第二一三話「仕掛け箱のブローチ(後)」
モザイクの様に色とりどりのタイルを張りつけられた小箱をスライドさせてゆくと──「カチリ」と音がして、一つの面が蓋の様に取れて開きそうです。
「あの……プラムヤード様、これは一体?」
「恐らく“仕掛け箱”と呼ばれる物です。東方大陸に伝わる木工芸の極みの一つと言われる仕掛け箱、その構造を応用したのか、それとも東方の職人に作らせたのか、それは分かりませんが――恐らくそれに近いものでしょう」
「は、はあ……」
「鍵も魔法も用いずに第三者に開けられない工夫……しかも外観も美しく、美術工芸品としての価値も損ねない……素晴らしいものです」
伯爵もソリューさんも目を点にしていました。
(ああいけません、素晴らしいものを見るとつい饒舌になってしまいます……)
「申し訳ございません、本題から逸れてしまいました。どうぞ中をお改め下さい……」
仕掛け箱に興奮してしまい本来の依頼を忘れる所でした。
(まだまだ未熟ですね……)
伯爵が箱を開くと、中心には三センチ程の楕円形のブローチの様なものが入っていました。
「これは……たしか、祖母が嫁がれた頃の肖像画に描かれていました。特徴的なので覚えています」
「拝見しても宜しいでしょうか?」
私はブローチを受け取ります。
「肖像画に描く程だから大切なものと思っていたのですが、何処にも見当たらず、祖母は無くしてしまったのかと思っていましたが……」
伯爵の言葉を聞きながら、ブローチをつぶさに観察します。
「ブローチのベースは、鋳造法の失われた金属のミリス銀ですね……そこに魔術結晶が据えられていて……その上に透かし彫りで肖像が嵌め込まれています……慈愛の女神でしょうか。獣の骨……いえこれは竜舎利?」
「あ、あの……プラスヤード様?」
伯爵の声でハッと現実に戻ります。
「す、すみません。つい入り込んでしまって……」
「そんなに凄いものなのですか?」
「はい、とても凄いものです。この小さなブローチにこれだけの素材を詰め込んでいるのはあまり類を見ません。魔術結晶に術式が刻印されているので何らかの魔道具でもあると思うのですが、魔法で調べさせて頂いても?」
伯爵に許しをいただき、魔力視眼鏡で観察しました――それ程強い魔力ではありませんが、確かに魔法が組み込まれています。
(言葉……言語でしょうか。伝達……変換……?)
「このブローチには恐らく翻訳の魔法が込められています」
専門外なので伝聞ですが、翻訳の魔法は帝国が統一されて発展してゆき、公用語が制定されて普及していく中であまり使われ無くなっていった魔法です。
「あの……大奥様が仰られていたのは、そのブローチはご実家から贈られたものだと――」
私がブローチを鑑定していると、ソリューさんが言い添えてくれました。
(という事は、おそらく……)
「……大奥様は、嫁がれた当初は言葉遣いで悩んでおられたということでしょうか?」
私の言葉に伯爵は怪訝な表情を浮かべます。
「祖母はとても綺麗な言葉遣いをされる方だったと聞いています。父も幼い頃に言葉遣いを窘められたと言っていました――」
すると、ソリューさんは「あの……」と何か言いたげな表情をしています。
「なにか思い出しましたか?」
私が水を向けるとソリューさんは語り始めました。
「大奥様は嫁がれるにあたって、帝国公用語を事前に学んで来られたのですが……それでも厳しい奥様には認めて頂け無かったと――」
最近は貴族界隈も晩婚化が進んでいるので、嫁いで来たご令嬢に厳しく躾けるような話は以前よりは減っていると聞いていましたが、昔は相当に厳しかったのでしょう。
「恐らく、心配なさったご実家から翻訳の魔法を宿した魔道具であるそのブローチが贈られた、という事なのかもしれません」
「なるほど。当初は魔道具に頼っておられたが、後に努力して美しい公用語を学ばれたという事か……」
そして、ブローチは必要なくなったが両親から贈られた品なので大切にしまっていた――伯爵はご自分を納得させるように呟きながら頷いておられました。
「魔法が無くてもこのブローチの細工は素晴らしいものですので、装飾品として将来奥方様に贈られてもよろしいかと存じます」
(とても珍しい品ですしね……)
「そうですね、祖母様の嫁入り道具とも言えるものですからそれもいいかもしれません。もっとも、まだ相手が居りませんので探すところから始めなくてはなりませんが――」
伯爵は自嘲気味に微笑んでおられました。まだお若い伯爵ですので、きっと縁談は沢山来るだろうと思いましたが、そっちの方に話題が膨らんでも私は得意ではありませんので黙って笑顔で流しました。
これが私の印象深い依頼、“仕掛け箱のブローチ”でした。
「──という事がありましたのですけど、レティ?」
久しぶりに会う親友のレティは、ティーカップを持ったまま目を丸くし口を開いています。
「あ、いえ──ごめんなさい。とても興味深いお話だったので聞き入ってしまいました」
「そうですか? レティの様に古代遺跡の地下迷宮で怪物との大立ち回りに比べたら、極小さな出来事と思いますけど──」
レティは「いいえ」と首を横に振りました。
「とても心が温まるお話でした。古い道具はそういう物語を知ることが出来ると、より興味が一段と深くなりますよね──」
その通りです、私が古物や古美術品に惹かれるのはその珍しさや美しさもさることながら、それにまつわる人々の「物語」に魅力を感じているから──です。
久しぶりに親友レティとお茶を飲みながらのお話は、時が経つのも忘れる楽しいひと時でした──。




