第六七話「砂嵐」
――さて、わたくし達は辺境へ向けての旅を続けます。荷馬車を乗り継ぎ二〇日ほど掛かりましたが、帝国最北の街ファッゾ=ファグへと辿り着きました。ここでは携帯食、保存食、消耗品など辺境の荒野を幾日も行動するための準備をします。
以前、初めてこの街を訪れた時は荒々しく怖い所に感じていましたが、改めて訪れるとその時に感じた怖さはありませんでした。わたくし自身が冒険者として生きているうちにこういった雰囲気に馴れたということでしょうね。
そういえば前は皆さんとはぐれて、迷子になっている時にお腹が空いて、屋台の串肉を勧められるがままに食べてしまい危うく無銭飲食になりかけた事がありました……。
今はもうちゃんと自分でお金を払って食べることができます。今思えばそんな当たり前の事も出来なかった自分は本当に世間知らずだったのだと改めて思いました。
準備と並行して行われたアンさんの情報収集によると、以前のルートはこの季節は砂嵐が酷くて通れないとのことで、大きく迂回していくことになります。辺境では何があるかわからないので、もしもはぐれた時は地下迷宮近くの集落で落ち合うことを取り決めておきました。
――準備万端でわたくし達がファッゾ=ファグを出発して一〇日程経ちました。幾つかの集落を経由して順調に進んでいましたが、徐々に天候が荒れ始めました。次の集落までもう少しなので無理を押して歩いていたわたくし達は酷い砂嵐に巻き込まれます。一メートル先も見辛いほどでしたが、なんとか前を歩いている仲間を見ながら歩いていました。
口を開くと砂まみれになってしまうので身振り手振りで意思疎通をしていました。わたくしは砂嵐は初めてだったので歩みが遅く、皆さんもわたくしに合わせてくれているのが分かりました。わたくしも焦ってしまい、何度となく脚を取られて転びます。
ディロンさんの精霊魔法"風精の加護"の効果で砂嵐を軽減しているので何とか目は開けていられますがそれでも息苦しさを感じました。
突然砂嵐が瞬間的に激しさを増し、視界がほぼ無いような状態になりました。突風でわたくしは前に進めず砂に脚を取られてごく短い時間ですが立往生しました。わたくしは皆さんに置いて行かれないようになんとか砂の深みから脱出しましたのですが……皆さんの姿が見当たりません。
「アンさん? マーシウさん? 皆さん何処で……」
私は叫ぼうとしましたが激しい砂嵐が横殴りで吹き付けますので咳き込んでしまい大きな声が出ません。それに激しい風の音で周囲の音も殆ど聞こえず、辺りを見回しながら歩いていると足元への注意がおろそかになり、わたくしは砂の坂をすべる様に落ちました。そして岩にぶつかり気を失ってしまいました。
――わたくしは長い間眠るというか気を失っていたようです。気が付くとなにやら敷物の上に寝ていました。上半身を起こしますが頭がくらくらして平衡感覚がおかしい気がします。身体中が倦怠感に覆われてまるで水の中の様に重く感じました。
わたくしの居るこの場所はどうやら木造の小屋のような所です。不揃いな丸太や板で組まれているので所々隙間があり、外の光が射しこんでいました。
「ここは……一体?」
すると、壁にかかっていた布がまくり上がって小さな人影が見えました、それは子供です。浅黒い肌に赤銅色の髪を複雑な編み方で纏めていて、独特な柄の布の服を着ている子供でした。その子はわたくしと目が合うと一目散に出て行きました。外でその子は何かを叫びましたが何を言っているかは分かりません。
(辺境の言葉……でしたか? 以前も聞いた事があります)
暫くすると、その子が老女を連れて戻りました。その方は器に入った水を差しだしました。
「お水……下さるのですか?」
わたくしは器で水を飲むジェスチャーをしました。すると老女はこくりと頷きます。わたくしは遠慮なくお水を頂きました。
「有難うございます、生き返ったようです……」
通じないまでもわたくしは感謝の意を示すために器を置いてお辞儀をしました。老女は頷いて何かを言い、部屋の隅を指さしました。そこにはわたくしの鞄や"四〇人の盗賊"の首領の剣が置かれていました。調べてみたところ失くしたものは無いようでした。わたくしは改めてお礼をいいます。何かを喋って老女は部屋を出ていかれました。
(どうやらこの人達に助けて頂いた様です……ということはやはり、皆さんとはぐれてしまったのですね)
わたくしは立ちあがります。少しふらつきましたが歩いて出入口であろう布をめくって外を見ました。外にはこの小屋と同じような丸太と木の板で作られた小さな小屋が何軒かある集落でした。時間は夕暮れ時のようで夕日が目に沁みました。
小屋の外では何人かの村人と思われる人たちが歩いていて先ほどの子供と似たような年齢の子供が数人同じ方向へ走って行きました。言葉は分からないですが、はしゃいでいるのは分かりました。
子供たちの様子を見ていると、誰かが帰って来たのを迎えに出ているように見えました。わたくしは気になったので子供たちに付いて行きました。すると、集落の入り口で大柄な戦士風の男性が子供を持ち上げて回したりしていました。
その男性はわたくしに気付くと子供を下ろしてこちらに近づいてきました。
「もう、身体、大丈夫か?」
男性は少し訛のある帝国公用語で話しかけてきました。
「あ、はい……助けて頂いてありがとうございました」
男性は頷きます。彫りが深く浅黒い肌、赤銅色の長い髪、辺境民族の特徴を持った方です。
「村、近く、倒れていた。冒険者だな? 帝国から来たか?」
「はい、砂嵐を避けて旅をしていたのですがそれでも巻き込まれてしまって……仲間とはぐれてしまいました。あ、わたくしはレティと申します。レティ・ロズヘッジです」
「ダルァグだ」
ダルァグさんは右手を差し出します。一瞬考えましたが握手だと気づき手を握り返しました。
「辺境の蛮人が握手、珍しいか?」
わたくしは自分の無意識の態度が見透かされた様に思えてとても恥ずかしくなりました。
「す、すみません! 辺境の方の挨拶が帝国と同じという認識が欠けていました……失礼致しました」
わたくしは頭を下げて平謝りします。
「冗談だ、気にするな。握手、外から来た者と交流で覚えただけだ」
「交流ですか?」
「お前たち冒険者、商人、そういう者たちとやりとりする為だ。敵意無いを示す、握手分かりやすい」
「そうでしたか。あ、そうです……わたくし仲間とはぐれた時に決めていた合流地点がありまして、ここなんですが……」
わたくしはファッゾ=ファグから地下迷宮への大まかな地図を懐から取り出してダルァグさんに見て貰いました。
「ふむ……ああ、ここか。大体いつもなら五日で行ける、だが今年、砂嵐とても酷い。もう少し村で待て」
ダルァグさんが指を差した方向を見ると、遠くに暗く赤茶けた雲のようなものが広範囲に渦巻いています。あれが砂嵐でしょうか。
(これは……無理して出発してもまた遭難するのが目に見えてますよね……ですけど)
「あの、この村に宿屋などは……」
「無い。お前が寝ていた、長老の家で寝るといい。長老と孫娘二人暮らしの女所帯だ、俺、話しておく」
わたくしにお水をくださった老女でしょうか、あの方がこの村の長老だったのですね。
「お世話になっても……宜しいのでしょうか?」
「お前たちが辺境と呼ぶここ、生きて行くのは厳しい。誰もが何処で倒れ死ぬ、分からない。だから倒れている者、助ける。いつか自分、倒れた時、助けて貰うため。ここでは一人で生きる、とても厳しい」
ダルァグさんは当たり前のようにそう語りました。
(自然環境、魔獣、古代の遺物……ここでは人間の生き死になど風前の灯のようなものですから、互助の考えが自然と根付いているということでしょうね)
「ダルァグさん、お世話になるついでにお願いがあります。わたくし皆さんの言葉を学びたいのです。そうすればわたくしも巡りめぐって何かが出来るかもしれませんので……」
ダルァグさんは少し考える仕草をしました。
「わかった。では、お前も俺に帝国の言葉、もっと教える、それでお互い様」
「なるほど、それは素晴らしいですね。わかりました」
――こうしてわたくしは天候が落ち着くまでの間、村に滞在させていただくことになりました。




