第二六話「レティ、走る」
――わたくしを乗せた護送馬車は程なく停車しました、さほど時間は経っていない気がしますのでセソルシアさんのお屋敷からそう遠くではないでしょう。ガーネミナさんはわたくしに降りる様に促しました。馬車から出るとそこは古い廃墟のような屋敷の前でした。フード付きのマントを着た男たちが二人、御者の席から降りました。
ガーネミナさんに連れられて屋敷に入ります。私を真ん中にして男二人が後ろを付いてきました。屋敷の二階の一番奥らしき部屋に連れてこられました、男たちは入り口と階段の辺りをそれぞれ見張っているようで、部屋にはわたくしとガーネミナさんの二人になりました。
「ガーネミナさん、わたくしを殺す……のですか?」
思い切って聞いてみました。時期はどうあれ、恐らくプリューベネト候爵はわたくしを亡き者にしたいはずです。
「君の仲間も言っていた様に、本来君をこうして拘束する正当な理由は私たちには無い。これはプリューベネト候爵の独断だ。そして候爵は君の死を望んでいる。しかし君が無作為転送刑に処されたことはそれなりに知られているから、表立ってそういう行動には出られないということだ。本来なら転送刑で転移した先で命を落とすか、二度と帝国に戻って来られない状態になると考えられていた、大半の受刑者がそうだからね……しかし、君は生きて戻ってきてしまった」
(やはりそうですか……わたくしが生きて帰ってきたことがお気に召さないということですね)
「貴女が……ここでわたくしを殺すのですか?」
わたくしは平静を装って聞きました、多分声が震えているとおもいますが。
「そう命じられている。しかし直接手を下すのではなく、これからこの廃墟が火事になるのだ。後日、身元の分からない死体が見つかる……そういう手筈ということになっているのだよ」
(なるほど、こうまでするということは本当に候爵の独断で殆ど暗殺に近い事ということですね)
「セソルシアさんはこの事は?」
「君を連れて行く時のお嬢様のご様子は見ただろう? 本当にお嬢様はご存じない事だ。私が独断で我が主ヴィフィメール子爵に報告し判断を仰いだのだ。そしてヴィフィメール家はプリューベネト候爵家の門閥に属している、だからその意向には逆らえない。そういう事だから決してお嬢様個人が君を裏切ったわけではない。これは私なりにお嬢様の名誉の為に言っておこう。まあ、信じる信じないは君の自由だがな」
(信じます。あの時、お身体が悪いのにわたくしの為に飛び出してこられた、それだけでわたくしは……)
「あの、わたくしの仲間は……あの方たちは本当にただわたくしを助けてくれただけなのです、ですからなにとぞ……わたくしが死ねば助けて頂けるというのなら甘んじて死を受け入れます……ですから!」
「君は、一介の冒険者たちの為に犠牲になっても構わないというのか?」
「ええ。だってわたくしは帝国の遥か北……辺境の地下迷宮の奥深くへ転送されました。あの方々に出会わなければとっくの昔にあそこで死んでいました。それだけじゃありません、ずっとあの方々に命を救われながらここまでやって来られたのです。そして今、わたくしの為に囚われているのなら、わたくしが死ぬことで全てが終わるなら、運命を受け入れるのがあの方たちへのせめてもの御恩返しです」
ガーネミナさんは驚いた表情でわたくしを見つめています。
「貴族の間の噂では"稀代の悪女、厚顔無恥な詐欺師"という事だったが、全く違うのだな君は……悪い噂を聞いたお嬢様が憤慨し庇っていたご友人としての君とも違う。気丈な……死ぬのが怖くないのか?」
「死ぬのは怖いです……でも、あの方々を、冒険者の仲間たちを私事でこれ以上危険に晒す方がもっと怖いです、その方が耐えられません。ですから何とぞ……お願いします」
わたくしは身体が震えて止まりません。自分が死ぬのが怖いのか、仲間の皆さんが殺されるかもしれないのが怖いのか。恐らく両方なのでしょうけれど。
「ああ……もう……まったく、私は元よりこの話は納得の行かないことばかりだったんだ!」
ガーネミナさんは溜め息とも憤りともつかない声を出しています。苛々されている様にも見えますが……。
「お父様、お爺様……ガーネミナは我が家門を潰すかもしれません。しかし、どうしても曲げることが出来ない事があるのです……」
ガーネミナさんは突然上を向いて独り言を言いました。
「あの、ガーネミナさん?」
ガーネミナさんは唇に人差し指を当てて「静かに」というジェスチャーをします。そしてわたくしの手枷を外してくれました。ガーネミナさんはわたくしに耳打ちをされます。その内容に驚いたものの、わたくしはそれに従うことにしました。
――扉の横、正面から見えない位置に立つように指示されます。ガーネミナさんも扉のすぐ脇に立ちました。
「おい、何をする! それは何だ! やめろ、うわぁ!」
ガーネミナさんは突然大きな声で叫びました。すると扉の向こうからマントの男たちの声が聞こえてきました。
「おい大丈夫か、何があった?!」
扉を開けて男が一人で入ってくると、ガーネミナさんは男の後頭部を思い切り殴り昏倒させました。続けてもう一人の男が入ってきたのでその男も昏倒させます。そしてガーネミナさんが気を失った男二人を縛り上げ、わたくしはガーネミナさんの指示通りわたくしがはめられていた手枷をガーネミナさんの手首に付けました。そしてガーネミナさんが頷くと、わたくしは屋敷を出ます。乗せてこられた護送馬車の荷台を見ると、わたくしたちパーティーの持ち物が入った"旅人の鞄"が置かれていました。
(ガーネミナさんの仰る通りです、この中にわたくし達の持ち物が全て詰め込まれているのでしたね……本来は一緒に火事で燃やして身元を分からなくするつもりだったらしいですが……)
――そしてわたくしは旅人の鞄を肩に掛けて走り始めました。走りながらガーネミナさんが提案してくれた策を思い返します。
『ここからの筋書きは、君は何らかの手段で私たちを昏倒させて縛り上げて逃亡するんだ。そしてここから南へ四キロ程行った所にある穀物倉庫に囚われている仲間と合流する。しかし、彼らも火事に遭い死ぬ事になっているので時間が無い。冒険者五人相手という事で、向こうにはここよりも遥かに多い見張りが居る。救出するなら、奴らが火をつけて立ち去って建物から離れてから火の手が回るまでのわずかな時間だ。仲間の自由さえ取り戻すことが出来れば、手練れの冒険者たちなら脱出は出来るはずだ……すまない、私が裏切った事が知られればお嬢様にも累が及ぶ事になるかもしれん、これが精一杯の助力だ』
(ガーネミナさん、ありがとうございます……あとは何とかしてみます!)
わたくしは走ります。ここまでの旅で学んだ事を思い出しながら。
(長い距離を走る時は息を細かく、手足の振りもなるべく抑えて……一定のリズムを保つのが長い距離を走り抜く術だと皆さんに教わりました……)
わたくしは走ります、皆さんを助ける為に――
(四キロですか、今まで旅をしてきた距離に比べればどうという事はないはずです……)
しかし、道は平坦ではありませんでした。曲がりくねり、高低差があり、足元も砂利や木の根や折れ枝、ぬかるみに水溜まり……落ち葉が積もっていてそれらを覆い隠している所もありました。木の枝をかき分けて進めば枝が鞭のようにしなって身体を打ち据え、肌を裂きます。そんな状態では呼吸を細かくしたり手足の振りを押さえるなどという事はすでに出来なくなっていました。とにかく必死で前へ前へと進みます。
傷の痛みや吐き気が襲ってきますが、生活魔法の手当てである程度の傷を塞いだり痛みも抑えてくれるので助かります。
(シオリさんの使う治癒魔術の癒しと違って、ちゃんと治っているわけではないですが今はこれで十分です。教わっておいて本当に良かった……)
実際はそんなに時間は経過していないのでしょうけれど、今のわたくしには永遠とも思える時間走り続けました。途中からはただ藻掻いて歩いているような状態でしたが、とにかく皆さんが捕らえられているらしい穀物倉庫へ向かいました。
森を抜け、川を渡った先に小麦畑があり、いくつかの建物が点在しています。
(この辺りでしょうか……あれは?!)
煙がもくもくと上がっている建物が見えます。建物から少し離れた所に人影が何人か見えますので、あれが"敵"ということでしょうか。
(既に火をつけられたようですし、見つからないように早く近づかねば……)
わたくしはアンさんの動きをイメージしながら姿勢を低くして建物に近づきます。




