくし達の前に降り立ちました。その姿は狐狼ですが、大きさが違います。狐狼は普通の狼と変わらない大きさですが、これはそれよりも遥かに大きく、獅子くらいはあるかもしれません。毛も長く、白銀色です。そして、何よりの特徴は狐狼の特徴である大きな尻尾の先が二股に分かれていることでした。
「でゅ……双尾の主!?」
ハサラさんは引きつった表情で大きな異形の狐狼を見つめていました。
(あれが、スヴォウさんの仰っていた双尾の主ですか……)
わたくし達は完全に狐狼達に囲まれてしまいました――




