第三二話「侯爵との決着」
――プリューベネト侯爵がドヴァンさんに跪いた事で周囲は動揺し、その成り行きを見守っています。
「な、何故このような場所に……仰って下されば遣いの者をお出ししたのですが――」
侯爵は今までの不遜で高圧的な態度が嘘のように萎縮して冷や汗をかいています。
「お主に儂の仲間がずいぶん世話になったようなのでな。儂はもうとっくに隠居した身、本来はもうこのような身分や権勢を笠に着る事は二度としたくはなかったのだが――お主の所業は、もはや帝国成立以前よりの忠臣であるプリューベネト侯爵家であっても許されるものではない。故に、罪なき者たちの為に敢えてここに出向かせて貰った」
侯爵はドヴァンさんの言葉におずおずと頭を上げます。
「恐れながら……わ、私めは殿下の手勢とは知らずにお手向かい致しました事、誠に申し訳ありませんが……こうして何処の手勢やもしれぬ暴漢が押し入って来れば致し方ない事と……」
「では、そこの者……帝国貴族ラルケイギア子爵が四女、ネレスティ・ラルケイギアがここに囚われている件についてどう申すか?」
メイダさんに促されてわたくしはドヴァンさんと侯爵の元に行き、わたくしも淑女の礼をしてから跪きました。
「こ、この者は……私がギシュプロイ大公殿下から下賜戴いた品を贋作呼ばわりした不敬者……また他にも鑑定などと称して多くの貴族諸侯を謀った悪女として無作為転送刑に処したのですが……このように厚顔無恥にも生きて戻ってきたものですから、再び悪事を為す前にこの私めが責任を持って始末しようと……」
――その時「おっと待った!」と別の入り口から声がしました。それはアンさんとシオリさんでした。
「こいつらが全て吐いたよ、あたし達ごと殺せってあんたに命令されたって。実際三回も殺されかけたしね」
アンさん達は縛られた二人の術師風の男を引きずってきました。
「ジャイン!? ゴザウィン?!」
侯爵の連れていたダンジェンという治癒魔術師は二人を見て狼狽しました、ですがそれで周囲の注目を集めた事に気付きハッとして口を噤みました。
「で、殿下の家臣とは知らず巻き込んでしまい申し訳ございませんでした……ですが、それもこのネレスティなる女が――執念深く舞い戻ったこの悪女を成敗する為の事。全ては帝国の秩序と安寧の為に私は敢えて強硬な手段を用いてでも帝国に忠義を尽くそうと――」
「黙らっしゃい!」
「ひいっ!?」
必死に弁解している侯爵をドヴァンさんは一喝しました。侯爵は悲鳴のような声を上げて平伏します。
「このネレスティ・ラルケイギアはお主が着せた濡衣を敢えて背負い、運命を受け入れて無作為転送刑に服したのだ。よしんばその罪が誠であったとしても、その時点で刑は全うしておる。運良く生きて戻ったとてそれを裁く権は帝国の法には無いわ。だがもし、その罪自体がお主により作られた冤罪であるなら、お主こそ帝国の秩序に弓を引いたのだ」
「ま……まさか、帝国に弓引くなど!? 帝国開びゃく以前からお仕えしているプリューベネト侯爵家の現当主である私がその様な事をするとお思いですか?!」
「ふむ、なるほど……儂ひとりの思い込みがあるやも知れぬと思ってな、我が孫……いや、ギシュプロイ大公殿下に儂の知り得た事を全てご報告申し上げ、御沙汰を仰いだのだが……」
「た、た、大公殿下に!?」
侯爵が狼狽して声を上げたその時、屋敷の外から大勢の声や馬のいななきや蹄の音が聞こえてきました。すると侯爵の兵士より更に多くの帝国軍正規兵装を身に着けた騎士や兵士が駆けつけました。侯爵の兵士は虚をつかれたからか、抵抗せずに武装を解いて手を挙げています。
その隊を指揮している上級騎士甲冑を身に着けた方がこちらにやってきて、侯爵の前で書状を広げて読み上げました。
「プリューベネト侯ビスカトラン・グリジェルト、貴君には帝国貴族ネレスティ・ラルケイギア子爵令嬢および帝国臣民への誘拐と殺害未遂、並びに帝国貴族院法廷侮辱の疑いにより皇帝陛下並びに帝国貴族院長の名において捕縛の命が下っている、大人しくご同行願おう」
上級騎士は書状を読み上げると侯爵の方に書状を向けて書いていることを確認させます。書面に捺されている皇帝陛下と帝国貴族院長の印を目の当たりにして力なくうな垂れ、兵士たちに両脇を抱えられて連れていかれました。その他の家臣たちも帝国軍正規兵士や騎士に連行されて行きます。
そして上級騎士はドヴァンさんの前に向き直って直立し、騎士礼を捧げました。
「ドルヴイユ殿下、遅くなり誠に申し訳ありませんでした。プリューベネト侯爵やその臣下の事、後は私共にお任せください」
「いやいや、遠路ご足労かたじけない。近々儂もご報告の為に帝都に参内申し上げると、陛下と貴族院長閣下にお伝えくだされ」
ドヴァンさんがそう仰ると上級騎士は再び一礼をしてから踵を返して去って行かれました。そして、この場にはわたくしとドヴァンさんと、その他のおさんぽ日和ギルドの方々が残りました。皆さんはドヴァンさんの元に集まって来られて、戸惑いながら各々跪きました。わたくしは一旦立ち上がっていましたが、再び跪きます。少し遅れてマーシウさんとメイダさんがゆっくり歩いて来て落ち着いた様子で跪きました。
「済まないみんな。騙すつもりはなかったのだが、身分を偽っていた事誠に申し訳ない……」
ドヴァンさんは深々と頭を下げられました、そして頭を上げると言葉を続けます。
「皇家の血筋に生まれ、人生の大半は政や貴族同士の調整、そして外交などに明け暮れていた。なかなか後を任せても良いと思える者が居なかったのでな。しかし、やっと若い芽が息吹いてきたので儂のような老人は隠居させてもらった。そして冥途の土産に、幼き頃より数多くの物語などを読み、憧れていた"冒険者たちの物語"というものに触れて見たくなってな、身分を偽り冒険者ギルドというものを経営してみたのだ……」
ドヴァンさんは皆さん一人ひとりを見つめながら話されています。
「今回はこのネレスティ・ラルケイギアさんを救う為に儂は正体を明かし、権力を使った。捨てたはずのものを都合よく利用したのだ……もうこれっきりにしたいとは思っている。儂が望むのはおさんぽ日和というギルド名にある様な"なんでもない一介の冒険者たち"を見守ることなのでな。しかし、儂を信用できなくなったというのであれば他のギルドに移るなり自由にして貰って構わない。だがもしまだ付き合ってくれるのであれば、今まで通りギルドマスターと冒険者として接して頂きたい……」
ドヴァンさんは再び深々と頭を下げました。するとマーシウさんとメイダさんが立ち上がります。
「みんな、俺がギルド創設時より所属しているのは知ってると思うが、俺はマスターの事は以前から知っていた――というかそれは俺がかつて近衛騎士だった頃に、とある貴族同士の権力闘争に巻き込まれた事があって命を落としそうになった、それをマスターが救ってくれたんだ。そんなマスターの夢を手伝う為に俺は冒険者になったんだ。このメイダも似たような境遇でマスターに命を救われた。だから俺たちは何があってもマスターに付いていく。マスターの望む"一介の冒険者"であり続ける。けどそれは俺達個人の考えだ、マスターには何も強制されていない。だからみんなも自由に決めてくれ……」
するとアンさんとファナさんが立ち上がり歩み出てドヴァンさんの前に立ちました。
「ドヴァン爺さんあんた実は策士だなって思ってたけど、本当にそうだったんだねえ……びっくりだよ!」
アンさんはドヴァンさんの肩を叩いて屈託ない笑顔で笑っています。ファナさんはドヴァンさんにしがみ付いています。
「ドヴァン爺ちゃんはドヴァン爺ちゃんだよ……」
ファナさんは涙声で抱きついて鼻をすすっています。それを見て皆さんがドヴァンさんの周りに集まってきて笑いあっていました。わたくしはそれを微笑ましく見つめていました。盛り上がっている皆さんをドヴァンさんは「ちょっとすまない」と制してわたくしの前へやって来られました。
「すまんね、今回の主役は貴女ですのに。身体は大丈夫ですかな? 少し痛めつけられた様ですが」
ドヴァンさんがわたくしの肩口を見て仰いました。肩口は衣服越しに血が滲んでいてズキズキとした痛みがあります。
「大丈夫です、少し侯爵に鞭で叩かれただけですので。あ……そうです、それよりもわたくしがギルドメンバーというのは……」
メイダさんがわたくしがギルドのメンバーになったと仰っていましたのでドヴァンさんにその事を伺います。
「本来は人となりを見させてもらって正式な加入という事なのですがな、貴女と旅をした者たちからの伝書精霊で聞いていましたから、十中八九は加入して頂こうと思っていたのです。そして半ば偶然ですが、お会いしてお話できましたからな。人となりを実際に知りたくて、その場では正体を明かしませんでしたが、まさかこんな事になるとは……申し訳ない」
ドヴァンさんは済まなさそうな表情をされています。
「そ、そんな……こうして助けて頂いて、わたくし何と……お礼を申し上げてよいか……」
わたくしは感極まって目頭が熱くなりました。ドヴァンさんはわたくしの肩にそっと手を添えます。
「儂のした事など大した事はないですよ、あなたのここまでの旅路の方がどれ程大変だったことか。儂にとっては、素敵な仲間が一人加わった事が何よりの果報です」
わたくしはその言葉で今までの感情が噴出して子供の様に声を上げて泣いてしまいました。
(すみません、わたくしはやっぱり泣き虫です……でも涙が止まりません)
「あー! マスターがレティ泣かせた! 大丈夫レティ?」
ファナさんがわたくしの背中をさすって下さいます。
「おやおや、これは困りましたな……」
ドヴァンさんは困り顔で笑っておられます。アンさんは頭を撫でてくださいますし、シオリさんは手を握ってさすって下さいました。
他の皆さんはその様子を見て笑っておられました。
――こうして、わたくしは晴れて冒険者ギルド"おさんぽ日和"所属の冒険者となったのでした……。




