第六六話「母とレティ」
――わたくしはナーラネイア姉様とご一緒して、お母様に会うために馬車に同乗しました。そして近くにあるというお母様のご実家が所有する別荘に辿り着きました。
わたくしは旅装束のままでしたがそのままで構わないという事で、到着早々に姉様に連れられてお母様にお会いすることになりました。姉様は娘――わたくしの姪であるレティニアを抱いています。レティニアは姉様の腕の中ですやすやと眠っています。本当によく眠る子です。
「お母様には怪物に襲われた事は伏せておいてね、余計な心配をお掛けしてしまうから」
母の居室の扉の前で姉様はそう仰いました。確かにその方が良いでしょう。
そして、お母様の執事が扉をノックして開けてくれました。部屋にはベッドとテーブルの置かれた寝室でした。カーテンが閉められているのでまだ外は明るいのですが室内は少し暗いです。
まずは姉様が部屋に入って行かれました。
「お母様、到着が遅くなりました。途中で馬車が故障しまして、お母様の館の馬車をお借りしていました」
「遅いので心配していたの……無事で良かったわ……ああ、レティニアも来てくれたのね……」
姉様はレティニアをお母様に渡します。レティニアを抱いたお母様は優しい眼差しで腕の中の小さな孫を見つめていました。
「ナーラネイアだけじゃなくて、貴女たち姉妹の幼い頃を思い出すわ……そっくりね。ナーラネイアは活発だったけれど、この子はおとなしいわ……ネレスティを思い出すわね……」
お母様は寂しげな表情を浮かべていました。
「お母様……」
わたくしは声を掛けながら部屋に入ります。お母様は大変に驚き、動きが止まりました。
「ご無沙汰しております、ネレスティです……」
姉様はお母様からレティニアを受け取りました。わたくしがゆっくり近づくとお母様も立ち上がって近づいて来られました。そしてわたくしが、どうしたらいいか分からず棒のように立っているとそのままわたくしを抱き締めました。
「分かりますとも、ネレスティ……」
お母様の言葉にわたくしも感極まって涙を流して抱き締めます。
「お母……様……ごめん……なさい……」
涙で声が詰まります。お母様はわたくしの背中を擦って下さいました。
「いいのですよ、よく生きていて……くれて……」
わたくしはお母様としばらく涙を流しながら抱き合っていました。
――気持ちが落ち着いた所でお母様にもわたくしの今とその経緯をお話しました。
「ネレスティ、では貴女はもうラルケイギア家には戻らない、ということですね?」
「はい、貴族院の方々にもネレスティ・ラルケイギアは死亡扱いとして頂きましたので……」
「……分かりました。ネレスティ、自分の思うように元気で生きていてくれれば、母親としてはそれ以上は望みません。ラルケイギア家は貴女の弟、長男ノアケインを立派な跡継ぎとして育てますから」
お母様は先程までの気弱な表情とは打って変わって、背筋が伸びて凛々しいお顔になりました。
「お母様……」
姉様もお母様の変わり様に驚いています。
「ラルケイギア子爵家を守って行かねばなりませんから、いつまでも臥せってはいられません。ノアケインには随分寂しい思いをさせましたからね、早く帰らないと……」
「お母様、大丈夫なのですか?」
姉様は心配そうな表情です。
「あの方……貴女達のお父様、ラルケイギア子爵を支えなくてはなりませんからね。ネレスティ、お父様を恨まないであげて欲しいの……あの方は気弱で、本当なら子爵家もお義兄様方が継がれるはずだったのに、流行り病で次々に亡くなられて、四人兄弟の末弟でしたのに継ぐ事になって……その重責にずっと押し潰されそうになりながら何とか過ごして来られたの」
(お父様……知りませんでした、そんな過去があったのですね)
わたくしは心のどこかで自分を守ってくれなかったお父様を責めて、でもそれは仕方のない事でそうなったのだと気持ちを納得させる為に期待をしない、関心を持たない事で受け流していたのかと気づきました。
(人には個人でどうしようもない"立場"というものがありますものね……)
「いつでも、何年も先でもいいから、また顔を見せて頂戴……貴女が名を変え、家を出て、貴族で無くなったとしても貴女の母であることは変わらないのですから」
お母様はそう言って微笑みました。わたくしはその笑みを見てごく自然に「はい」と答えていました。
――母との再会を終えたわたくしは近隣の町まで馬車で送って頂きました。街道沿いの宿場町です。すっかり日は暮れていましたので酒場からは賑やかな声が外にも聞こえて来ます。
町の規模は小さいのですが利用する隊商などが多いようで酒場の数が沢山あって、何軒か回ってやっと仲間たちを見つける事が出来ました。
「レティお母さんに会えた?」
「結構早かったじゃん? 泊ってくるかと思ってたよ」
などと皆さん興味津々な感じで色々聞いてきますので大体のあらましをお話ししました。するとシオリさんとファナさんは涙ぐんで「うんうん……」と相槌を打っていました。
「レティは色んなわだかまりがスッキリして良かったねえ、こりゃめでたい! ささ呑んで呑んで!」
アンさんは満面の笑みでわたくしにお酒を注いだジョッキを渡します。
「ちょ――アン姐ダメよ!」
シオリさんがアンさんから渡されたジョッキを奪います。
「レティはこっち、果実水ね!」
ファナさんがわたくしにジョッキを渡してくれました。
「ありがとう、頂きます――」
喉も乾いていたのでわたくしは一口で半分くらい飲んだでしょうか、するととてもいい気分になってきました。何かとても喋りたい気分です。
「わたくしは辺境の地下迷宮に無作為転送刑で飛ばされて冒険者の皆さんと偶然であって助けられました!」
「いや、それあたしらでしょうが……知ってるし」
アンさんは苦笑して呆れたように言いました。
「ファナ、レティに何飲ませたの!?」
「えー、ファナが飲んでる果実水を渡した……げ、アン姐が注いだジョッキの方渡しちゃった」
シオリさんとファナさんがそんな会話をしています。
「シオリ、浄化の準備しときなよ?」
マーシウさんが苦笑いしながら言っています。シオリさんは「レティ、お水飲みましょう?」と水袋を差しだしています。わたくしはシオリさんのお気遣いが嬉しくて思わず抱きつきます。
「シオリさん! ありがとうござ――うぉぉぉえぇぇ……」
――その後、シオリさんの悲鳴と浄化の呪文を叫ぶ声を最後に記憶を失くし、次に目覚めた時は翌朝、宿のベッドの上でした。




