第七九話「もう一つの戦い」
【時間は少し戻って、レティたちが転送装置の下に降りた直後――】
私はシオリ・レンシャク。おさんぽ日和では唯一人、専門の治癒魔術師。だから直接戦うことは苦手なので、仲間たちを補助するのが私の役目なんだけど……。
「シオりん、レティは?!」
「ルーテシアという人とその台座の下に降りて行ったわ。転送装置を止めるって言ってたけど……」
魔術師のファナはレティが見当たらないので私に聞いてきたのだろう。今、ファナは精霊術師のディロンと共にキマイラを倒すために攻撃魔法を放つ隙を見計らっているのだ。
(あの子、稲妻や火球みたいな強い魔法を使えるけど、魔力は年相応だから……魔力消耗でまた倒れなければいいけど)
「シオリ、インプがそっちへ!」
アン姐が叫んでいる。さっきキマイラと共に転移してきた一〇匹以上のインプのうちの一匹が私に向かって来るのだ。
「ギャギャギャ」と言葉か鳴き声か分からない様な声を発して長く赤黒い爪をゆらゆらさせて赤い果実の様な目で私を睨みながら尖った耳の辺りまで裂けた口元からギザギザの歯と長い舌を覗かせて、私を警戒するようにゆっくり近付いて来ている。
私は腰に挿したミリス銀製の短剣を抜き、身構えた。これはレティが魔剣を手に入れた為に彼女が私の護身用にと預けてくれたものだ。
(つい一年ちょっと前、出会った時は深窓の御令嬢だったのに逞しくなって……)
などと感傷に耽るのが自分の悪い癖だと自覚しているので、今は目の前のインプに集中しよう。
インプはジリジリと間合いを詰めて来る。私も間合いを詰めさせぬようにゆっくり下がるけれど、ある程度下がった所で背負った鞄が何かに当たった。
(え……壁?!)
私は部屋の隅まで下がりきっていた様だった。そもそも部屋全体を見渡す為に部屋の端の方に居たのだから当然なんだけれど。
それを見て、インプは跳躍して一気に飛び掛かってきた。私はその攻撃を躱すのだけれど接近戦は苦手なのでとにかく全力で躱すことになる。だから、その次の行動は反撃ではなく体勢を立て直す事になる。
インプは私に躱されて壁に激突……はせず、壁を蹴り上手く体勢を捻って着地した。そして「ゲゲゲゲ」という声を上げて私が体勢を立て直すより素早く次の攻撃体勢に入っていた。
(マズい……これは)
しかし、インプは突然「ギャッ」という悲鳴を上げて倒れた。背中には短刀が刺さっている。
「シオリ、止めを!」
どうやらアン姐が投擲用短刀を投げてくれたみたいだった。アン姐の言葉に従い、倒れたインプに素早くミリス銀の短剣を突き立てるとインプは短い悲鳴を上げて動かなくなる。
私は顔を上げて周りを見渡すと、マーシウとアン姐は部屋の壁の周囲でインプを一匹、また一匹と仕留めていた。部屋の中央であの冒険者達がキマイラと戦っている。
キマイラは急に翼を羽ばたかせて宙に浮き、竜の頭の口から炎の息吹を吐き出した。ヤイ・ヲチャという精霊術師は咄嗟に石の壁を斜めに傾けて出現させ、炎を防いでいた。
(やはり、炎の息吹は危険過ぎるわ……私も高位防御魔法を習得しないといけないわね)
そんな事を考えていると、石の壁向こうからキマイラの咆哮が聞こえた。それは威嚇の咆哮というより悲鳴のような声に聞こえる。ヤイ・ヲチャさんが石の壁を解除したので視界が開ける。するとキマイラの皮翼には投擲槍が刺さっていて、ゲイルという戦士がキマイラの竜の首を片手半剣で刺し貫いていた。飛んでいたキマイラを投擲槍で落としたのだろうか?
「え、嘘……炎の息吹をどうやって躱したの?!」
(石の壁の向こう側に居たのなら炎の息吹に巻き込まれているはずだと思ったけど……)
私は思わず言葉に出していた。私が驚いている間にヤイ・ヲチャさんが棍棒を振り被ってキマイラの山羊頭を横殴りにしている。
「ヴェェェェ!」
キマイラは横面を殴られてよろめいていた。
(恐らく身体強化魔法は使っているだろうけど、それでも一撃でキマイラをよろめかせるって……)
「攻撃魔法だ!」
ヤイ・ヲチャさんが叫んだ。さっきと同じ戦法をとれという事だとファナもディロンもよく理解しているから、間髪容れずに稲妻と鬼火をキマイラに浴びせた。
キマイラは体毛が黒焦げて全身から黒い粘液を垂れ流しながらまだ動いてる。山羊頭がまだ魔法を使えるようだ。
「山羊頭……魔法抵抗したのか? ファナ嬢?!」
ディロンはふらついて倒れそうなファナを慌てて抱き止めた。
「ファナ?!」
私はファナの元へ駆けつける。やはり立て続けに攻撃魔法を使い過ぎたせいだろう。
「ごめ……あと……一発……唱えようと……」
「無理しないで、大丈夫だから……」
ディロンから眠ってしまったファナを受け取り、体力回復を促す休息の魔法唱える。魔力消耗による昏倒だから直接の効果は無いけれど、体力だけでも回復するに越したことは無い。
アン姐やマーシウもインプを倒し終えてキマイラへと向かっていく。ゲイルさんは落ちている投擲槍を拾ってキマイラへ投げつけた。弱っているからだろう、投擲槍を避ける事が出来ず一本、また一本とキマイラの獅子の身体に投擲槍は突き刺さる。アン姐も投擲槍が通じているのを見て、キマイラに矢を連続で射かける。
――やがて、キマイラは黒い粘液を吹き出しながら倒れて動かなくなった。そして、ドロドロと溶けるようにどす黒い粘液の塊となって床に広がる……。
「終わったな、お疲れさん」
ゲイルさんは回収した投擲槍を旅人の鞄に入れながらこちらに歩いてくる。彼をよく見ると、服や鎧が焦げているのが分かる。
「癒しをしましょうか?」
「いや、大丈夫だ。他のやつを治療してやってくれ」
私の申し出を笑いながら左手をひらひらさせて辞退した。あれだけ服が焦げているのだから火傷のひとつでもあると思ったけれど見当たらない。
(何か傷が治るアイテムでも持っているのかもしれないわね……)
かなり手練れの冒険者みたいなので、自分で何とかできるのだろうと納得することにした。私とゲイルさんがそんなやりとりをしていると、ヤイ・ヲチャさんがこちらにやってくる。ファナが倒れた理由を聞かれたので正直に答えた。
「ふむ、なるほど。ではこれをやろう」
そういうとヤイ・ヲチャさんはポーチから小さな布袋を取り出してファナの胸元に置いた。そこはかとなくいい匂いが漂ってくる。
「この香袋には安眠と魔力の回復の促進を促す薬草が入っている。魔力を回復させるには、よく眠るのがいいからな」
「ありがとう……ございます」
ヤイ・ヲチャさんは浅黒い肌の筋骨隆々とした大男なので最初は厳しい人という印象だったけれど、とても優しい表情をしていた。
――すると、突然部屋全体にが細かく振動した。
「おいおいまた魔獣でもくるのかよ?」
ゲイルさんは呆れたように言いながら剣を構えて周囲を警戒している……そして周囲が突然暗くなった。みんなも慌てて武器を構えたが、程なく黄色い色の薄暗い照明が灯った。転送装置制御していた台座を見ると、光る文字が浮かんでいた金属板には何も表示されていない。
「ひょっとして、レティがやってくれたのかしら?」
私はふと思ったことが口をついて出た。しかし、恐らくそうだろう――そうであって欲しい。そう思ったその時、台座の下の穴から金属の梯子を登る音が聞こえてきた。
「ルーテシアさん、上も暗いみたいですよ?」
「どうやら全てが停止した様だな」
台座の下に入って行ったレティとルーテシアさんの声が聞こえてきた。どうやら上手くいったようだった。




