第三〇話「プリューベネト侯爵」
――時間はお昼前でしょうか、かなり日が高くなっています。山地から平野に入って気温も上がり、ちょっと汗ばむくらいになってきました。
(山あいとは全然気候がちがうのですね……道行く人々は皆さん薄着です)
「レティさん、この辺で寒いのは山地だけですから、そろそろマントは暑くないですか?」
「だ、大丈夫です」
メイダさんはそう仰って下さいましたが……わたくしはマントのフードを深々と被り、マフラーで口元を隠していますので確かに暑いのですが、人目に付きやすい街道ですから用心せねばなりませんのでこれは取らない方が良いでしょう。
「おや、あれはなんでしょうかねぇ?」
ドヴァンさんが指さす方向では街道を兵士が塞ぎ、検問のような事をしている様子です。
「あの兵はこの辺りの者では無いようですが……」
メイダさんは首をかしげています。
「すみません、あの……わたくし……」
(恐らくわたくしを探している侯爵の兵でしょうね……まさかこんな大々的に? ドヴァンさんにご迷惑をお掛けするわけにはまいりませんが……)
「おいそこの者たち、こちらへ来い」
馬に乗っている兵に見つかってしまいました。
(ああ……どうしましょう?)
ドヴァンさんは大人しく指示に従うようにメイダさんに仰いました。メイダさんは検問の方へ馬を引いていきます。兵は二〇名ほどでしょうか、簡易的な柵を設置して通行する人を取り調べています。手には似顔絵の描かれた紙を持っていて、その顔はわたくしに結構似ています。
わたくしとドヴァンさんは馬を降りるように言われ、メイダさんと三人で取り調べの列にならんでいます。わたくしは俯いて大人しくしていました。
「もしもし、兵士の方」
わたくし達の番になり検問を抜ける時にドヴァンさんは兵士に問いかけました。
「なんだ爺さん?」
「あなた方はイェンキャストの衛兵では無いようですが、これはどういうことですかな?」
「貴様には関係の無いことだ……」
ドヴァンさんの問いかけを拒否するように打ち切ろうとした兵士にメイダさんがニコリと微笑みお辞儀をしました。いつの間にかメイダさんは上着の胸元を強調するように広げていました。
「暑い中お勤めご苦労さまです……本当に暑いですね」
メイダさんは見ているわたくしが恥ずかしくなるような扇情的な仕草をしておられますが、後ろ手で「早く行って」という掌をパタパタと送るジェスチャーをされていました。
(これは……気を引いてくれているのでしょうか?)
メイダさんが兵士の気を引いてくれている間にドヴァンさんが馬を引いて行かれるのでわたくしもそそくさと続きます。
「じゃあ、失礼いたしますわ」
わたくしが通り抜けたのを確認してメイダさんも立ち去ろうとした時に兵士の指揮官らしき人が兵士を数人連れてやってきました。
「早く馬に乗って、とっとと行きましょう」
メイダさんはこっそりとわたくしとドヴァンさんに耳打ちされました。しかし、兵士を連れた指揮官がこちらに向かってきます。
「おい待てそこの者、顔を見せろ」
「なんですかな? 手前どもはイェンキャストに住む者、家に帰るだけですが?」
「じじい貴様はどうでもいい、そこの者、フードを取れ」
(ドヴァンさんとメイダさんにご迷惑はかけられませんね……)
わたくしは意を決してフードを外します。指揮官は兵士から似顔絵を受け取り、わたくしの顔と見比べました。
「……お前は、ネレスティ・ラルケイギアだな?」
指揮官は鋭い目つきでわたくしを見つめました。
「はい、わたくしはネレスティ・ラルケイギアです。この方たちはたまたま先ほど知り合っただけです……もう逃げませんのでどうぞお連れください」
「ふむ、わかった……連れて行け」
わたくしが縄で縛られて連れていかれようとした時にドヴァンさんがわたくしに声をかけました。
「貴女が何か悪事を働くようには思えませんが……素直に従われるのですかな?」
「はい、誓って悪事などは働いておりません。ですが、わたくしが逃れる事で何人もの方にご迷惑をお掛けしました。わたくし一人で済むのであれば、受け入れようと……ドヴァンさん、メイダさん、ありがとうございました」
――そしてわたくしは窓の無い馬車に乗せられ連れていかれた先は、さほど遠くない山の中腹にある屋敷です。馬車から屋敷の門に入る時に遠くの景色に見えたのは港街と海でした。恐らくそれがイェンキャストでしょうか。
門から屋敷の前庭に入ると、そこはひっそりと佇む飾り気の無い屋敷です。わたくしはその屋敷の地下牢に入れられました。地下牢なので窓も無く、灯かりは通路のみにあるので牢の中は薄暗いです。「入っていろ」とだけ告げられて、鍵をかけられました。
(今度こそわたくしの人生もおしまいでしょうか……色々な方々にご迷惑はお掛けしたので不謹慎かもしれませんが、転送刑を受けてから今日までとても楽しかったですね……貴族の娘では絶対に経験出来そうにない事ばかりでしたから)
これまでの事が走馬灯の様に頭の中に浮かんでいました。程なくして鍵が開き、数人の兵を連れた身なりの良い服を着て口ひげを生やした中年男性がそこには居ました。わたくしはこの方を知っています……。
「プリューベネト侯爵」
わたくしがその名を口にすると、鋭い目つきでわたくしを睨み、そして鼻で笑いました。
「……ネレスティ・ラルケイギア、よくもこの私にこんなにも手間をかけさせてくれたな?」
わたくしはその様子をじっと見ていると、兵士が牢に入ってきました。
「貴様、跪かんか!」
兵士はわたくしの肩を押さえつけて膝をつく様に言いました。その勢いと迫力にわたくしは膝をつきます。しかし顔を上げて侯爵に語りかけました。
「わたくしは侯爵様の思惑通り無作為転送刑に処されました。そしてもはや貴族ではありませんし、侯爵様とは関係の無い取るに足らないただの娘です……何故、執拗にわたくしの死を望まれますか?」
わたくしがそう語りかけると、侯爵の眉間に皺が寄り片眉が吊り上がりました。
「……お前は無作為転送刑で何故死ななかったのだ? 何故再び私の前をうろつくのだ? 目ざわりにも程がある……私が大公殿下より下賜された物を偽物呼ばわりし、無作為転送刑で亡き者にしたはずのお前が、再び生きて現れるとは……腹立たしいにも程がある!」
侯爵は感情が高ぶり、手に持っていた短鞭で牢屋の入り口越しにわたくしの肩を打ちました。わたくしは痛みで短い悲鳴を上げてしまいました。
「……どうして、わたくしの所在をお知りに?」
「特大の竜舎利が売りに出ているという情報を掴んだのだ……今までで最大級ということで私は是非とも手に入れたかった。早速、遣いの者をやり手に入れたのだが……こともあろうかその竜舎利の鑑定証にはお前の名が書かれていたのだ……無作為転送刑で何処とも分からぬ場所で野垂れ死んでいるはずのお前の名前が!」
(……鑑定証?! そうですわ、わたくしガヒネアさんのお店で竜舎利を買い取って頂いた時に名前を書きました……鑑定証には入手先を書く欄が確かありました。それでわたくしの事を……)
「名前だけでは分からんから、手を回して捕まえて確認しようとしたんだが……散々逃げ回って手こずらせおって!」
侯爵は再び私の肩を短鞭で打ち据えました。激しい痛みでしたが、私は声を殺して耐えます。
「さて、この小娘の処分をどうするかだが……おお、そうだ。ダンジェン、ジャインとゴザウィン、あやつらはまだ戻らんのか? この小娘に加担している冒険者の奴らごと始末するように命じたはずだが?」
侯爵は後ろに控えていたローブの男に話しかけます。
「は、それが……まだ連絡途絶えたままです」
「それなりに腕のある魔術師や精霊術師だと思って高い金で雇っておるのに、貴様ら冒険者という輩も案外役に立たぬな」
「返す言葉もございません……」
ローブの男は深々と頭を下げていました、それを見て侯爵は「フン」と鼻で笑います。
「まあよい。今は私を散々愚弄してくれたこの小娘をどうやって始末するのが良いか、その方法を考えるのが先だ。ただ殺すなら今ここでも出来るが、それでは腹の虫が治まらぬからな。まあせいぜい牢の中でガタガタと震えておれ」
そう言うと侯爵たちは去って行き、再び牢の扉には鍵がかけられます。わたくしは悔しさが込み上げてきて涙が溢れました。
(そもそもわたくしは、皇帝陛下の従兄である大公殿下にまで贋作が行き届いてしまうほど精巧なものが世に溢れているという危機をお伝えしたかったのに……何故こうなってしまったのでしょうか?)
しかし、冒険者の皆さんと旅をしてきた今なら少し違った考えも浮かびます。「あの時もう少し言い方を工夫していれば……」「然るべき手続きを踏んでいれば……」などなど。自分の落ち度も思い浮かび、後悔で頭がいっぱいになります。
――そんな事を頭の中に駆け巡らせているうちに、どれくらいの時間が経ったでしょうか。上の階辺りで騒がしい声や物音がします。扉の小窓から外の様子を窺おうとした時、扉の鍵が開きました。わたくしは慌てて扉から離れます。
扉を開けて入ってきたのは黒い軟質の革鎧を着た人物です。わたくしはその人に見覚えがありました……。
「メイダさん?!」




