第七二話「迷宮の奥へ」
――この地下迷宮、元の建物自体はさほど複雑な造りでは無いのでしょうが、壁や天井が崩落して通れない所が多々あり、その為に複雑な迷宮と化しているのだと今更ながら思いました。道中、首刈りバッタや大鼠等と遭遇しながらも進みます。
その途中で登り階段を発見しました。これは恐らく入口から昇降装置を使わずに降りてくるルートだろうと皆さん言っています。アンさんがその辺りを調べると、足跡や怪物の死骸の一部など新旧様々な冒険者のものと思われる痕跡がありました。
「凄いな、ここまで昇降装置無しで自力で到達しているのか……」
「まあレティの持ってるその本書いた人も辿り着いてるんだからそりゃそうでしょ?」
マーシウさんとアンさんが床の埃に付いている足跡を見ながらそんな会話をしています。
「ファナたち昇降装置使ってるからずるっこかな?」
「レティが古代魔法帝国語に通じてたお陰だし、そういう知識も実力のうち――そういうことじゃない?」
シオリさんとファナさんの会話にディロンさんは「うむ」と頷いていました。
(自分のことを言われるとむず痒いですね……)
――そうして更に奥へと進んでいくと、段々と湿気を含んだ空気が漂ってきました。床や壁には苔やカビが生えていてヌルヌルしています。
「こりゃあ、何処かで地下水でも染み出しているのかな?」
アンさんが壁や床を触りながら言いました。進むごとに湿気が強くなる一方、生えている苔の中には発光しているものが増えてきて、通路は視界に差し支えない程での明るさになりました。アンさん曰く、辺境の地下迷宮や洞窟では度々生えているそうです。
そのまま進んでいくと、首刈りバッタが多数うろついていました。湿気を好むというのは本当の様です。わたくし達を見つけて襲いかかってきますが、それを排除しながら奥へと進みます。
(わたくしも皆さんも首刈りバッタの対処には慣れてきましたね)
更に進んでいくと、下に降りる階段を見つけました。階段を少し降りた先の通路が水没しています。ファナさんの長杖で深さを確かめると二〇センチ程度の深さのようでした。
ディロンさんは念の為に精霊魔法・水精の加護を唱えました。これは水精に助けを借りて水の中での行動を補助してもらう精霊魔法です。
そうして、わたくし達は窪みなどが無いかを確かめながら慎重に進んで行きました。水没した通路に曲がり角があります。先へ進むと通路が崩れていました。しかし瓦礫が段のように積み重なっていて、登るのはさほど難しく無さそうです。アンさんは先行して瓦礫を登りました。わたくし達も水から上がり、大きな瓦礫の上で乾燥の魔法を使い衣服を乾かしながらアンさんを待ちます。
程なくアンさんが戻りました。アンさんはシオリさんに乾燥の魔法を受けながら報告してくれました。
「この瓦礫の向こうにはまだ通路が奥へと続いてるよ、とりあえず首刈りバッタとかそういうのは見当たらないね」
わたくしはガヒネアさんからお借りした"陽位水晶"を取り出して時間を確認しました。水晶の中の太陽の位置は日の出を過ぎています。わたくしが「今は朝の様です」と皆さんに告げると、マーシウさんが「休息を取ろう」と言いました。瓦礫の山の上が丁度座りやすくなっていたのでわたくし達は交代で食事と休息を取ります。
食事の後、今回わたくしは一番に仮眠を取らせていただくことになりました。毛布に包まって瓦礫にもたれて座りながら目を閉じると、わたくしはストンと意識を失くすように眠りました。
――どれくらい経ったでしょうか、わたくしは目を覚ましました。
(ここは……わたくしは何をしていたのでしょうか?)
かなり眠ってしまったからか、記憶が少し混乱しています。すると隣で「あ、レティ起きたよ」とファナさんの声がしました。その声でわたくしは思い出します。ここは辺境の地下迷宮の真っただ中で、仮眠を取っていたのでした。
「あ、あの……すみません! わたくしどれくらい眠っていました?」
わたくしの周りにはパーティーの皆さんが揃って座っていました。足元に置いてある陽位水晶を手に取ると、太陽の位置はもう正午を大きく過ぎていました。
「ご、ごめんなさい。わたくし仮眠のはずが何時間も寝てしまったようで……」
「起こしたんだけど全然起きなかったからさ、疲れてるのかなって思って目を覚ますの待ってたんだよ?」
ファナさんはこともなげに言いました。
「すみません……」
「レティには結構無理をさせていたみたいね、私たちも反省してるのよ」
シオリさんはそう言うと済まさそうな表情をしています。わたくしはこの地下迷宮でずっと気を張っていて、しかも立て続けに四〇人の盗賊を使っていたので思った以上に消耗していたようです。
「まあ、地下迷宮の中だからどこまで可能かは分からないが、もう少し小まめに休息を取ることにしよう、どれくらい先があるか分からないしな」
マーシウさんもそう言うと右手の親指を立てて微笑みます。
目覚ましにお水を飲み、保存食をかじりながらわたくしが眠っている間のアンさんの偵察で分かった事を教えてくれました。
「休息前にも言ったようにやっぱり首刈りバッタみたいなのは居なかったよ、もちろん大ヤモリとかそういうのもね。ただ……」
アンさんは少し言葉を選んでいるような素振りです。
「アンさん?」
「いやさ、ここまではネズミだの首刈りバッタだのそれなりに居たけど、見かけないんだよ。静か過ぎるんだよね――」
アンさんは通路の先を見つめながらそう言いました。通路は今までより少し幅や高さが広いくなっているようです。それに、照明の仕掛けが点灯しています。区域が変わったということでしょうか?
「ま、警戒して進む事には変わりないな」
マーシウさんは厳しい眼差しで通路の先を睨みました。
先へ進む為にディロンさんが精霊探知を使いますが、人工物である地下迷宮の中では効果が薄いので遠くの様子は分かりません。
「こまめに精霊探知をかけたい所だが、不用意に消耗するのはリスクがある。レティ嬢、風の振鈴での探知を頼む」
「分かりました」
風の振鈴は近づくものに対して所持者にしか聞こえない音で呼び鈴を鳴らす魔道具です。事前に皆さんには振鈴に触れてもらい、対象から除外していますので、振鈴が鳴ればそれは"わたくし達パーティーメンバー以外の存在"ということです。
(ですが建物内では壁を超えての感知はしないので、現状ではアンさんの遊撃兵としての経験と勘という探知技能が最も有効なのですけれど)
それでもアンさんの補助という意味では必要ですので、風の振鈴に意識を向けます。わたくし達は警戒しながら通路を進んで行きました。通路の構造は単純なので迷う事なく進んで行くと風の振鈴が反応します。前方の曲がり角の先です。
「あの――」
わたくしが皆さんに伝えようとした時、アンさんが人差し指を口に当てる「静かに」と片腕を横に広げる「止まれ」のジェスチャーをしました。わたくしは姿勢を低くしながらそっとアンさんに近寄ります。
「……レティの魔道具の鈴も鳴った?」
「……はい、この先みたいです」
わたくし達は小声で話します。アンさんが姿勢を低くしながらそっと角から覗いてからこちらを振り返ります。アンさんはわたくしとマーシウさんを手招きして覗くように促されたのでそっと覗きます。
「ありゃ蝙蝠? いや……人型か?」
マーシウさんは目を細めて見つめます。通路の向こうにいるもの……小さな子供くらいの人影が数体居ます。背中に皮の翼をもつ小人です。
「あれは……インプでしょうか?」
――インプは小さな子供程度の大きさで背中に蝙蝠の様な翼を持ち、大きな赤い目、髪が無く小さな角の生えた頭部に尖った耳、頬まで裂けた口には細かい牙があり、紫色の身体は弾力のある硬い皮膚に覆われ、両手足の指には鋭い鉤爪があるという魔物です。魔術師などが召喚する使い魔とも古代魔法帝国の生み出した魔法生物とも言われます。
(一体ずつなら対処は難しく無いですが数が増えると厄介ですね……)




