第二〇六話「悪夢と任務終了」
──目の前は、音も光もない真っ暗な空間。
「……ここは、どこでしょう?」
なぜ自分がここにいるのか、記憶が曖昧です。
「どなたか……おられますか?」
(……既視感?)
足元は冷たい石の床の感触です。四つんばいで進むと、やがて石壁にぶつかりました。手探りして凹凸のある部分に触れると「ぽうん」と楽器のような音がして、直後にすぐ横の壁が引き戸のように開きます。
「出口……ですか?」
恐る恐る抜けると、そこは石造りの巨大な回廊です。幅は一〇メートル、高さは二〇メートルほどありました。五〇メートル先には壁と、小さな通路が続いています。
(地下迷宮……?)
どこか見覚えのある通路。そちらを目指して歩き出します──が、半分ほど進むと柱の影から重い足音とともに何かが現れました。
「──っ?!」
三メートルはあろうかという巨大な甲冑姿の騎士。手に武器はありませんが、こちらに向かって真っ直ぐ迫ってきます。
(自律甲冑?!)
反射的に腰に手をやりますが──何も持っていません。
「え、首領の剣は?!」
魔剣四〇人の盗賊はどこにもありません。そしてわたくしが着ているのは粗末な灰色の上衣と茶色の下履きだけでした。
慌てて振り返りますが、さっきの部屋の扉は閉ざされています。
(……ここは、まさか!?)
そう、わたくしが転移追放刑で飛ばされた地下迷宮です。
「なぜ、こんな……」
混乱する間にも、自律甲冑は足音を響かせながら迫ってきます。
(確か……あの辺りに昇降機が──)
回廊の中ほど、壁に扉があるのを思い出して脇をすり抜けようと走りますが──
「か、身体が……」
脚が──身体中がまるで水中のように重いのです……もたつきながらしか進めません。
(なぜ……?!)
その時、自律甲冑の大きな腕が振り下ろされました──
「いやぁぁっ!」
──突然視界が変わります。
わたくしは硬い床の上で目を覚まし、上半身を起こしていました。全身から汗が噴き出し、鼓動は早鐘のよう。息が荒くなるのを抑えられません。
「レティ、大丈夫?」
すぐそばで、ウェルダさんが膝をつき目線を合わせてくれています。
「ゆ、夢……だったのですね」
自らの状況を確認して大きくため息をつきました。
「目が覚めたのですね、レティさん──」
声をかけてきたのは、ザリウ様の第三夫人で治癒魔術師のハシュリィさんです。
「皆さん、ご無事で……」
わたくしとザリウ様が転移装置へ向かう間、他の魔獣を引き受けてくださっていたのですが、どうやら片がついたようです。
「──レティさん、悪夢を見ておられましたか?」
その言葉に、夢を覗かれたようで思わず身を固くしました。
「はい……でも、何故お分かりに?」
「魔力切れで気を失ったとき、悪夢を見る──術師の間ではまことしやかに囁かれていまして」
どうやら、目覚めたときの様子からそう思ったという事でした。
「え……わたくし、魔力切れで倒れたのですか?!」
それすら覚えていませんでした。
「旦那様の話では、転移装置から出てきた竜角兵を倒した直後、魔剣が消え──」
そのまま突然倒れた、みたいです。恥ずかしさと情けなさで赤面して俯いていました。
「でも魔力切れで済んでよかったわ。怪我もないし、ザリウ様には改めてお礼を言わないと」
ウェルダさんも無事なようですが、少し疲れた表情をしていました。
(ウェルダさんの方も激しい戦いだったのでしょうね──)
「そちらもご無事で何よりです」
(悪夢──ですか、それにしては生々しい状況でしたね……)
わたくしは実際に悪夢で見た状況になりましたが、あの場所で偶然にもマーシウさん達おさんぽ日和の皆さんと出会えた事で、今こうしていられるのです。
(あの夢は、そうならなかったもう一つの可能性──ですね)
口では「本当ならあの時に死んでいた」と言っていましたが、夢だとしても実際にその状況を追体験すると恐怖以外の何物でもありませんでした。
そんなことを考えていると……。
「──おうレティ、目が覚めたな」
ザリウ様がこちらへやってこられました。すでに魔道具鎧は脱いでおり、その背後には見知らぬ冒険者の方々も居られました。
「俺たちが転移装置で戦ってる間に、クフィ達やウェルダ殿が合流したらしい」
彼らこそ、今回の捜索対象──冒険者パーティー烈なる朱色の皆さんとのことです。
「アンタが帝国公認魔道具鑑定士か。魔獣の無限沸きを止めてくれたって聞いたぜ、助かった!」
赤毛の戦士風の青年が握手を求めてきました。わたくしは慌てて立ち上がりますが、少しふらつきウェルダさんに支えられました。
「こら、魔力切れ直後の人に無茶させないの! 失礼致しました……私はエルミス・トールと申します、烈なる朱色の魔術師です。こちらはリーダーの──」
エルミスと名乗ったのは、恐らくわたくしと同年代、白金髪の、どこか上品な雰囲気の女性です。
「あ、悪い。名乗ってなかった。ガナル・ジェマンだ、よろしく!」
ガナルと名乗った方は改めて満面の笑みで右手を差し出されたので握手に応じました。
「こいつらは俺が以前、鍛えた連中でな。今じゃ独り立ちして頑張ってる」
「すまねえザリウさん、まさか無限に魔獣が湧くとは思わなくてな。ウチの治癒魔術師がへばっちまって、無理できない状況だったんだ」
赤毛の戦士ガナルさんの視線の先には、褐色肌に赤銅色の編み込み髪の大柄な女性が居ました。おそらく辺境出身の方でしょう。
「すみません……私のせいで──」
大きな身体を縮こませるように謝る彼女に──。
「ナナンのせいじゃないわ。前衛のペース配分ミスよ」
エルミスさんは肩をすくめてため息をついて、ナナンさんをフォローしています。
「あの子が噂の新人治癒魔術師か?」
ザリウ様は腕組みしながら興味深々に彼女を見ています。
「はい、ナナン・カディル。とても優秀で、多少の無茶もフォローしてくれるんですが……」
エルミスさんはナナンさんの肩に手を置いてザリウ様に紹介していました。
「魔獣の無限沸きじゃ、誰だって持たねえよ。ナナンか、よろしくな!」
「はい、こちらこそ宜しくお願いします……」
というやり取りを横目に、周囲を見渡すと──他の皆さんが撤収準備をしていました。
「おっと、レティ殿、放っておいて悪かったな。一度地上へ戻ろうと思うんだが、いいか?」
「はい、そうですね。転移装置に関してはまだ調査途中でもありますので、もう一度ここへ来ても宜しいですか?」
「当然だ──というか、今度はレティにその調査依頼をしねえとな」
──こうして、無事に要救助者と合流したわたくし達は、一度地上へ戻ることになりました。




