第一七九話「前日譚2」
――依頼の為に、恐ろしいと噂に聞く辺境の地下迷宮に初めて立ち入る私達パーティー。
「一応、依頼としてはこの地下迷宮の場所の特定だったからもう依頼達成してるからね、無理は禁物だよ?」
アン姐はやれやれといった様子でさっと水袋を取り出して口をつけ再び仕舞う。何気ない合間に水を飲んだり、稀に携帯食を口にしたり……常に体調を保つように振舞うのは、遊撃兵としての性分なんだろうか。
いつものように、先頭はアン姐が索敵しながら歩いてくれている。明るく口数の多い彼女もこういう時は寡黙で鋭い目つきをしている。
階段を降りきると、少し広い回廊に出た。幅も高さも五メートル以上はありそうだ。壁や天井が剥がれた瓦礫が疎らに転がっていて、地下迷宮の照明の仕掛けが所々点いている。
突然、アン姐が片腕を横に広げて「待て」の合図をした。
「獣臭い、糞がある、骨が散乱してる……なんか居そうだから注意ね」
確かに言われると、落ちている瓦礫に混じって骨のようなものや、木の実の種の様な黒い塊も散乱している。腐臭や尿臭のような嫌な匂いも漂っていた。
「糞からして、大鼠かな? 逃げるならいいけど向かってきたら……」
アン姐は腰のカタナを抜く。その様子を見てマーシウも剣を抜き、盾を構えながら先頭に立った。
私達がゆっくり通路を進むと、物陰や通路の端を走り回る影があった。犬程度の大きさの大鼠だ。幸い私達に気づくと逃げてくれるので助かる。
「大鼠にしてはまあ小さめだな……」
大鼠は大きいものでは猪ほどもあるという。私自身はそこまで大きいものに出会った事は無いけれど。
依頼の内容が迷宮の位置確認と内部情報なので私達は地図を作りながら探索してゆく。この階層には大鼠と餌になるような虫くらいしか見当たらない。
「新しくは無いけど、ちらほら足跡があるね。それなりに冒険者は訪れてるみたいだ」
アン姐は床を観察しながら言った。
「新しく無いってどれくらいだ?」
マーシウの疑問にアン姐は「正確には分かんないけど年単位かも?」と答える。
足跡を追うように探索していくと、下層への階段を見つけた。折り返し階段で所々が崩落している。
「ずっと下まで続いてる感じの階段だね、それぞれ各階にも行けそうだけど、降りて見るかい?」
アン姐は階段を少し下がった折り返しの踊り場から下を覗きながら聞いてきた。
「そうだな、ここまでは大鼠くらいしか出会ってないし、もう少し調べておくか……シオリ、座標探知で入り口までの位置と距離を把握しておいてくれ」
私は座標探知の魔法で現在地と入り口の位置関係を確認する。この魔法は事前に印をした場所と現在地、そして通ってきた場所を頭の中で図示する魔法だ。印と現在位置の距離も大まかにだが感覚として分かる。
「今のルートなら最短で戻れば入り口もそう遠くないわ」
「よし、もう少し探索してみよう」
私の返答を受けてマーシウが指示を出す。
「なんかお宝でもあるといいんだけどなあ……」
ファナは暢気にそんな事を言っている。
「ま、この辺は他の冒険者も来てるっぽいから、あるとしたら下の階層だね」
アン姐はファナの頭にぽんと触れ、先頭を切って階段を降り始めた。
すぐ下の階層(便宜上地下二階?)……にも、大鼠の糞や骨が散乱していた。そして、基本的な建物の構造は上の階と同じである事に気付く。
「なんの遺跡なんだろうなここは……」
マーシウが呟く。こういった古代遺跡を私達は地下迷宮と呼んでいるけど、遥か昔に何の用途で造られたのかは殆ど分かっていない。
「んー……」
アン姐が怪訝そうな顔をしながら片膝をついて床を眺めている。
「どうしたの?」
「いや、さっきから大鼠の糞や骨はあるけれど、この階層では大鼠は見掛けないなと思ってね」
確かに、上の階層では犬くらいの大きさの大鼠がそれなりにウロウロしていた。すると、急にアン姐が立ち上がり弓を構えた。
「言ってる尻から……獣臭い。なんか来るかもよ?」
アン姐の言葉を受けてマーシウが盾を構えながらアン姐の射線を塞がない様な位置取りで前に出る。通路の先は照明の仕掛けが無いのか壊れているか、暗くて見通せない。
緊張感で張り詰めていると、カサカサと何かが這いながら近付いて来る音がする。
「チィチィ……」という鳴き声と共に犬程度の大きさの大鼠がこちらに走ってきて目もくれずに通り抜けて行った。その後ろから猪くらいはある大鼠が現れた。
「でか……まさか共食いとか?」
アン姐は矢を番えていつでも撃てる様に弦を引き絞る。
大鼠は私達に気づくと毛を逆立てて警戒する様子を見せたが、何か行くも戻るも出来ない様な混乱している様な動きをしていた。
私達も異常を感じて様子見をしていたが――次の瞬間、大きなものが大鼠に上から襲い掛かるのが見えた。
突如現れたそれは、牛や馬くらい大きな甲虫だった。黒光りする甲殻には虹彩色の斑点が斑にある。頭部には左右非対称の凶悪そうな顎があり大鼠は挟まれて血を吐き、絶命した様だ。
「でか……鍬形虫?!」
アン姐は叫んだ。
「いや、あれは恐らく斑猫だ……」
ディロンは冷静にそう答えた――。




