第六五話「長姉との再会」
「ネレスティ? もしかして、ネレスティではありませんか?」
婦人が赤子を侍女に託して近づいて来ます。侍女も赤子を抱きながら慌てて付いてきました。
「ナーラネイア……姉様?!」
わたくしはあまりに予想外の出来事に固まってしまいます。その婦人はわたくしの姉、ナーラネイア・ラルケイギア……いえ、嫁いだので姓は変わっていますが、わたくしの三人の姉の長女、ナーラネイア姉様でした。
「ネレスティ……よく無事で……」
ナーラネイア姉様はわたくしの手を取って握ります。姉様は一〇年程前、丁度今のわたくしの歳くらいですから一八の頃でしょうか、さる若き辺境伯に見初められて嫁いで行かれました。
「まさか姉様だったとは……お救い出来て良かったですが、何故このような場所に?」
「お忍びで、お母様のお見舞い行く途中でしたが、こんな恐ろしい目に……貴女こそ、生きていて家を出たとはお父様から聞いていましたが、何故ここに?」
わたくしはどう答えたものか思案しますが、あまりに突然の再会でしたので混乱しました。
「ええっと、あの……今は色々あって冒険者をしていまして……」
「レティ」
その時マーシウさんがわたくしを呼びながら近づいてきました。そしてナーラネイア姉様に対して騎士礼します。
「家臣の方に聞きました、ジャシュメル辺境伯夫人で在らせられますね。私はマーシウ・マシュリィと申します。我々はイェンキャストの冒険者ギルド"おさんぽ日和"所属の冒険者パーティーです」
「そうでしたか、助かりました。家臣の治療までしてくれたこと、礼を申します」
姉様は両掌を組み頭を下げる淑女礼をしました。マーシウさんは頭を垂れたまま「冒険者として当然の行動です」と返しました。
「時に、今彼女のことをレティと呼びましたね? 彼女は本当に冒険者なのですか?」
ナーラネイア姉様はマーシウさんに真剣な表情で尋ねます。マーシウさんは意図を読めずに「は? はい、レティ・ロズヘッジは私どもの仲間ですが……」と困惑気味に返事をしました。
「……レティ・ロズヘッジ?」
姉様は戸惑う表情でわたくしの名前を反芻しています。
「わたくしは家を出ましたので、現在そう名乗っております、ナーラネイア姉様」
「姉さ……ま?!」
マーシウさんは驚いてわたくしと姉様の顔を交互に見ます。そしてわたくしと姉様がそんなマーシウさんを見返していると「失礼しました」と頭を下げました。
――そんなやりとりをしていると女性騎士がわたくしたちのもとへやってきました。
「ナーラネイア様、代わりの馬車が到着しました」
「良かった……ありがとう。ネレスティ、実は私はお母様にお会いする予定だったのです。孫である我が娘レティニアに会うのを楽しみにされていますので……」
「娘……ですか?」
わたくしがキョトンとしていると姉様は侍女から赤子を受け取りました。
「レティニア、貴女の叔母様よ……」
まだ乳飲み子の姪と突然対面してわたくしは固まっていました。するとマーシウさんが「コホン」と咳払いします。
「――レティさん、私たちは近隣の町で待っているのでお母様とお会いしては如何ですか?」
「え……マーシウさん、宜しいのでしょうか?」
マーシウさんの思いがけない申し出に戸惑いを隠せません。
「今回の旅はわたくしが言い出した事ですのに、皆さんに更にご迷惑をお掛けするのは……」
「だから、ですよ。貴女が主となっている旅だからこそです。貴女が必要な事であれば我々はそれに従うだけです」
マーシウさんは丁寧な口調で恭しく頭を下げました。そして頭を上げるときに一瞬ニコりと笑みをこちらに向けました。
(これは、ご厚意ということでしょうね……)
わたくしはナーラネイア姉様と一緒に新たに手配された馬車に乗り、お母様の居られる館へ向かいました。
道すがら、姉様に今に至る経緯をお話しました。わたくしに着せられた冤罪のこと、無作為転送刑で辺境の地下迷宮に飛ばされたこと、そこで今の仲間たちと偶然出会って命を救われたこと等などをお話しました。流石にギルドマスターのご身分に関しては伏せておきましたが……。
姉様は時に驚き、時に涙ぐみ聞いておられました。一通り話し終えると、姉様もわたくしの知らなかった話をしてくださいました。
――わたくしの実家……ラルケイギア家は廃絶という話も出ていた事、わたくしに着せられた罪と処刑されたことでお母様は心を病まれてしまった事、ラルケイギア家存続とその処遇は姉様たちが嫁ぎ先のご主人や家長の方々にお願いして働きかけて貰った事、等など……。
それらは確かに家門の存続が掛かっている事でしたが、少なくとも姉様達はわたくしの罪は間違いであると信じてくれていた事に驚きました。
「貴女が産まれたときから一〇年程同じ家で過ごしましたもの。そんな大それた事が出来るような子では無い事は他の妹たちもよく分かっていましたわ」
ナーラネイア姉様は当たり前の様に仰いました。
(わたくしは……家族の中で浮いている、変わり者で腫れ物扱いされていると思っていたのはわたくし自身だったのですね……)
仲間たちとの事でもそうです。わたくしは自分で考えを巡らせて、自分で結論を出して納得していました。そのせいで見えるものも見えなくしていたのでしょう。
ガヒネアさんの仰った「視野を広く持て」という言葉はこういうことでもあったのかと今更ながら思いました。そして名を捨てて家を出たことを少し後悔してしまいました。
わたくしが言葉も無く俯いていると――
「貴女は今、レティと名乗っているのよね? 懐かしいわ……私たち姉弟、長い名前を呼ぶのが面倒で勝手に愛称をつけて呼び合っていたわね。私がナーラで貴女がレティ……」
姉様は嬉しそうに言葉を続けます。
「はしたないとお母様によく叱られましたね。社交界に出る様になってからは流石に止めていましたけど……貴女はその名前を使ってくれているのは嬉しいわ」
("ネレスティ"を"レティ"と呼んだのはナーラ姉様です。ナーラ姉様が姉弟みんなの愛称を決めてくれていました)
「冒険者の皆と出会った時に咄嗟に出たのがレティでした。わたくし、レティと呼ばれるのが好きでしたので……」
するとナーラ姉様は突然涙を流しました。
「実はこの前ね、実家に寄ったの。今お父様と末弟のノアケインの二人になってしまっているから心配で。その時にノアから、以前一度レティが実家に帰った時の事を聞いたのよ」
(昨年、プリューベネト侯爵の査問会で帝都に戻って実家に立ち寄った時の事ですね……)
「ノアがね、レティはもう家に戻ることは無いと言ってたって……あんなことがありましたし、お父様のレティに対する態度も酷いと思っていたので当然だとは思いましたが、やはりそう言っていたと耳にするのは辛かったの……」
わたくしの言葉で姉様や弟をこんなに傷つけているのは、わたくしはそこまで想像が及びませんでした。わたくしが沈黙していると、姉様の腕の中の幼子がむずがって少し声を上げました。
「姉様、その子のレティニアという名前は……」
姉様はレティニアをあやしながらわたくしを見て微笑みました。
「貴女があんな事になった時に丁度この子が産まれたの。だから貴女の生まれ変わりに思えて……」
(すみません、わたくし生まれ変わらず生きていましたけれど……)
姉様があやしているとレティニアは再び眠りにつきました。
「この子は本当によく眠るわ。レティの小さい頃によく似ている……」
我が子を慈しむ姉様の表情はお母様に似てきているなと、直感的に思いました。
――こうして話をしているうちに馬車がお母様が療養している館へ到着したときには日が少し傾いていました。




