第二九話「離別と出会い」
「……魔法の盾!」
シオリさんの防御魔法でわたくしたち自身は火球同士の激突による爆炎は浴びずに済みましたが、船体は爆発を受けて激しく揺れ、積荷も吹き飛び、河に落ちています。
「レティ無事?!」
床に伏せていたわたくしはシオリさんの声で顔を上げました。飛んできた破片を被って服が裂けたりほつれたり、肌に細かな擦り傷切り傷はありますが、身体に大きな異常は無さそうです。
「はい、わたくしは大丈夫で……す……?」
シオリさんの呼び掛けに答えた時、床が大きく傾き、ズレるように動き始めました。
「ヤバい、船が崩壊する!」
アンさんが叫んだ瞬間、「バキバキ」「ミシミシ」「ブチブチ」などの嫌な音がして船の下部を構成していた大きな丸太がバラバラになっていきました。
「きゃあ!?」
わたくしは船の床板がひっくり返り河に投げ出されそうになりました。
(わたくし泳げません!)
下半身は水に浸かりましたが必死で墜ちないように藻掻いて崩壊した船体の一部に掴まっていました。何とかよじ登って辺りを見るとバラバラになった船体や荷物が燃えながら河を流れゆきます。精霊術師や魔術師も必死で浮いている荷物に掴まっているのが見えました。
「みんな大丈夫か?!」
「アン姐、ファナが気を失ってる!」
「そりゃそうか、攻撃魔法使いまくったからね。レティは? おーい!」
アンさんたちの声が辺りに響いています。自分の名を呼ばれ、返事をするため叫ぼうとしますが、喉が強張っていて声になりません。
(わたくしはここです!)
そう叫ぶのですが、喉がキュッと萎むような感覚がして声になりません。無理に声を出そうとすると咳がでます。
そして河の中央の流れが早い場所に来てしまったのか、わたくしの乗った船体はどんどん流されて行きました。すっかり孤立してしまったと認識して声を上げるのを諦めた頃、自分の身体が寒さで震えていることを認識しました。身体が震えて歯がカチカチと鳴っています。
(身体が濡れているせいでしょうか、とても寒いです……このままではいけませんね)
幸い腰のベルトに挿していた見習いの短杖は無事でしたので、旅の合間に教えて頂いた生活魔法の乾燥を使って衣服や髪を乾かしてから保温の魔法を服にかけます。これでとりあえず寒さに震える事はなくなりましたし、自分の体温が保温されているので温かくもあります。
(ここからどうするか、落ち着いて考えましょう……)
そうやって思考を巡らせているうちにウトウトと眠気に襲われてしまいました。
――どのくらい眠ってしまっていたのでしょうか……大きな揺れで目を覚ましました。わたくしを乗せた船体は河岸の岩に引っかかって止まったようです。空が白んであたりが明るくなってきているのでもうすぐ夜明けでしょうか。
わたくしは周囲の様子を確認するために岩によじ登りました。そこは石柱や崩れた壁や階段があり、野ざらしになった遺跡の様でした。建物としての原型はほとんどなく、河岸の野原にポツンポツンと痕跡のようにそれらが点在してます。こういった場所は道中いたる所で見かけたので別段珍しくはないですが……。
倒れ大きな石柱が河の方に出っ張っている先に誰か人がいました。どうやら釣りをしているようですが……。
「あの、すみません……この辺りにお住まいの方ですか?」
わたくしの声で振り返ったその方は年配の男性です。口と顎にお髭を蓄えて、長めの白髪を後ろで束ねている優しそうなお方でした。
「ふむ、儂はここの者ではないのですがね、この場所が好きでよくこうして過ごしに来ているのですよ」
「そう……なのですか。わたくしは、その……イェンキャストを目指していたのですが……仲間とはぐれてしまいまして……」
「なるほど。上流から色んなものが流れてきていたので何かあったのかと思っていたのですが、お嬢さんは……」
「あ、いえ、その……」
(わたくし結構服も髪も乱れていますから適当な事を言っても何か疑われそうですね……)
「お嬢さんはお困りのようですな、温かい物でも飲まれますかな?」
「え、あ……はい。あの、わたくしはレティと申します旅の冒険者……見習いです」
冒険者でもいいのでしょうけど、なんだか気恥ずかしくて見習いを付けてしまいました。
「ほほう、レティさんというのですかな? 儂はイェンキャストで道楽の商売をしている隠居の爺でドヴァンといいます」
「まあ、イェンキャストにお住まいですか?!」
(これは幸運というのでしょうか?)
わたくしはドヴァンさんがすぐ近くのキャンプしている所に案内されました。焚火や座椅子やテントや荷物が置かれています。そこにはもう一人お連れの方が居られました。背が高く褐色の肌で黒髪の綺麗な女性です……少し目つきが鋭くて怖い印象ですが。
「メイダ、温かいものを淹れてください、道に迷われたようです」
「あらそれはお困りでしょう、さあこちらで火にあたってくださいね」
ドヴァンさんが話しかけるとメイダと呼ばれた女性はニコリと優しく微笑まれました。最初の印象とは全然違うとてもやさしそうな笑顔です。
焚火の前に座るように勧められたわたくしは座椅子に座らせていただきました。そしてメイダさんが金属製のカップに甘い匂いのする温かい飲み物を注いでくれました。
「はい、ココアですがお口に合うかしら?」
「ココアですか? わたくし大好きです、ありがとうございます……」
わたくしはお礼を言ってから「ふぅふぅ」と冷ましながら口に運ぶと、絶妙な甘さとほろ苦さの温かいココアに身体の芯から温まりました。
(ココアは家に居るときによくメイドに淹れて貰いましたね……じつは結構な値段がするというのは冒険者になってから知りましたけど)
冷えた身体を甘く温かいココアが満たしてくれました。ホッとして気が緩みます。
「そんなに嬉しそうな顔で飲んでもらえると私もお出しした甲斐がありますよ」
メイダさんはそう仰ると微笑んでおられました。ドヴァンさんも笑っておられます。
(え、わたくしそんな緩んだ表情をしてました?)
なんだか気恥ずかしくて俯いてしまいました。
「おお、そろそろ夜明けですね。そうだ、これから儂のちょっとした宝物を見に行くのですがご一緒にいかがですかな?」
「宝物……ですか?」
わたくしはドヴァンさんに連れられてキャンプから少し離れた場所にある遺跡の壁の前に来ました。わたくしの背丈の倍ほどの高さがあり、幅は三メートル程あります。わたくしは壁に近づいてよく見てみます。
「これは……浮彫りですね、古代魔法文明の遺跡によく見られる技法です。やはりここは魔法帝国時代の遺跡なのでしょうか」
「ふむふむ、レティさんはこういう事にお詳しいのですな?」
「ええ、まあ……趣味で少しばかり学んでおりました」
「こちらへ座ってください、そろそろですよ」
ドヴァンさんは壁から少し離れた場所に腰掛けてわたくしを手招きしておられます。わたくしはドヴァンさんが腰掛けている岩の隣に座りました。すると、朝日が昇り陽光が射しこんできます。壁全体を陽光が照らした時、壁が輝いて浮彫されていたものが光を放ち、綺麗な文様が光で浮かび上がりました。
そして壁の前には神殿のような立派な建物の全体像が蜃気楼のように浮かび上がっています。浮かび上がった建物は、異なった角度から見ると本当にそこにあるかのように立体的に見えます。
「これは……一体どういう仕掛けですか?!」
目が点になっているわたくしを見てドヴァンさんは「フフフ」と微笑んでおられました。わたくしは思わず立ち上がって蜃気楼のようなものに触れてみましたが、手は宙をかくように空ぶってしまいました。
「まぼろし? 魔法……ですか?」
「詳しい仕掛けはよくわからんのですがな、古代魔法帝国の遺物でしょうな。この時間に朝日が壁を照らした時にだけ見られるのですよ。儂はこれを見に時々ここを訪れるのです」
「ひょっとして、この浮き上がった建物はこの朽ちた遺跡の本来の姿なのでしょうか?」
「それもなんとも……しかし、古代魔法帝国の遺物というのはこう、知的好奇心を掻き立てられますな」
ドヴァンさんは目を細めてにこやかな表情でそれを見つめておられました。やがて日が昇って行くと蜃気楼は消えて壁も元の石の壁に戻りました。
「さて、朝食にしましょうか。どうですかなご一緒に?」
「え、でも……ココアをご馳走になったのに申し訳ないです」
「いやいや、せっかくお会いできたのですから……この爺の話し相手になって頂きたいのです」
わたくしは朝食を頂くことになりました。山羊の乳のチーズを焚火で炙ったものをパンに載せるというシンプルな物でしたがとても美味しく、今のわたくしにはとても贅沢なお食事に思えました。
「レティさん、イェンキャストの何処へ行かれますかな? 結構大きな街ですので初めて来られる方はよく道に迷っておいでなので」
「それがお恥ずかしい事に、仲間の方たちにお任せしていたので詳しい場所はわからないのですが……″おさんぽ日和″という冒険者ギルドです」
「ほほう、そこなら知っていますよ。街に戻りますのでご一緒にいかがですかな?」
「本当ですか? ありがとうございます!」
(アンさんはあの時あのご様子だと、無事が確認されていなかったのは恐らくわたくしだけですね。皆さんはご無事だと思います。でしたら戻るよりもイェンキャストを目指した方が……イェンキャストに行けば、とりあえずマーシウさんとディロンさんはもう到着されているはずですから……)
――そして、わたくしはメイダさんが手綱を引くドヴァンさんの馬に一緒に乗せていただき、イェンキャストに向かいました。




