第八四話「雪国へ」
――荷馬車に同乗してガヒネアさんの知人らしい薬師のいるというブロッへの経由地ヒドゥアに向うわたくし達は、眠りの雲を使う魔術師のいる野盗達に襲撃を受けました。魔術師は捕らえたのですが野盗達との直接的な斬り合いになりそうだった所で警備隊が駆け付けて野盗たちを捕らえてくれました。
なんと、その警備隊の隊長はレーグオル・カルーフレンと名乗り、それはガーネミナさんの弟君でした。仲間たちが荷馬車の片付けや事情の説明をしている間、わたくしとマーシウさんはカル―フレン隊長とお話しします。
「そうか、姉上はヴィフィメール家でご健勝なのだな」
カル―フレン隊長は当初は厳しい顔つきをしておられましたが、ガーネミナさんの事をお話すると眉間の皺が取れて優しげな表情になりました。この方、整った顔立ちと高い身長がガーネミナさんにどことなく似ています。
そして、わたくしはカル―フレン隊長の乗っていた馬に掛けられた盾に吸い寄せられるように近づきました。そしてそれが希少なものであると気づきます。そうなるとわたくしの悪い癖がまた出てきました――
「これは……この盾の意匠はかなりの年代物ですね? ミリス銀製でしょうか古代文字が……魔術……を退け……よ? でしょうか? もしかして、抗魔術の施された盾ですね?」
盾の意匠に彫り込まれている古代文字で魔道具であることを確信したわたくしは、盾を隅々まで観察しようとした時にカル―フレン隊長と目が合いました。
「これは我が家に伝わる護りの盾というものだ。祖父から譲り受けた」
カル―フレン隊長は返答して下さいました。しかしわたくしは正気に戻り、自らの厚顔無恥さに羞恥心と自己嫌悪が湧き上がります。
「あ……し……失礼しました……わたくし……あの……」
わたくしの一方的に捲し立てる様な早口で喋る蘊蓄に応えて下さったカル―フレン隊長に対してはたと自らを客観視して恥ずかしさのあまり、しどろもどろになってしまいました。そんなわたくしを見て隊長は「ぷっ」と吹き出し笑います。
「ひょっとして、貴女が鑑定令嬢レティ・ロズヘッジ?」
わたくしはカル―フレン隊長が自分の事を知っていたので「へ?」と固まってしまいました。
「失礼、以前届いた姉上からの手紙に貴女の事が書かれていた。ヴィフィメール家の御令嬢と懇意にしている鑑定士だと」
そういう話をしていると、周囲を捜索していた騎兵が戻ってきました。二人ほど野盗を縄で縛って連れています。
「姉上の話を色々と伺いたいところではあるが、この野盗どもを砦に連れ帰り取り調べをしなければならない。旅の途中に何かあれば警備兵に私の名前を出せば対応してくれるだろう。兵たちにも伝えておく、ではさらばだ――」
――カル―フレン隊長率いる警備隊は野盗達を引き連れて去っていきました。
わたくし達は再び荷馬車に乗ってヒドゥアに向かいます。その後の行程は特に問題無く、二日程でヒドゥアの街に着きました。街道ではちらほらと兵士を見かけましたので、恐らくは警備隊が街道の警備を強化したのでしょう。
ヒドゥアの街は山間の街道の分岐点にある盆地が街へと発展して出来た場所のようで、のどかではありますがそれなりに栄えていました。高地なので気温が低く、肌寒く感じます。周囲の山は上の方が白くなっています。
「あれは……雪というものですか?」
わたくしは白い山々を指さします。
「そうだよ、レティは雪を見たこと無いの?」
アンさんはわたくしの指さした山を、額に掌をかざして遠くを見る仕草をしながら言いました。
「雪は初めてですね、帝都では降りませんので……幼い頃絵本などで見た事があってどういうものかと憧れていました」
「まあ帝都周辺とか東部って殆ど雪は降らないからねえ。以前に通り抜けたウォディー高地でも降ることはあっても、積もるのは稀らしいし」
――その後、マーシウさん、ファナさん、シオリさんは保存食や防寒装備の調達を。わたくしとアンさん、ディロンさんは情報収集と役割分担して行動します。
とりあえず、伝書精霊ギルドがありましたのでギルド本部へ現状報告の手紙を送ってから周辺地域の情報を収集しますと、ブロッへにはここから徒歩で二日程で着くそうです。しかし、今後の天候があまり良くないかもしれない、ということです。
「天候が良くない……というのは雨風が強くなるということでしょうか?」
「そりゃ、この辺りなら雪が降るって事でしょ?」
わたくしの疑問にアンさんが答えてくれました。
「雪が降るのですか?! 積もりますか?」
雪が降ると聞いたわたくしは、子供の様に心弾ませています。
「そうか、レティ嬢は雪には馴染みが無いから知らんのだな。雪が積もると身動きは取りにくくなるのだ」
「そうなのですか?」
わたくしはディロンさんの言葉で少し冷静になりました。
「そうだね、まずかなり寒くなる。そして雪が積もると歩きづらいんだよね、凍ると滑るし。溶けたら溶けたで地面が泥濘むからやっぱり歩きづらいよ?」
アンさんは苦笑いしながら説明してくれます。
(遠くの雪山だけを見ていると分かりませんでしたが、雪というのはそういうものなのですね)
「まあ、雪山の絶景もあるんだけど、あれはもうねこの世の物とは思えないくらい凄いから皆にも見せてあげたいけど――」
「……確かに美しいが、命と引き換えというのはな、雪山を登るのは命がけだ」
目を輝かせるアンさんとは対照的にディロンさんは腕組みをして難しい顔をしていました。恐らく絶景を探す為に大変な目に遭ったのでしょうか?
――準備を終えたわたくし達は、天候が悪化するまえにブロッヘに辿り着く為、翌早朝にヒドゥアに向かうという荷馬車に同乗し出発しました。徒歩では二日掛かるところ荷馬車なら一日で着けるそうです。
荷馬車に揺られながら特に何事も無く来たのですが、日が傾き始めた頃に雪が空からチラチラと舞い落ちてきましたので早速防寒着を身につけます。
(毛皮の帽子に襟巻、それに外套ですか、温かくて良いですね……)
「ああっ? ゆ、雪です! 雪が降ってきました!」
わたくしは荷馬車の幌から顔を出して空からふわふわと雪が舞い落ちる様を眺め、掌に乗せて溶ける様子を何度も何度も見つめました。そんなことをしていると急にわたくしの左隣に来たアンさんも幌から顔を出して外を眺めます。
「アンさんも雪を――」
わたくしがアンさんに話しかけようとすると、アンさんは右手をわたくしの口元に当て左手の人差し指を唇に当てて「静かに」という強いジェスチャーをしました。そしてアンさんは両耳に掌を当てて周囲の音を聞いている様子でした。
「……アンさん?」
「何か……獣の……咆哮?」
荷馬車は山道の林道を走っています。日が傾いて来ているので辺りは薄暗くなってきていました。アンさんと一緒に耳を澄ませていると他の仲間達も幌から顔を出して外の様子を窺い始めました。その時、荷馬車を引いていた馬がいななきました。御者は「おいどうした?」と馬をなだめています。
その時、わたくしの耳にも聞こえました。微かに獣が遠吠えをするような咆哮が。御者曰く「恐らく狐狼だ」という事です。狐狼というのはこの辺りの山深い場所に棲むという怪物です。狼の様に群れを成し、狐の様に素早い動きをする四足の肉食獣だそうです。
かなり遠くで鳴いているらしいのでとりあえずわたくし達が襲われる事は無さそうでした。そして、日も暮れて辺りが薄暗くなる頃にわたくし達はブロッへに到着しました。




