第一八〇話「前日譚3」
──ディロンがその名を呟いた斑猫とは、肉食の甲虫で非常に獰猛らしいけど大抵は他の昆虫と大差なく、大きくても手のひらに乗る程度のものらしい。東方大陸では斑猫と呼ばれていると、後に知った。
しかし、目の前のこれはどう見ても牛や馬よりも大きい。
「大王斑猫……書物では読んだが、まさか出会うとはな」
鼠にも大鼠という怪物が居るように、斑猫にもそういった怪物がいるということだろう。
そんな大王斑猫は、骨を砕き肉を貪る嫌な咀嚼音を立てながら大鼠を食べている。
「どうするディロン?」
マーシウは盾を構え、前を見据えながらディロンに尋ねた。
「大鼠で満腹になれば何処かへ行くかもしれんが……まあ、次は我々を捕食しに来るだろうな」
「今のうちにやっちまおうよ。ディロン、武器強化頂戴。あの外皮じゃ弾かれそうだしね……」
アン姐は先制攻撃する気だ。
「うむ、マーシウ殿よいな?」
「ああ。どんな奴か分からんから、何かされる前に速攻で仕留めよう。シオリも支援魔法頼む」
私は頷くと基本的な戦闘用の支援魔法を唱え、ディロンもそれに倣う。
「ファナ嬢、吾輩の沼の精に合わせてくれ」
「了解、光の矢合わせるよ……」
「アンは攻撃魔法の後に矢を」
「了解」
私はいつでも物理防御魔法の障壁を唱えられるよう心づもりをしておく。
ディロンは儀礼用短剣の尖端を床に付ける。
『……沼の精』
大鼠を貪っていた大王斑猫の足元の床が沼の様に柔らかくなり、沈み始める。
「よっし……光の」
「皆気をつけろ!」
アン姐が叫ぶと同時に大王斑猫は大きく跳躍し、沼の精の泥濘を回避してこちらに向かって飛び掛かってきた。
皆それぞれ散開して距離を取るけれど、地下迷宮の通路では回避にも限界がある。
「ええぃっ!」
アン姐は距離を取りながら矢を三本掴み、大王斑猫に向けて速射する。
矢は三本共命中したけれど、大顎や背中の甲殻に当たって火花を散らしながら弾かれた。
「チィっ、浅い?!」
アン姐の舌打ちが聞こえる。マーシウが私達を庇うように盾を構えて大王斑猫と対峙した。
「マーシウ!」
「なんとか足止めするから、その隙に喰らわせろ!」
大王斑猫はマーシウに向かって大きな顎で襲いかかる。マーシウは盾と剣で顎をいなしながらその奥にある口を狙って剣で突こうとしていた。しかし、激しい攻撃に防御と回避で手一杯の様だ。
『……光の矢!』
いつの間にかファナは長杖を構えて攻撃魔法を唱えていた。
ファナの目の前に拳大の光球が現れ、それは光の矢となって弓なりに飛んで大王斑猫の背中へ命中した。
閃光と破裂音がして大王斑猫が体勢を崩す。そこにマーシウは踏み込んで口の中に剣を突き立てようとした。
しかし、マーシウの剣は口に生えた細かい牙で止められ、大きな顎で身体を挟まれてしまった。
「ぐぁあっ!」
マーシウは悲鳴を上げる。左側は盾で防いでいるものの右脇に顎が食い込み血が滲んでいた。
「マーシウ!?」
その時、アン姐がいつの間にか大王斑猫の背後から背中を駆け上がり、後頭部にカタナを突き入れた。
大王斑猫は体液を噴き出して倒れ、アン姐は背中から飛び降りた。噴き出した黄色い体液を腕に浴びている。
マーシウは力の無くなった顎を押し広げて脱出した。
「痛たた……アン、助かったよ」
「こういう虫は関節とかが急所だからね、首なら一発だと思ってさ……」
大王斑猫は仰向けになり六本の脚を中央に折り畳んで動かなくなった。こういう虫の類は死ぬとそうして硬直するので分かりやすい。
「マーシウ、治療するわ」
私がマーシウに近付こうとした時、呻き声がしたので振り向くと──アン姐が座り込んで苦痛に悶えている。
「アン姐? どうしたの……」
「腕が……熱い……痛い……ぐぁぁ……」
アン姐が両腕をだらりと下げて顔を苦痛に歪め、呻き声を上げていた。




