第六一話「祭りのあと」
――わたくし達は書物大祭二日目以降が開催できるようにする準備、という依頼を受ける事になりました。
時間は日没近く。わたくし達は魔獣図鑑騒ぎで荒された会場の片付けと明日の会場設営をしています。わたくしたち以外にもたくさんの人たちが同様の作業をしています。
「皆さん良かったのですか?」
「ああ、依頼だしな。こういう仕事もままあるよ」
わたくしの問いにマーシウさんは天幕を組みながらあっさりと答えます。
「そうそう。地下迷宮で命張るのも嫌いじゃないけど、こういうのもいいよね」
マーシウさんと一緒に天幕を組んでいるアンさんも心なしか楽しそうです。
「こういうのもお祭りっぽくて楽しいね」
ファナさんはわたくしと一緒に地面に落ちた天幕の部品などを拾い集めていました。
(確かに、こういう何かの準備というのは心躍るものがありますね……)
日が落ちると辺りには篝火が焚かれて夜を徹して作業する様相を呈してきました。作業をしていると周囲には良い匂が漂い、炊き出しをしていると触れ回っている方が居られました。流石に空腹でお腹が抗議の声を上げていますので作業を中断して炊き出しを頂きに参ります。
「結構人が多いよねえ」
炊き出しには行列が出来ていますが、気の短いアンさんも大人しく並んでいます。
「アン姐イライラしないんだ~」
ファナさんが茶化すように言います。
「ご飯貰うにはここに並ぶしかないしね、目的がはっきりしてりゃあたしも大人しく並ぶさ」
アンさんは腕組みしながら当然のように言いました。そしてわたくしたちの番が回ってきたのですが――
「ディロン? 何してんの??」
炊き出しのシチューを配っていたのはディロンさんでした。
「作業が始まってすぐに炊き出しの人員を募っていてな、吾輩はそちらをやっていた」
「ディロンさん、お料理得意ですものね」
冒険の時もディロンさんがよく料理を作って下さいましたが、限られた材料でとても美味しい料理を作って下さいます。このシチューも作業をしている皆さんに好評でした。
――こうして夜を徹して作業が行われ、夜明け前には書物大祭が無事開催出来るように会場は元通りになっていました。作業をしていた方々も解散になり、宿に帰る方や広場の片隅で仮眠を取る方など様々でした。わたくしたちは宿が遠いのでパーティーの皆さんと共に広場で仮眠を取っていました。
わたくしはどうも気持ちが落ち着かず眠れなかったので芝生の上に座り、一人会場を眺めていました。
「レティ・ロズヘッジ君――」
ガヒネアさんのお知り合いのバフェッジさんがお一人で来られました。わたくしは立ちあがってご挨拶しようとしたのですが制止され、バフェッジさんがわたくしの隣に座りました。
「疲れているだろうに、眠れないのかね?」
バフェッジさんは口ひげを指でなぞりながらそう仰います。
「はい……なんだか気持ちが昂ってしまって――いえ、ずっとです。書物大祭に参加することになってからずっと、ふわふわと浮いているような気分なんです」
バフェッジさんは「フフフ」と微笑みます。
「私もこの歳になってもまだ書物大祭の開催中はそんな感じだよ」
「バフェッジさんも……ですか?」
「うむ、いくつになっても好きなものへの情熱は冷めなくてね。まあ、本の世界が広くて果てが見えないからだろう」
わたくしの問いにバフェッジさんは少し照れた様な表情をして遠くを見つめました。
「君の夢は何かね?」
「夢……ですか?」
バフェッジさんは微笑みながらわたくしにそう尋ねました。わたくしは考えながら言葉にしてゆきます。
「そうですね、夢といいますか……ずっと追いかけているのは、この世界に存在する人の手で産み出された珍しいもの、美しいもの、見事なもの、それらを一つでも多く見たい、触れたい、調べてみたい……でしょうか」
「なるほど。書物もその中のひとつ、ということかね?」
バフェッジさんは顎ひげを撫でながら優しい声で聞き返します。
「はい。書物は知識をもたらしてくれると共にそれ自体が美術品、工芸品でもあります」
「なるほど……君が薔薇の垣根のガヒネアの弟子であることがよく分かるよ。彼女も同じような事を言っていた」
「ガヒネアさんが……」
バフェッジさんはそう言うと懐からメダルの様な物を取り出してわたくしに手渡しました。
「これは……」
「私は立場上、貴族界隈などにも顔が効くのでな。冒険者として活動するならこういうものを持っていても損は無いだろう」
「はい……ありがとうございます……」
「人の縁というのは何処でどう繋がるかわからないからね。繋いで行くといい」
(確かに……ウェルダさんもそうですし、バフェッジさんもガヒネアさんとのご縁でこうして繋がりましたからね)
わたくしはメダルのようなものを受け取りました。それは服につけるバッジのようでした。天秤が中央に浮き彫りにされている直径二センチ程の物です。
(この紋章は何処かで見たような気もしますが、今は思い出せません……)
「では、書物大祭を楽しんでくれたまえ」
バフェッジさんはそう言うと去って行かれました。
(バフェッジさんとお話すると緊張しますね……)
気が抜けたのか欠伸が出ます。まだ時間があるので仮眠を取ることにしました。
――そして、わたくしが目覚めたのは昼頃で、ずっと寝ていたということでした。皆さんには「何回も起こしたんだけどね」と言われてしまいました。
(余程疲れていたのでしょうか? こんな場所でそんなに深く眠るなんて……)
ここは書物大祭が行われている広場の一角で芝生の植え込みです。目の前を沢山の人々が往来していました。わたくしは恥ずかしさでどうにかなってしまいそうです。
そんなこともありながら、わたくしは書物大祭を満喫しました。と言っても予算には限りがあるので慎重に吟味した結果、"古代魔法帝国語辞典"を手に入れました。
「レティ、えらくでっかい本だねえ」
アンさんは不思議そうにわたくしが買った辞典を見つめます。それもそのはず――縦は約四五センチ、幅は三八センチ、厚さは一五センチもある大きな本です。正直わたくしが片手では持てないくらいの重さがあります。
「これは古代魔法帝国語の辞典です。今まで以上に古代文字に関して詳しく分かるようになります」
(わたくしが以前所有していたものより格段に詳しい辞書です)
しかし、これをいくら旅人の鞄があるとはいえ冒険に持ち運ぶわけにはいきませんから、使いそうな文字や単語を抜き出して編集していかなければいけません。
(大変そうですがとても楽しそうな作業ですね……)
「レティなんかニヤニヤしてるよね?」
「え?!」
ファナさんに指摘されて自分がニヤ付いていることに気が付きました。
「まあ、いい本を見つけましたので……あ、これも見つけたので買ってしまいました」
「え、なになに? 辺境……なに読めないぃ……めっちゃ古い本じゃない?」
ファナさんは難しい顔をしています。
「辺境探訪諸記、ですね。辺境について書かれた最も古い書物のひとつです」
ファナさんはそれを聞くと「おお~そうなんだ……」と本をめくって読んでいます。
「他にも欲しい本はあったのですが……なにぶん予算が……」
(まあ、これらが手に入っただけでも良しと言うことにしましょう)
「はいレティ。なんか文字は古い文章で分かりにくいけど絵も色々載ってるからまた今度読ませてね」
ファナさんは本を返してくれました。
「ええ、いいですよ」
(ファナさんは辺境探訪諸記に興味があるみたいですね、今度お貸ししましょう)
――それからは目立ったトラブルも無く残りの三日間を終え、書物大祭は無事閉幕となりました。わたくしは天幕が撤去され、元の公園と広場に戻った会場跡を眺めています。
「レティ、お疲れ様」
座っているわたくしにシオリさんが話しかけてきました。
「シオリさん……多分疲れていますけど、感覚としては疲労感があまり有りません。不思議な充足感と、物足りなさを感じています」
「そうなのね……まだレティの中ではこのお祭りが終わってないのかしら」
(なるほど……そうかもしれません。初めての体験に心と身体が追いついていない様な……)
「しかし、明日からはまた元の日常ですね。イェンキャストに戻ってガヒネアさんにも色々報告しないといけませんから」
「ふふふ、そうね……ええ、その通りね」
シオリさんは嬉しそうに笑っていました。
「えっと、何かありましたか?」
「ううん、出会った頃のレティを思い返してね、その時よりも逞しくなったなあって」
「え……確かに脚も腕もちょっと太くなりましたね……日焼けもしてますし」
わたくしは改めて言われて少し恥ずかしくなりました。
(でも、冒険者としてはそれは成長の証ですよね?)
「そういうところは変わらないわね」
わたくしが自分の腕や脚を触っているとシオリさんは「クスクス」と笑います。
「おーい、ふたりともイチャついてないで打ち上げいくよー」
アンさんが離れた所から声をかけます。わたくしとシオリさんは笑いながら「はーい」と返事をして皆さんと合流しました。
第二部「冒険者編」終




