第二一四話「侯爵令嬢テュセイリア・ロンブロイ」
これはレティやセシィの友人であるテュシー・ロバイア──即ち、侯爵令嬢”テュセイリア・ロンブロイ”の日常の一コマである。
──ワタクシはテュセイリア・ロンブロイ。帝国でも名高いロンブロイ侯爵家の末娘、いわゆる侯爵令嬢です。我が家は帝国統一以前から皇家に仕える由緒ある門閥。
父は大臣として今となっては貴族の最大派閥を率い、二人の兄は官僚と将官として帝国に仕えております。
そんな家に生まれたワタクシですが――二〇代半ばを過ぎても婚約者はおらず、見合いもしておりません。本来なら縁談を押しつけられてもおかしくない立場ですが、若い頃から言語や歴史、文化を学び、さらに算術にも自信がありました。帝国立学園を女子としては稀で、大学院まで修了しています。
父も兄たちも「帝国の未来の為、これからの時代は女子も学問を修め、世に出るべきだ」と後押ししてくれたおかげで、堂々と独身を楽しんでおります。
趣味もございます。子供の頃から物語や小説を読みふけり、自分でも真似をして書き始めました。最初は好きな小説をアレンジしたり、書かれていない場面を想像して補ったりするうちに1から自作小説を書き始めて、密かに頒布もしていました。
それが高じたのかは分かりませんが――ついに図書館司書へのお誘いを受け、今は帝国中央図書館に勤めております。
──さて、今は昼休み。食後のひとときを利用して、趣味である小説の執筆に没頭しておりました。
好みの茶葉を淹れた温かいお茶を片手に、当家のベテラン菓子職人自慢のクッキーを齧りながら、心地よい筆の運びに浸ります。
物語を書くときは"テュシー・ロバイア"という作家名を用いています。最近出来た友人たちにも「テュシー」と呼ばれ、親しくお付き合いさせていただいておりました。
(侯爵令嬢の立場では、対等に接してくださる友人は本当に貴重なのです……)
「あの、テュシーさ……」
「ふゃあっ?!」
突然背後から声をかけられ、妙な声を上げて背筋を伸ばしてしまいました。振り返ると、そこには子爵令嬢で古物鑑定士――セシィ・プラムヤードことセソルシア・ヴィフィメールさんのお姿が。
「すみません、何度かお呼びしたのですが……驚かせてしまいましたね。お仕事中でいらしたのでしょうか?」
セシィさんは申し訳なさそうに頭を下げます。
「へ? あ、いえ! 休憩中ですし、ただの趣味ですのでお気になさらず!」
謝られるとむしろ心苦しく、慌てて首を横に振って取り繕いました。
「そうでしたか……良かった」
ほっとしたように微笑まれ、こちらも胸を撫で下ろします。
ところが。
「令嬢事件簿、レイティーナとセインリィ……?」
小さく呟かれた言葉に、わたくしは固まりました。視線を上げると――彼女の眼差しは机上の原稿へ。
「っっっぃぃやぁあああ!!」
我ながら奇妙な悲鳴を上げつつ、慌てて原稿を掻き集め、机の引き出しへと押し込みます。
その騒ぎに反応して扉が勢いよく開かれ、護衛兼側仕えメイドのカノトが飛び込んできます。表情は冷静ながら一瞬、肌を刺すような殺気が放たれた様な気がしました。
見慣れた彼女の切れ長く細い目が、掛けている丸眼鏡の奥から一層鋭く睨みます、が――ワタクシとセシィさんの姿を見て立ち止まり、眼鏡の位置を指で直します。
この時ワタクシは、カノトがさりげなく手に持っていた小さく尖った金属の何かを、セシィさんに見えない角度で袖口に仕舞い込むところを見てしまいました。
(は、刃物──暗器!?)
「セソルシア様であらせられましたか。大変失礼いたしました。テュセイリア様の叫び声が聞こえたものですから」
軽やかに濃紺の髪を揺らしながらお辞儀をしてにこやかな笑顔のカノト。しかしセシィさんは引きつった顔をしておられます。
「か、カノト……もう大丈夫ですので下がっていてください」
「承知しました。では失礼いたします」
カノトは恭しく一礼して退室。残された空気はなんとも気まずく――けれど、思い出してしまいます。セシィさんがわたくしの原稿を……。
「あ、あの……セシィさん。読まれました?」
「え? い、いえ! 文字が視界に入って、つい……無意識に口にしただけでして。すみません、僭越でした」
慌てて頭を下げるセシィさん。
「とんでもありません! 出しっぱなしにしていたワタクシが悪いのです!」
必死に首を振り、彼女の気遣いを否定します。
「……そう言っていただけると安心します」
安堵の笑み。わたくしもようやく息を整えました。
「えっと……セシィさん、ご用件は?」
笑顔を作り、話題を転じます。
「その、汗が……お体の具合でも? 今日は出直しましょうか」
「い、いえ! 大丈夫です!」
慌ててハンカチで汗を拭い、深呼吸を繰り返しました。
「ふぅ……セシィさん、どうされましたの?」
「図書館に少し用があって……それで、ついでにテュシーさんのお顔を拝見したくて」
「そ、そうでしたか。お手数を……どうぞお座りください。お菓子もございますわ」
当家自慢のクッキーが詰められたバスケットを差し出します。
「ありがとうございます。では少しだけ」
この部屋に客を招くのは初めてだと気づき、どう応対すべきか内心慌てながら、次の言葉を必死に探しました──。




