第六二話「幻の秘薬」
皆さんと共にイェンキャストに戻ったわたくしは、ガヒネアさんに書物大祭の報告を済ませます。ガヒネアさんのお知り合いだと言われたバフェッジさんのお名前を出すと「まだ生きていたのかい」とため息混じりに漏らされましたが表情は微笑んでいました。
――そして、また日常に戻ります。
わたくしは昼間は薔薇の垣根の店員として、夕方からはギルド酒場のお手伝いをしていました。マーシウさんやアンさんたちも「ヒマだしな」と言いながら一緒に冒険者ギルドおさんぽ日和本部の酒場である小さな友を切り盛りしてくださいました。
夜は書物大祭で手に入れた"古代魔法帝国語辞典"の携帯版の製作や"辺境探訪諸記"を読んだりしていましたが、なかなか読み進まなかった所、ファナさんが読ませて欲しいと言っていたのを思い出して、わたくしの部屋にお招きしました。
「レティの部屋、かなり物が増えたねえ」
「つい、以前の自室の感覚で物を蒐集してしまいがちで……」
わたくしの部屋はギルドメンバー用の一室で、基本的に皆さんと同じ間取りの約二メートル×三メートル程度の狭い部屋です。そこにベッドと書斎机に本棚と蒐集品を置いていますので大変窮屈なのです。
(わたくし個人としては特に狭くても気にならないのですが……)
わたくしは書斎机で"古代魔法帝国語辞典"を書写し、ベッドの上でファナさんが"辺境探訪諸記"を眺めていました。どれくらい時間が経ったでしょうか、突然ファナさんが「あーっ!」と声を上げました。
「ど、どうしました?!」
わたくしは慌ててファナさんに声を掛けます。
「レティこれ!」
ファナさんはベッドから飛び降りてわたくしに"辺境探訪諸記"の開いていたページを見せます。
「これ、あそこじゃない?! ほら!」
ファナさんは興奮気味に開いたページに描かれた挿絵を指さします。
「あそこ、といいますと?」
「ほら、ファナたちとレティが出会った地下迷宮に似てない?」
その絵は、荒野の巨大な裂け目の谷の上に遺跡が建っているというものでした。
「確かに言われるとそんな気もしますね」
するとドアをノックする音がしました。
「ふぁあ……何騒いでんの?」
アンさんが欠伸をしながらドアを開けました。
「アンさん……すみませんお休みのところ、五月蝿かったですか?」
(部屋がお隣なので聞こえてしまったみたいですね……)
「まあ、ファナはともかくレティのことだからただ騒いでたんじゃないと思うけど、何かあった?」
「ファナはともかくってなにさ?」
ファナさんはアンさんの言葉に口を尖らせます。
「これこれ。この本の絵さ、レティと出会った地下迷宮じゃない?」
「うーん、言われてみりゃそうかもしれないけど……まあもう夜遅いから静かにね」
アンさんは眠そうに自室へ戻られました。ファナさんも後日、本を詳しく読んでみるということでその日は部屋に戻りました。わたくしは「少しだけ」と思って読め始めたのですが……なかなか切り上げられず、夜明け前まで読み込んでしまいました。
「ふぁ……流石にもう寝なければ……」
本を閉じようとしたときに「万病の霊薬イリクシア」という記述が目に止まりました。わたくしはハッとして本を再び開きます。
(イリクシア……伝説の霊薬です。万病に効き長寿をもたらすという。もし本当に存在するなら……)
わたくしの親友、セシィ……セソルシアさんの病気にも効果があるかもしれません。わたくしはそれが書かれた記述を食い入る様に読み耽りました。
どれくらい経ったでしょうか? ドアをノックする音とわたくしを呼ぶ声が聞こえます。わたくしは机で本を読みながら寝てしまったようでした。
「レティ、大丈夫? 具合悪いの?」
ノックの音で目を醒まし、上半身を起こすとドアが開いてシオリさんが入って来ました。
「ああ、シオリさん。ちょっと本を読んでいたら寝てしまったみたいです」
シオリさんは短くため息を付きました。
「ファナから昨日遅くまで本を読んでたって聞いたからそっとしておいたけど、流石に昼前だから様子を見に来たわ」
わたくし、たまにこうして夜中まで本を読んでしまって寝過ごす事があるのですが、流石に昼前は寝坊しすぎました。
「朝食まだ置いてあるから、食べてね?」
シオリさんはそういうと去って行きました。わたくしは顔を洗い着替えてから階段を降りて、お客さんの居ない一階の酒場で遅い朝食を摂りながら霊薬イリクシアの事を考えます。
「はい、濃い目のココアよ」
ギルド事務兼マスター護衛のメイダさんがカップにココアを淹れてくれました。
「すみません……ありがとうございます」
(ああ……メイダさんのココアはいつも美味しいですね)
「何か悩み事があるなら、聞いてくれる仲間がいるんだし話してみたら?」
メイダさんの視線の先では、マーシウさんたちがこちらをチラチラ見ながらソワソワしていました。
(そうでした……書物大祭の時に独りで抱え込むなと叱られましたよね)
「あの……ちょっと皆さんに相談が……」
わたくしが立ち上がってマーシウさん達に話しかけると、皆さん表情が「ぱあっ」と明るくなり、わたくしの座っているテーブルに押しかけて囲むように座りました。
「あ、あの……」
「もう、しょうがないなあレティは、相談があるみたいだし聞いてあげるよ?」
アンさんはお芝居がかった口調でそう言いました。わたくしはファナさんに部屋から"辺境探訪諸記"を取ってきて頂くようにお願いしました。
そして、それにはわたくし達が出会った地下迷宮らしきものが載っていること、そしてそこには万病に効くと言われる霊薬・イリクシアがあるかもしれないと書かれている事をお話しました。
「うーん、辺境か……レティも知っての通り俺たちも何度か探索しているんだが、おさんぽ日和ではハイトやウゥマが一番詳しいな」
マーシウさんは腕組みして考えながら答えました。
「ハイト殿とウゥマ殿のパーティは長期の探索らしい。いつ戻るかは分からんそうだ」
ディロンさんは少し離れたカウンター席に座りながらそう言いました。
「そうですか、辺境の事をお聞きしたかったのですけれど……」
「辺境に行くなら付き合うよ?」
アンさんが市場に買い物に行くくらいの口調で言いました。
「え……辺境――ですよ? ものすごく危険な場所ですよね?」
「でも、レティは出会った時に辺境から帝国まで帰って来れたじゃん? 行けるっしょ?」
ファナさんもあっけらかんとして言います。
「で、でも……それは皆さんが居てくれたからです……」
「だから、今回も一緒に行こうってね!」
アンさんは立ち上がって手でわたくしの肩にポンと触れます。
「その霊薬は親友のセソルシアさんの為でしょ? なら、レティは護衛騎士のガーネミナさんから正式に依頼として受けてるんじゃない? 冒険者ギルドとしては依頼の遂行は最重要案件よ?」
シオリさんは微笑みながらそう言います。
「そうじゃな、貴族からの依頼ともなれば無碍には出来ないからのう、ギルドマスターとしてもその霊薬とやらの調査を頼もうかな?」
突然背後から声がしたので振り向くと、ギルドマスターのドヴァンさんが階段を降りながらそう仰られていました。
「ま、マスター……ありがとうございます!」
「なに、礼には及ばんよ。友の病のために秘薬を探し求めて辺境の地に冒険へと旅立つ若者を手助けする……儂が冒険者ギルドの運営をしている醍醐味じゃよ」
マスターは「はっはっはっ」と高らかに笑いました。
「……分かりました。皆さん、宜しくお願いします」
わたくしはマーシウさん達一人ひとりの目を見つめてから頭を下げてお願いしました。皆さん快く同意して下さいます。
「じゃあ早速準備に取り掛かろう」
マーシウさんがそう言うと皆さんそれぞれに動き始めました。
「でも、皆さんが本部に居て良かったです。わたくし一人では……」
わたくしの呟きが聞こえたのか、ずっと無言で様子を見ていたメイダさんが「クスクス」と笑いました。
「彼らはレティが冒険に出るのを待ってたんじゃない?」
わたくしはその言葉に少し驚きました。
「以前、手紙を届けるだけの依頼が刃爪蜘蛛退治になった件があったでしょ? たまたまサンジュウローたちに出会ったから良かったけど……」
「はい、でなければどうなっていたか分かりません……」
改めてその事を思い出すとぞっとします。
「マーシウ達、あの件以来あなたを置いて冒険に出ることを避けているわ。以前なら積極的に依頼を探してたのに。彼らのパーティにはもう貴女が欠かせないんじゃないかしら?」
「わたくしが……ですか?」
(皆さんわたくしに「遠慮なく頼って欲しい」と言っていました……それは)
「マーシウのパーティは客観的に見てバランスが取れた構成だわ。お互い気心が知れていて仲も良いしね」
(防御役のマーシウさん。偵察と射撃、接近戦も出来るアンさん。治療と支援魔法の専門家シオリさん。攻防兼ね備えた精霊術師のディロンさん。そして強力な攻撃魔法を扱える魔術師のファナさん……確かに)
「そんな彼らが冒険には貴女が必要だと思っているのは何故だと思う?」
突然のメイダさんからの問いにわたくしはぐるぐると考えてしまいました。
(鑑定士として……古代魔法帝国の知識が……)
「はっはっは。メイダ、あまり虐めてやらんでくれ」
わたくし達の会話を聞いていたマスターが間に入ります。
「あら、私虐めてなどおりませんわ。楽しんではいますけれど」
メイダさんは微笑みながら肩をすくめました。
「レティ、貴女が彼らに感じている感情を彼らも感じているということだと思うよ儂はな。彼らと一緒にいて率直にどうかね?」
(率直に……ですか?)
「えっと、楽……しいです」
わたくしがたどたどしく答えるとマスターは満面の笑みを浮かべて頷きました。
「……そういうことじゃよ」
そしてマスターは「はっはっは」と高らかに笑いながら最上階の自室へ戻って行かれました。
(皆さんも……わたくしと一緒にいて楽しい……仲間……友達……)
今までの皆さんからのわたくしへの言葉や態度とわたくし自身の気持ちがやっと繋がりました。今までは恐らく心のどこかで疎外感や遠慮や自己肯定感の無さでそれを気付かないようにしていたのかもしれません。
「わたくしはおさんぽ日和のレティ・ロズヘッジ……ですね」
噛みしめる様に呟き、わたくしも準備の為にガヒネアさんへ報告に向かいました――




