第二一六話「書物大祭再び──」
書物大祭──帝都から西に馬車で一〇日ほどの場所にある最大の商都"ファ=シーン"で四年に一度開かれる、本好きのための祭典です。
当初は書物だけだったそうですが、回を重ねるごとに規模が拡大し、いまでは古物や美術品まで並ぶ文化的な大祭に発展しました。
ワタクシ、侯爵令嬢テュセイリア・ロンブロイン──作家名"テュシー・ロバイア"として販売者参加するのは、これで二度目です。
今回は新作小説『令嬢事件簿レイティーナとセインリィ』がなんとか完成し、ひとまず胸を撫で下ろしておりました。
「テュシーさん、この前お見掛けしたお話の原稿がもう本に……本当にすごいです!」
今回、セシィさんも"手伝い"という名目で同行してくださっています。
参加証は、かつて偽造が横行したため特殊インクで印刷されており、販売者ひとつにつき二枚まで。そのうちの一枚をセシィさんにお渡ししました。
「テュシーさんなら、貴族区画で出店できるのでは?」
セシィさんが小声で尋ねます。書物大祭の会場は街の中心部にある"ファ=シーン中央図書館"です。貴族の身分で販売者として参加する場合は図書館内に設けられた会場での出店ですが、それ以外の平民などは図書館周囲の広場に設置された天幕での出店なのです。
「あ、その……ワタクシ、作家としては身分を伏せております。それに、身分を問わずより多くの方に読んで頂きたいので──」
ワタクシもセシィさんも、フードを目深に被って顔を隠しています。
「そうですよね。私も鑑定士の仕事をしていますし、こういう場では身元を伏せたほうが安心です」
貴族の出店が建物の中なのは、身分上の名目と警備上の都合ですね。
(まあ、貴族界隈に"テュシー・ロバイア"の正体が知れたら、好き勝手な内容で書けませんからこちらの方が都合がいいのです……)
前回はお隣の配置が縁でレティさんと知り合い、今回はその親友であるセシィさんと並んで参加。人の縁というものは、まこと不思議です。
準備を終えて一息ついたころ、セシィさんが机に並べた新作をそっと手に取りました。
「これ……読ませていただいても、よろしいでしょうか?」
はにかんだ笑顔……開始まで時間もありますし、問題はありません──が。
(目の前で読まれるのは……っ、気恥ずかしい……でも、変に断るのも不自然ですし……)
「ど、どうぞ……」
「では、失礼して──」
セシィさんはページを開き、静かに読み始めました。ワタクシは気を紛らわそうと、本を何度も並べ直したり、周囲の販売者の様子を眺めたり。
「テュシーさん」
「ふひゃいっ?!」
急に名前を呼ばれて、変な声が出てしまいました。
「まだ途中ですが……とても面白いです。自然に引き込まれる感じで」
「そ、そうですか……ありがとうございます」
「それに、この二人の主人公──どこか親しみがあるといいますか。会話の端々に、不思議な既視感があるんです」
(!! それは、貴女とレティさんの会話を参考に……)
変な汗がじわじわ滲んできます。
「そ、そ、そうですか?」
「ええ。本当に……テュシーさんの物語には、心を掴まれる魅力があります」
セシィさんは穏やかに微笑み、瞳を細めました──その笑みが優しい分、胸が痛みます。
(やっぱり、セシィさん達の会話をネタ帳に書き留めるのは控えた方が良さそうですね……)
しかし、そういう場面に遭遇すると無意識にメモを取ってしまっているのです──。
そんなことを考えているうちに、会場整理の声が響きました。
「書物大祭一日目、開幕します。お客様が入られますのでご注意ください!」
「わぁ……!」
セシィさんは目を輝かせ身を乗り出し、周囲をキョロキョロと見まわしています。
「開場直後は少し危ないので、こちらで座っていた方が良いですよ?」
「え、そうなのですか?」
首を傾げるセシィさんが席に戻った直後、地鳴りのようなものがこちらへ近づいてきました。
「この音は……?」
「セシィさん、来ますよ」
天幕の前を、まるで奔流のような人波が駆け抜けていきます。お目当ての一冊を求め、誰もが真剣そのもの。
警備の兵士が「走らないで!」と怒鳴っても、勢いは止まりません。
「これが……開幕の人波──」
「ええ、書物大祭名物ですわ」
「こんなに大勢……どこから集まってきたのでしょう」
「世間というのは、本当に沢山の人々が暮らしているのだと実感できますね──」
やがて人波が落ち着くと、長身の女性が天幕を訪れました。セシィさんの護衛兼従者、女性騎士ガーネミナさんです。
「申し訳ありません、セシィ様。開幕直後、人波に巻き込まれてしまい……」
ガーネミナさんは胸に手を添えて深々と頭を下げます──騎士の略式礼ですね。
「ガーネミナ! ここでは駄目です、頭を上げて。私は今、平民として来ているのですよ」
セシィさんは慌てて小声で注意を促しました。
「っ……し、失礼しました」
ガーネミナさんは慌てて顔を上げて、セシィさんの背後に下がりました。
「そういえばテュシーさん、カノトさんは──」
「こちらに」
セシィさんの質問にワタクシが答えるより先に、背後から声が──。
「ひゃっ……! か、カノト?! いつからそこに!」
ワタクシの変な声もあったのか、セシィさんもガーネミナさんも驚き、肩を跳ねさせました。
「それは──警護上の秘密です」
カノトは淡く微笑んで一礼しました。
(……怖いくらい自然に現れるのですよねカノトは)
そんなやり取りをしていると、ワタクシの天幕にお客様が来られました。




