第七四話「地下迷宮最深部」
――地下迷宮最下層の更に奥に進んで行くわたくし達の前に、古代魔法文明の残した魔獣――牛頭人身の怪物・ミノタウロスが現れました。稲妻の魔法にも耐えた上に持っていた三日月斧を投げつけてディロンさんとファナさんを負傷させました。
危機的状況を打開すべくわたくしは魔剣・四〇人の盗賊に再び助力を願います。
願いが届いたのか、現れたのはわたくしの身の丈半分はある二本の、いえ一対の巨大な包丁――先端が尖り、鋭利な刃を持つ肉切り包丁と無骨で分厚い長方形の刃を持つ骨切り包丁でした。
『魔剣よ敵を斬り裂け!』
一対の巨大な包丁はミノタウロスに向かって行きますが、連続で斬りかかる包丁を身を翻して躱します。見た目よりも素早い動きで包丁の刃を躱され、かすり傷程度を負わせたのみです。
(この大きな包丁は……懸命に集中しているのですが、気を抜くと暴れ出しそうなほど制御に集中力が要りますね……)
シオリさんがディロンさんとファナさんを治療している方にミノタウロスが走ります。咄嗟の動きにわたくしは対応できずに取り逃してしまいます。
しかし、マーシウさんとアンさんがシオリさん達を庇うように立ちはだかりました。ですが、ミノタウロスはそちらではなく転がってい三日月斧を取りに行きます。
「しまった、そっちか?!」
マーシウさんは面を喰らって叫びました。ミノタウロスは床に転がっている三日月斧を拾い上げ獣のように咆哮します。
『――魔剣よ』
わたくしは首領の短剣をミノタウロスに向けます。鋭利な肉切り包丁は「ヒュン」と切先を前に向けたまま刺すように、無骨な骨切り包丁は「ぶぅん」と縦に回転しながら放物線を描きミノタウロスへと向かっていきました。
(今まで見てきた戦士の皆さんの戦い方を思い出すのです……)
ミノタウロスは、まず真っすぐ飛んできた肉切り包丁を三日月斧で弾きました。直後に時間差で上から骨切り包丁が振り下ろすように飛んでゆき、ミノタウロスの肩口に食い込みました。
「ブォォォォ!!」
ミノタウロスは肩口からどす黒い血の様な体液をまき散らし悲鳴のような声を上げて苦しんでいます。
(ちょっと憐れにも見えますが――)
ミノタウロスは力づくで骨切り包丁を肩から引き抜いて投げ捨て、三日月斧を滅茶苦茶に振りまわします。
(危険ですね、甘い事は言っていられません!)
わたくしは骨切り包丁で切りつける隙を窺いますが、三日月斧を振り回しているのでまた弾かれるかもしれません。マーシウさんとアンさんも危険で手を出せずにいます。動きを止められれば――
『――斬り裂け』
わたくしは投げ捨てられた骨切り包丁に命じてミノタウロスの脚を狙います。骨切り包丁は地面から浮き上がり、横向きに回転しながらミノタウロスの足首に命中しました。刃ではなく背の部分でしたが分厚く大きな鉄の板が当たったようなものです。
ミノタウロスは今までで一番大きな絶叫を上げて三日月斧を取り落として床に倒れ込みました。
『――敵を討て!』
わたくしは宙に舞い待機していた肉切り包丁に命じて、倒れているミノタウロスを上から刺し貫きます。包丁はミノタウロスの腹部に深く刺さり、更に悲痛な雄叫びを上げて藻掻いています。
「であっ!」
マーシウさんとアンさんは倒れているミノタウロスに接近して首筋と眼にそれぞれ剣を突き立てました。一瞬「ビクン」と大きく痙攣し、ミノタウロスは動かなくなりました。
それを確認してわたくしは四〇人の盗賊の召喚を解除しました。二本の大きな包丁は煙の様に掻き消えます。わたくしは疲労と安堵感からか深呼吸してその場に座り込みました。
アンさんはミノタウロスから剣を引き抜くとすぐに周囲の警戒に当たっています。マーシウさんは座り込んでいるわたくしを心配し、しゃがんで「レティ大丈夫か?」と声をかけてくれました。
「はい、わたくしは大丈夫です。それよりもディロンさんとファナさんは……」
二人を治療していたシオリさんの方に目を遣るとシオリさんは安堵の表情で立ち上がりました。そのすぐ横でディロンさんとファナさんも立ち上がります。
「すまん、シオリ殿」
「久しぶりに癒し貰うくらいの怪我しちゃった……ごめんねシオりん」
「私が治療できる程度の負傷で良かったわ……」
(お二人とも無事なようで良かったです……)
わたくしも立ち上がろうとしましたが、思った以上の疲労感にふらついてマーシウさんに手を掴んで支えられました。
「おっと、やっぱりさっきの魔剣は大変そうだな――シオリこっちも頼む」
シオリさんはわたくしに疲労を回復する休息の魔法を唱えてくれました。
「ありがとうございます……」
シオリさんは「どういたしまして」と微笑んでいます。
そうしていると「ヒュ」と短い口笛が聞こえました、アンさんの合図です。アンさんは通路の先で手招きしていました。わたくし達はアンさんの元まで行きます。
「これ見てよ」
アンさんが指さした方を見ると、どす黒い粘液のようなものが点々と転がっていました。
「これは……なんだ?」
マーシウさんが顎を手で触れながら呟きました。
「多分インプの死骸――」
アンさんは作業用のナイフで黒い粘液を突いていました。
「インプやミノタウロスというのは魔獣――古代魔法帝国時代の人間たちが意図的に生み出されたものらしいです。わたくし達が今まで戦ってきた飛竜や大ヤモリの様な怪物とは異なった存在だと、今まで読んだ書物や文献にはそう書かれていました」
わたくしはふと後ろを振り返るとミノタウロスの死体はすでに無く、代わりに三日月斧とどす黒い大量の粘液のようなものが床に広がっていました。それを皆さんに伝えると顔を見合わせて驚いていました。
「アンさんはご存じだったんですか?」
「おさんぽ日和に入るまでも色々回ったからね……」
アンさんはディロンさんに目配せするとディロンさんも「うむ」と頷きました。
(落ち着いたらお二人に昔の話をお聞きしたいですね)
わたくしは魔法探知を唱えます。やはりインプやミノタウロスの死骸からはまだ微量の魔力が検出できます。そして、通路の奥には様々な魔力が充満していて細かい事はもっと近づかないと分かりません。わたくし達は警戒しながら奥へと進んで行きます。
途中にもインプの亡骸と思しき黒い粘液が床に散在していました。
「これ、何匹いるんだよ……上手いこと同士討ちしてくれて助かってるけどさ」
アンさんは苦笑いしながら言います。
(やはり目は笑っていませんけど……)
――その後は天井や壁の上からインプに奇襲を受けることもありましたが、負傷することなく進んで行きました。アンさんが突然、片腕を横に広げ「待て」と、唇に人差し指を宛て「静かに」というジェスチャーをしました。
そして小声で「誰かいる」と囁きます。耳を澄ますと、確かに何ものかが争うような音が迷宮の奥から聞こえてきます。
「魔獣同士の争いか?」
マーシウさんはアンさんに尋ねます。アンさんは聞き耳を立てますが、もう少し近づかないと分からないと応えます。
「地下迷宮のような人工物の中では遠くの音を聴き取る風精の囁きも効果範囲が狭いからな」
ディロンさんもそう言っているのでわたくし達は音のする方へと向かいました。
近づいていくと、それは確かに人の声でした、しかも一人では無さそうです。音は通路の先、行き止まりのような壁にある四~五メートル四方の入口の中から聞こえます。この辺りにもどす黒い粘液が沢山落ちていますので、恐らく中で戦っているらしき人達の仕業でしょう。
わたくし達はそっと入口に近付いて中の様子を窺います。そこは直径五〇メートルはありそうな半球形の空間でした。中も通路の様に地下迷宮の照明の仕掛けで明るいです。その中で何匹ものインプと戦っている人たちがいました。三人でしょうか?
ちなみに、床の中央には直径一〇メートル程の魔法陣のような紋様が描かれ、それが淡く青白い光を放っていました。魔法陣を囲む様に一一本の丸い石柱一つの四角い台座があります。なんだかとても既視感があります。
「これは……まさか、転送装置?!」
――そこにあったものは、かつてわたくしがこの地下迷宮に無作為転移刑で飛ばされてきた部屋にそっくりでした。




